「長谷川豊アナ「殺せ」ブログと相模原事件、社会は暴論にどう対処すべきか?」(インタビュー:泉谷由梨子、題はつけてもらったもの)『The Huffington Post』2016-11-25は
http://www.arsvi.com/ts/20160039.htm
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
12月19日発売。『現代思想』2017年1月号に載る「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
の分載の第4回。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162279.htm
にもある。
「■もう二つの短文・『聖教新聞』『ハフィントン・ポスト』
加えて「はじめに」で、てっとり早いものがよいだろうからと、読んでもらいたいと書いてあるのは二つ。いずれもHPから読めるようになっている。
一つは、『聖教新聞』に掲載された[2016/09/29]。[…]
もう一つ読んでくださいと書いたのは、『ハフィントン・ポスト』というオンラインだけの新聞に載った[2016/11/25]。長谷川豊というアナウンサーだった人が「自己責任」の腎臓病患者は人工透析を受けず死ぬべきだといったことを何回も書いた。それに対するコメントがほしいということで記者のインタビューを受けた。それは、十一月八日、杉田との対談の前の時間に行なわれた。記者から文案をもらい、かなりの時間をかけて手をいれたものを送った。文章の順序等すこしだけ変更されたものが載った。私が書いたものとしては反応があった。それは九月二六日に話した、仕方なくいちいち反論していくことも必要だというその反論でもある。そして反論はまずはごく簡単に可能だが、もう少し行くと実はすこし複雑なことを言わねばならないのでもある。それは相手方がいくらか「高級」なことを言っているということではまったくない。ただ、それに対する「返し」にはいくらか頭を使わねばならないということがあり、さらにそれを短く言わねばならないということもあって、面倒な仕事なのだが、仕方がないから、する。そしてやはり、その短文だけでは話は完結せず、誰が読むとわからなくとも他方で長いものを用意しておく必要もあるということになる。」