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事件/優生安楽死尊厳死思想…1(『精神医療』掲載稿04)

「身体の現代」計画補足・247

立岩 真也 2016/10/28
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1796945463905766

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 「国家意志とメンタルヘルス」という特集だった『精神医療』第84号
http://www.arsvi.com/m/p4084.htm
に掲載された「国家・権力を素朴に考える」
http://www.arsvi.com/ts/20160027.htm
の転載の第4回。
 全文は『精神』
http://www.arsvi.com/ts/2016m3.htm
に収録されている。
 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162247.htm
にもある。


 「■2 事件/優生安楽死尊厳死思想〜基本的な体制
 ではそれと――――さきに発達障害・自閉症にはすこしふれたのだったが――精神障害・疾患(「精神」等と略すことがある)となにか関わりがあるか。無理に結びつけることはないように思っている。むろん様々なことが言われていて、その多くは当たっているのだろう。世の中だんだんたいへんになっているという話はしたくないのだが――そして、ここまで書いたのは「余剰」がある「足りている」という話なのだから、「最も基本的には」実際すこしもたいへんではないと考えているのだが、それをうまく処理できないがために――多くの人に負荷がかかる度合いは高くはなっていると言えるだろう。そしてたぶんそれは、病気を増やしているのだろう。ゆえに医療の前に社会を、というのは原則正しい。精神病には金が一番よく効くというのは、少なくとも多くについて、当たっているはずだ。
 そして次に、危険の度合いが高まっているようであることについてはどうなるのだろう。前の段落にあげたような人たちの多くは鬱屈していてそうたいがい元気はそうない。それがさらに攻撃的になり、実際に攻撃する人がいたとして、それはたいがい病気というのとは違う。それでも、危険や不安に対する対応として、精神医療が持ち出される度△060 合いが増える可能性はないではない、というところだろうか。しかし、医療をしている側も、そんな役割を持ち込まれてもたいしたことができるはずもなく、困るだろうが、それをあてにすると言う側も、具体的になにか期待があるわけではない。むしろ、隔離・監禁・強制が正当化される場として精神病院は――これまでそのように使われてきたのだし――使えるというぐらいの理由で、さしあたり隔離・監禁・強制が可能で正当とされる場として精神医療を名指しているぐらいのものなのだろう。だからなすべきことは、そんな仕事は自分たちの仕事ではないと役割を放棄することだ。このことは後でも述べる。
 精神医療があろうとなかろうと、人が起こす災難は何をしても完全になくなることはない。その一部は精神障害という基準にあてはまるだろうし、さらにその一部はなにか一時しのぎの薬か何かがいっとき効くかもしれないが、それだけのことだ。ここで述べるのは精神障害者の話ではない。」


UP:201610 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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