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事件/優生安楽死尊厳死思想…3(『精神医療』掲載稿06)

「身体の現代」計画補足・249

立岩 真也 2016/10/30

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『精神医療』4-84(159)特集:国家意志とメンタルヘルス表紙    On Private Property, English Version    『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 以下に知らせている『私的所有論英語版』
http://www.arsvi.com/ts/2016b2-j.htm
はとても緩慢に売れている。英語で、という人にはもちろんだが、日本語のHTML版も同包されている。HTMLファイルというのは私たちがネットで見ているファイル=ページで、ただ開けばすぐに読める。検索も簡単。1クリックで註の箇所に行って、戻ってこれる。関連事項や人へのリンクをたくさん張った。いちいち英訳した(してもらった)文献表は、普通の本1冊分より巨大なものになった。各々の著者に関するページ(英語のものがあれば英語ページ)にもリンクさせてある。英訳してもらうのにもだが、こういう作業にひどく手間がかかった。結果、それだけのものにはなったと思う。10ドル。初版は6000円だった。どうか、労がいくらかは報われますように。
 また『現代思想』掲載[2016/10/01]は「七・二六殺傷事件後に 2」。相模原市での事件を特集した号に載った。
http://www.arsvi.com/ts/20160031.htm

 「国家・権力を素朴に考える」
http://www.arsvi.com/ts/20160027.htm
の転載の第6回。
 全文は、他にも様々を集めた、『精神』
http://www.arsvi.com/ts/2016m3.htm
に収録されている。
 もとは『精神医療』第84号(特集:国家意志とメンタルヘルス)に掲載。
http://www.arsvi.com/m/p4084.htm

 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162249.htm
にもある。


 「■2 事件/優生安楽死尊厳死思想〜基本的な体制
 […]
 だからその容疑者のことをどう解釈しようどうしようというのとは別に、第一に、この社会にあってきた「思想」がどんなものであるかを知らせ、そのうえでそれにどう対するかを考えて言うことだ。第二に、この社会で「割を食っている」人がこの社会に迎合的な思想に迎合的であることをどう考えるか。
 第二の方はここでは略す★01。第一の方は私の最初からの仕事、最初の単著『私的所有△062 論』([1997]、第2版が[2013]、この9月に出した英語版の電子書籍が[2016/08/31])からの仕事であってきたから、ここで再説はしない。その本の第6章の第3節が「性能への介入」で優生学の歴史を記している。第9章が「正しい優生学とつきあう」で、出生前診断・選択的中絶について検討している。その後優生学史研究はいくらかの進.展を見せたようで、しかし私はその勉強はしなかった。優生学にしても生殖技術にしても、その本で使われている文献は1990年代までのもので、今回英訳版を出すにあたって、そうした部分をそのまま残すのにはためらわれるところもあった。ただ大筋では書くべきことは書かれており、事実の記述としても間違ったことは書いていない。私はこの本を信州大学医療技術短期大学部(現在は信州大学医学部保健学科)というところで看護師等を目指す学生の「社会学」の「教科書」として(レンタルにして)使っていたのだが、そこでの授業で各々1〜2回分ぐらいだったか優生学と出生前診断の部分を使って話した。まず単純に歴史的事実を知っておくべきだと思ったし、そしてそれが「極端な変な思想」というものではないことを話した。
 次にそれらは、この社会の基本的な体制、日本の一部で否定的・批判的な意味で使われてきた能力主義の体制とどのように関わっているのか。やはり事件に関して共同通信が配信した短文では次のように書いた。

 「優生主義を根絶はできないとしても、その勢力を弱くすることだ。そしてそれは可能である。
 一つに、できる人が得をするのは当然だ、できることにおいて価値があるというこの近代社会の「正義」が優生主義を助長している。それをのさばらせないことである。
 一つ、優生・安楽死思想は人を支える負担の重さの下で栄える。辛いと殺したくなるということだ。負担そのものをなくすことではできない。だが一人ひとりにかかる度合いを減らすことはできる。するとこの人はいなくなってほしいと思う度合いが少なくなる。」([2016/08/02]))

 所有についての「できる人が得をする」規則があり、それが「正しい」という価値、さらに「できることにおいて人は価値がある」という価値観があるのがこの社会であり、そのことを日本の社会運動は「能力主義」と呼んで批判してきた。これは英語にしにくい言葉で、『私的所有論』の英語版ではいささかの無理を承知で ableismという言葉にした。この英語の単語はたぶん新しい言葉で、(ふつうの意味での)障害者(people with disability△063 , disabled people)差別を肯定する主義、健常者主義といったものを意味しているようだが、日本ではもっと広い意味で能力主義という言葉が使われた。そしてこのような規則があって回っている社会に、前節に記したような生産力の変化といった条件、国境と国際関係といった条件が加わると、現在のような社会ができるということになる。
 その社会においてはできない人は生きにくいし価値が低くされる。それでもそういう人は死ねばよい・生まれてこなければよいとまでは普通言わない。死ねばよいということになると安楽死尊厳死思想ということになる。生まれないようにしようとかいうことになると優生思想・優生主義ということになる。だからそれらはこの社会にあるものをより強くしたものであるということになるのだか、連続はしている。正義に接しているということである。実際、名の知られた倫理学者たちが、その「倫理」において、例えば知能指数であるとかいろいろと条件をつけつつ、死なせること他を支持している。そうしたことは知っておいてもらいたいと思って、そんな人たちの議論を『私的所有論』他で紹介した。日本では1960年代に福祉の前進、収容施設を作ることを進めた動きのなかに死なせることへの支持が同時に存在する(立岩編[2015])。」

「★01 ある種の国家論は、社会は変わるべきなのに変わってよいのに変わらないのはどうしてなのかという苛立ちのようなものから発していることを後でも述べる。あの容疑者も本当は革命に参画するような人であったのではないか、なぜそうでなかったのかというのも、基本は同じだ。その問いには様々な水準で様々に答えることができる。その様々について本文に書いているのでもある。  加えて一つ。その人はこの社会で最初からとことん不利という人ではなかったということはあるかもしれない。最初から「重度障害者」となると開き直るしかない。そこに居場所を定めれは、強いことが言える。しかしそんな人の方が少ない。損をする側ではあるがもっと損をしている人よりは損をしていない。その限りで優越的であることもできる。そしてその優越(感)がある人たちを「ケア」を提供する場に送ることもあるかもしれない。いいことをしてあげよう、というわけだ。しかし現場に行くと感謝もされない。言うことも聞いてくれない。上役から叱られることもある。  さらに一つ。その場には容易に動けない動かない人たちが並んでいたりする。その場は「大変さ」を並べたような場であって、「ここでこれから社会はやっていけるだろうか」といった思いを生じさせる増幅させることはあるかもしれない。施設(勤め)における摩耗・疲労・…(が生じさせる、時には殺害)について、『現代思想』掲載の文章([2016/10/01])ですこし触れている。」


UP:201610 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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