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強制医療・1(『精神医療』掲載稿10)

「身体の現代」計画補足・253

立岩 真也 2016/11/03
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1800529323547380

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『良い死』表紙    『唯の生』表紙    『精神医療』4-84(159)特集:国家意志とメンタルヘルス表紙    『生死の語り行い・1』表紙
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 パターナリズム/自己決定について書いてきたものを集めて『自己決定/パターナリズム』
http://www.arsvi.com/ts/2016m4.htm
を作った。いまは入手できない本に収録された文章など入っている。それから幾つかの辞典・事典に書いたもの。どうぞ。そして今回言及している[2008][2009]、立岩・有馬[2012]は『良い死』『唯の生』『生死の語り行い・1』
http://www.arsvi.com/ts/2008b1.htm
http://www.arsvi.com/ts/2009b1.htm
http://www.arsvi.com/ts/2012b2.htm
 「国家・権力を素朴に考える」
http://www.arsvi.com/ts/20160027.htm
の転載の第10回。
 全文は、他にも様々を集めた、『精神』
http://www.arsvi.com/ts/2016m3.htm
に収録されている。
 もとは『精神医療』第84号(特集:国家意志とメンタルヘルス)に掲載。
http://www.arsvi.com/m/p4084.htm

 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162253.htm
にもある。


「■5 「強制医療」
 それを「強制医療」について考えてみるとどういうことになるか。7月26日の事件があって、措置入院等のことがまた取り沙汰されることになってしまったこともあって、本稿でこれについて書こうとした。だが、『現代思想』の9月号の特集が「精神」の関係だったこともあり、いつもの連載――その中で[2016/01/01]がこの主題に関わる――の代わりに、この主題について急ぎの、しかしかなり長い文章([2016/09/01])を書いた。そこにひとまず考えたことを書いた。また拙著『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』([2015])の書評(桐原[2017])で検討されているのが強制医療・強制入院についての私の記述であったということもあり、そのリプライでもその事件にも関係させていくらか関係することを述べた([2017])。それらを読んでいただければと思って△067 本稿では略すが、概略以下のようなことを述べている。
 「自傷他害(のおそれ)」というが、「自傷」と「他害」、普通この2つはだいぶ違う。また、現にやっていることとその「おそれ」があることもだいぶ違う。それが無理やり一緒にされているところがあるから分けて考えた方がよい。分けた上で、「自傷」については強制的な介入が許容される場合があると考える。これはパターナリズムをどう考えるかという問題の一部でもあり、「自己決定」としてなされる――通常の定義ではそうなる――安楽死尊厳死を考えることと共通する部分がある。安楽死尊厳死については[2008][2009]、立岩・有馬[2012]で考えた。パターナリズムは肯定される場合があること、そのうえで考えるべきことがあることを述べた★05。
 […]

★05 9月22日・23日、立命館いばらきキャンパスを会場として、障害学国際セミナー1016、「法的能力(障害者権利条約第一二条)と成年後見制度」が開催された。韓国、中国、台湾、日本から報告があり議論がなされた。私も報告させてもらっている([2016/09/23])。最初、そこで報告しようというその中身をここに(=本誌のこの文章に)書こうかとも思った――つまり何を書くかいろいろと迷った――のだが、それはこちらのサイトに掲載することにした。たしかに多くの場合にはその人の意思を汲み取ればよいのだろうし、それが「意思決定支援」なのだろう。しかしいつもそういう方向でよいのかという問題はあるということである。」


UP:201611 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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