まず、この「連載」(今回が270)でしばらく前『精神医療』に載った「国家・権力を素朴に考える」
http://www.arsvi.com/ts/20160027.htm
の中で、十全会病院に関わる部分を含む部分。
「社会のできごと、国の決定…に関わる種々の「成分」が各々どれだけの割合で関わっているのかを挙げきることはまずできない。それにはいくつか理由があるが、一つには社会で起こることについては実験ができないという理由もある(仮にできても、すべきないこともある)。しかしほとんどの場合、何が何パーセントで何がパーセントの寄与率だとわからねばならないということでもない。なぜこのような因果関係・影響関係を私たちが知りたいかと言うと、それはたいがい、純粋に知的な関心からといったことではなく、どのようにすればこの事態を変えられるかあるいは守れるかがわかりたいからである。すると、例えばどの程度の割合かとわからなくても、これがなければ決まらない、あるいは明らかに決まりようが違ってくるということはありるうし、それは推定できる、あるいは証明できるといったことがあって、それで十分だというところがある。
『精神病院体制の終わり』([2015])はそのような気持ちで書いた。例えば、「新オレン△070 ジプラン」と称される認知症対策の計画――「認知症施策推進総合戦略――認知症高齢者等にやさしい地域づくりに向けて(新オレンジプラン)」――の文章がごく短期間のうちに変更されたこと、そこで精神病院の役割が大きくなったことを書いた。精神病院側の力とそれを介した単純素朴な政治力が介在したことは、原案がたいへん短期間のうちに明確に変化していること、そしてそれ以前の業界団体や議員組織の動き、そこでの言葉使いをみても明らかである。知られないように密かに動く場合はわからないことがあるが、この場合にはあまりに露骨であったから、わかった。「癒着」を疑われたくないのであれば普通はもっと慎重にことを進めるだろうから、それは珍しい例ということになるだろうが、すくなくとも今回起こっていることはそのようなできごとだ。
それがわかると今度は、そこを変えれば決定が変わる可能性があるということになる。むろん問題はその先にもある。精神病院(の経営者の側)にも利害があるとして、さらにその精神病院をあてにする力がどの程度働いているかということである。だから当然業界団体だけの話ではない。その本でいちばん分量を割いて書いた十全会病院がかくも長く生き延びまだ健在であることにもそれが関わっている。その病院はたしかに京都の人たちに(そしてかつてはもっと広い域の行政担当者他に)頼られてきたのである。
するとそこにいる「アクター」は、まず負担を避けたい家族であるということになる。さらに、結局、その負担を家族に押し付けている政府であり、医療・福祉の予算を削ろうとしている国家、国家権力だということなる、か。それは極端に乱暴な捉え方というわけではない。単純化すればそのように捉えることはできる。
ただそれでも、本稿に記してきたまた記してこなかった様々を考慮しておく必要はある。政府が予算の増大を押さえようとしているのは間違いではないが、しかし認知症には偉い人も金持ちも結局たいがいの人がなる。自分もなる。その人たちもそう乱暴なことをされたいとは思わない。それでもこんな具合になるにあたっては何が作用しているのか。「足りない」のだから仕方がないというあきらめのようなものがある。しかしそれは思い違いであることは述べた。ではそれはたんなる誤解であるだけか。それだけのことでもないだろう。国境の存在性格、グローバリゼーションといったものが関わってくる。すくなくとも、「風が吹けば桶屋が…」の場合よりは関わりがある。
こうして私たちは、「政治過程」を細かに点検していくとともに、大きく括ればどうなるかと見ていく必要がある。「べた」な情報の収集と、大風呂敷でもう使えなくなっているかに見える大きな社会に対する見立てを再利用できないかと考えること。両方が要る。そうして、ものを言うとき考えるときの精度を上げていく。と同時に、何も考えなくても言えることもたくさんある。「それは私たちの仕事ではない」とか、「殺すな」とか、「死△071 ねばいいなどお前がなぜ言えるんだ」とかである。」
さて今ここでやっている「連載」は、『精神病院体制の終わり』書評へのリプライ
http://www.arsvi.com/ts/20160029.htm
を(超)細切れにして載せていくというもの。それが↓。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162270.htm
にもある。
「■リプライの前に・1
[…]
そして次に、たしかに私は「規範的」なあるいは「運動的」な関心があってものを書いているのだが、本書はどうするかを考えるためにも、その前のところ、なんでこういうことになっているのかを書こうとした本である。本書で一番多く出てくるのは京都にある十全会病院という病院なのだが、その病院が1967年から強い批判の対象になってきたにもかかわらず、生き延びてきたことをどう見たらよいか。そのことをこの病院の問題のされ方を調べることによって考えていこうと思った。そのために国会の議事録などにあたった。本書を読んでもらえばわかることだが、政府がこの問題を無視したからというようなことでは必ずしもない。当時の厚生大臣もけっこう真面目に怒ってはいる。対処しようとしている。メディアもとりあげている。にもかかわらず長くこの病院はひどい状態を維持したまま隆盛した。どうしてか、ということである。」
→◇病者障害者運動史研究