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事件/優生安楽死尊厳死思想…2(『精神医療』掲載稿05)

「身体の現代」計画補足・248

立岩 真也 2016/10/29
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1796947153905597

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『現代思想』2016年9月号 特集:精神医療の新時代――オープンダイアローグ・ACT・当事者研究…・表紙    『精神医療』4-84(159)特集:国家意志とメンタルヘルス表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「国家・権力を素朴に考える」という、別の題にすればよかったという文章
http://www.arsvi.com/ts/20160027.htm
の転載の第5回。
 全文は、他にも様々を集めた、『精神』
http://www.arsvi.com/ts/2016m3.htm
に収録されている。
 もとは『精神医療』第84号(特集:国家意志とメンタルヘルス)に掲載
http://www.arsvi.com/m/p4084.htm
引用文中にある朝日新聞に載ったコメント(とその手前のやりとり等)[2016/07/28]は
http://www.arsvi.com/ts/20160727.htm">
『現代思想』9月号に載った文章[2016/09/01]は
http://www.arsvi.com/ts/20160030.htm
ウェブ上でやっているテレビ番組で実況電話取材受けて少し話した関連[2016/07/29]は
http://www.arsvi.com/ts/20160729.htm

 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162248.htm
にもある。


 「■2 事件/優生安楽死尊厳死思想〜基本的な体制
 […]
 7月26日の事件当日に朝日新聞社から電話取材があって、電話でいくらか話し、翌日コメント案が記者からメールで来て、おおむね受け入れつつその修正を提案したのだが、結局記者の案のまま28日の朝刊に掲載された。その過程も含めてHPに掲載してある→[2016/07/28]。(以下細かな文章・コメントの類も掲載した→この文章の題で検索すると文献表が出てくる→各々にリンクして読めるようになっている。)その冒頭は「自分は割を食っている」という不満が、より弱い立場の障害者や移民への攻撃に向けられる。容疑者もその1人かもしれない。」となっている。
 なんだか朝日新聞社的でもあり評論家風でもあり、いくらかためらわれるものがあったが、とりさげてしまうほどではないかなと思った。全体が窮乏しているという状況であれば、あとはがんばって働くしかないわけだから、考えることもすることもわりあい簡単であって、その限りでさほど悩ましいことはない。しかし、この社会はそんな具合にはなっていない。それは「精神」によろしくはない。この事件の容疑者の心理的状態がどうであったかは知らないし、多くの人が言うように、精神障害者であると断じたり、まして精神障害・精神疾患がその事件を起こしたとすることはできない。(ここまでは当然のことで、それが当然のことと受けられないのは困ったことだ。ただそれは、そもそも精神障害・精神疾患がなんであって、それで犯罪が起こるという文が何を意味しているのか、まともで良識的な、本誌の読者のような人においてもあまりはっきりしていないということがあるように思う。そこでこの事件を受けて『現代思想』に載る予定の文章([2016/09/01])で少し書いてみようとしている。)
 それにしても鬱屈、屈折はあったのかもしれない。「割を食う」側は、それに腹を立てて、革命などに参加すればよいのだが、なかなかそうならない。それはなぜか。実はこ△061 れは国家(論)が持ち出される一つの契機でもある。私は最初、この稿にそのことを(そのことも)書こうと思っていた。「抑圧委譲」といった便利な言葉一つではすませられないだろう。「優生思想」の信奉者であったというその人は、たんなる狂信者ではないし、そもそもその優生主義そして安楽死尊厳死思想は狂信者の信じる怪しい思想なのではない。
 ここでまた一つ挿話を。7月29日、ウェブ上でやっているテレビ番組で実況電話取材を受けて少し話した([2016/07/29])。そこでの対話自体はしごく穏当なものだったが、その番組MCという人は、私と話をする前、正確にはもう一人、私の知る人でもある渡邉琢さん(著書に渡邉[2011])と話す前に、その容疑者は「サイコパス」なのであって、その人物が言っている「思想」など取り合うことはない、殺すのに理屈はなんでもよかったのだと語っていた。こういう話が、視聴者が多くないということで好きなように話せる場であることもあってか、さらっとなされていた。こういう筋の話をたんにばかげた話とするのでなく、どのように対するのかということはやはりあると思う。いくつかの言い方がある。仮にその人の「頭」の状態が変であったことを認めるとしよう。しかしそうであったとしても、数ある「思想」の一つが選ばれているという事実は残る。「正当な攻撃」として観念されるためには、その「思想」がその条件を満たしていなければならず、そのような思想が選ばれ対象が選ばれたと考えるべきだろう。」


UP:201610 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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