「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」([2016/11/07])
は科学研究費の申請書類。
http://www.arsvi.com/ts/2016a06.htm
「病者障害者運動史研究」頁は
http://www.arsvi.com/d/hsm.htm
支持(「いいね」とか)してもらえると嬉しいです。
『京都新聞』掲載の「学者は後衛に付く」(2008)は
http://www.arsvi.com/ts/20080051.htm
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
発売開始。『現代思想』2017年1月号に載る「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第6回。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162281.htm
にもある。そこには「現代史」「運動史」の本をいくつか並べている。
「■科学研究費・優生思想
冒頭で本の「はじめに」の始まりの部分を引いた。以下は「はじめに」の終わりの部分。
《「人が死んでものを書いて、少なくともそれは、その人たちのためには全然ならない。なにかを書いたり言ったりして故人を悼んだりするという感性が私には欠けている。ただ、これまで書いてきたことやさらに加えて書かねばと思っていることは、関係はしていると思えた。むなしくなったりしないことにして、書いてきたことを繰り返し、少し足して第3章にした。[…]
学者は後衛であり、学者の仕事は落ち穂拾いであると思っているところがある([2008])。二〇一五年の秋に出した科学研究費の申請書を、この(二〇一六年)秋また書類を――つまり二〇一六年度のものは当たらなかったのでまた出さねばならず――出す際に読み返すことがあったのだが、次のように書いてあった。
「なにより、高齢化、認知症者の増加が言われ、悪意と偏見によってではなく、資源の有限性をもって、社会が護られるべきこと、広い意味での「防衛」のやむをえぬ必要が言われる。多くの人たちがそのように思っている。かつて優生思想といった言葉によって指弾された力がこれから最も強く作動する時期に入っていく。それに運動はどう対しているか、またどう対するべきか。分析と考察の精度を上げる必要がある。流動的な現在を把握し、将来を展望するためにも、これまでの経緯をまとめる」(「生の現代のために・8」、[2014-(8),2015-12,118]に再掲)。
今年提出した書類「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」([2016/11/07])でも、この箇所は「多くの人たちがそのように思っている」を「多くの人たちが不安と諦めとを感じている」とした他はそのまま。そのように思っている。幸い殺されなかった人も徐々に亡くなっていくからいくらか焦っているのだが、そうした仕事をしていこうと思って仕事をしている。」》
この「はじめに」の日付は一一月十七日となっている。研究をするという業種の人たちは皆よく知っているが、科学研究費(科研費)の応募書類の提出期限は毎年一一月初旬だ。研究教育機関の確認承認が要るからそれより前に「学内締切」といったものがある。第3部になった杉田との対談を行なった(そして『ハフィントン・ポスト』の取材のあった)八日の一日前がその日本学術振興会に提出する「本締切」で、書類は二〇一五年の秋に(も)出して落ちたものがもとで、あまり変更しようもなかったのだが、それでも支度がようやく整ったのはその直前だった。
「かつて優生思想といった言葉によって指弾された力がこれから最も強く作動する時期に入っていく」というのは、はったりぽい表現ではあるが、しかしそう考えているから書いたものではある。
研究組織の運営に私が関わっているという手前があって、数年かなり大きな規模・額の申請をしてきて、それはやめた。それでもうまくはいかず、今年は私の専攻分野でなく「社会福祉学」の領域で応募することにした。その学に幾つかの立場・宗派はあって、私(たち)はその「本流」にはいないのもしれない。ただその学が主張の分岐に敏感であるならそれは基本的によいことだと、ばくっと「支援」だとかで括ってものを考えるようなおおまかな「社会科学」達よりはまともなものであるとも考えた。そして「福祉」を追究するのだと言ってしまうことも、事実を集めてきてそのことによって搦手でなにかを批判し、その裏でなにかを肯定するといった素振りを見せることより、まともなことだとも思える。
書類は、昨年のも今年のもHPでご覧になれる。すくなくとも私はこれはやっておかねばならない仕事だと考えている。」