[表紙写真クリックで紹介頁へ]
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
12月19日発売。『現代思想』2017年1月号に「『相模原障害者殺傷事件』補遺」
http://www.arsvi.com/ts/20170129.htm
を書いたのでそれをこれから載せていく。その第1回。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162276.htm
にもある。
■『相模原障害者殺傷事件』
杉田俊介との共著の本『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(立岩・杉田[2016])が刊行された。私が担当した「はじめに」は次のように始まっている。
「二〇一六年七月二六日に相模原市の障害者施設で入所者一九人が刺殺され二六人が負傷する事件があった。本書はそのことがあって作られた。書かれていることはずいぶんの遠回りのことであるように思えるだろう。しかしいろいろと考えてはみたのだが、結局、こんな具合にしか言えない書けないと思った。本文にも同じようなことを書いているが、即効の答がある(とよい)ことにして、それを求め、ないということになるとあきらめて(むしろ安心して?)、思考を停止するといったことがあるように思える。それは最悪につまらないことだと思う。面倒な話をすると言われる私は、いつも謝ってまわっているのだが、このたびはすこし居直ろうと思った。
ただ私(筆者の一人である立岩)には、私ができることしか、私ができるようにしかできない。その私はまず一つ、事件そのものというより、事件の前、その容疑者という人によって語られた紋切型が、それが犯罪の「原因」であったかどうかはともかく、ただの紋切り型だったとは思えなかった。けっこう皆が思っていること言っていることがそこには含まれている。
そして一つ、出来事は凄惨で特異なものだったのだが、その度合いをいくらか――それにしても、その度合いはどうやって測られるのだろう?――減らせば、かつても今もなかったことではないし、しかもそれは単純に糾弾されたのでないこと、消極的ときに積極的に肯定されたことがあったし今もあることを少し知っていた。そこから考えることもあると思った。
そして一つ、こんなことがあると、語ってしまう、語られてしまう、さらになされてしまうことがあるのだが、かえってそれはよくないと思えることがあった。そんな具合にものを言わない方がよい、しない方がよいことがあり、しかも私たちはそんなことを過去いくらも繰り返したきたのだと思った。こんな時だからこそ、しない方がよいことを言った方がよいと思った。
そんなことを思って第1部になった文章を書いた。」
第1部は三章よりなる。本誌に掲載された原稿がもとになった。第1章は本誌九月号に書いた[2016/09/01](以下筆者のものは著者名略、必要に応じて八桁表記)、題は「精神医療の方に行かない」とした。第2章は事件を特集した一〇月掲載の[2016/10/01]、「障害者殺しと抵抗の系譜」という題をつけてもらった。第3章は先月号掲載の原稿を書き直し、「道筋を何度も作ること」とした。
こんな時には、こんな時だから、言葉を繰り出し捻り出すことをよしとしようと思ったし、思うことにした。いま引いたところでは、迂遠であっても、即効性がなくても、そしてそんなことを言われるとしても、言えることは言っておこうと言っている。そしてまた、わかるだろうと思って書かないと、あるいは控えめに書くと、繰り返さないと、結局わかられないから、しつこいのがよいのだろうと思うようになった。じつはそのしつこさはこの本では達成されていないのだが、書いてしまってからさらにそう思った。そこで以下補足する。また、二〇〇五年からの本誌連載におけるここのところの「生の現代のために」という連載――『造反有利』になった部分の後、二〇一四年に始まって、『精神病院体制の終わり』になった部分があっての中断の後、継続中、例えば二〇一六年一一月号掲載の第一六回は[2014-(16),2016-11,127]のように記す――、そしてそれとこの本、この本に関わることとの関わりについて記す。」