「病者障害者運動史研究」計画(提出2016)は
http://www.arsvi.com/ts/2016a06.htm
をご覧ください。
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
発売中。『現代思想』2017年1月号に載る「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第7回。2013年に亡くなった横田弘との対談が収録されている『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』は
http://www.arsvi.com/b2010/1603yh.htm
以下で、2015年に近年に亡くなった30人ほどの人をあげたと述べている。「病者障害者運動史研究」頁
◇http://www.arsvi.com/d/hsm.htm
の「人(本頁内)」というところにもう少し多くの人たちをあげている。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162282.htm
にもある。
「■殺されなかった人も亡くなっていく
一つ、「幸い殺されなかった人も徐々に亡くなっていくから」というのは書いてあるそのままのことだ。科研費書類の「研究目的」はその「概要」の後「@背景・経緯」「A明らかにしようとすること」「B意義」を書くようにとなっている。Bについて。
《「学問の意義の一つは記録することにある。この研究は今しかできない。本申請の年にもその前の数年も、運動で中心的な役割を果たした人たちが数人ずつ亡くなった。その中の数人に存命中の聞き取りが実現し、現在その書籍化を進めているが、その速度を上げる必要がある。多くの人たちが語ろうとしているが、自らそれを文字にして公けにできる人は少ない。それは公正でない。そして惜しい。つまりもう一つ、この研究は実践的な、人々に有益なものであろうとする。[…]/同時に理論的な貢献も期待される。」》
つまり意義は三つあると言っている。そのうちの一つを述べる中で亡くなった人のいることを述べている。それを書くのは、人が亡くなったことを契機にした本を出すのと比べて、同じぐらいかあるいはどちらがどうなのか、あざとくも思われる。いくらか脅迫的で卑怯なことのようでもある。しかし実際、殺されなかった人も亡くなり、言葉は消える。あるいは不在であるままになる。語ること、語らせることに基本的に否定的すくなくとも消極的である(私はそうだ)、そのうえで、一方でおしゃべりな人たちがさんざん語り書いている事実と違う事実、道筋と違う道筋があることを知るためにも、聞いておいたり書いてもらったりした方がよいことがある。
私が話を聞けた/話ができた人でここ数年(以下の三人はいずれも二〇一三年)に亡くなった人に、「府中療育センター闘争」の後種々、「全国公的介護保障要求者組合」他で活動した新田勲(一九四〇〜二〇一三、八七年に聞き取り、二〇〇七年に対談、対談は新田編[2009]に収録)、「全国「精神病」者集団」の大野萌子(一九三六〜二〇一三、二〇一一年に聞き取り→大野[2014])、「神奈川県青い芝の会連合会」の横田弘(前出、一九三三〜二〇一三、二〇〇二年に二度の対談、二〇〇八年に鼎談、二度目が横田[2004]に、一度目・三度目が横田他[2016]に収録)といる。
二〇一五年に出した科研費書類のかなりの分量を再掲した「病者障害者運動研究――生の現代のために・7」([2014-(7),2016-1,117])で、書類再掲の後に、数年のうちに亡くなった三〇人ほどの人を挙げた(今年出したものは「病者障害者運動史研究」と「史」が加わっている)。」