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『造反有理』書評へのリプライ・3

「身体の現代」計画補足・237

立岩 真也 2016/10/18
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1792644854335827

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『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』表紙    『障害学研究』11表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙
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 『障害学研究』第11号
http://www.arsvi.com/ds/jds011.htm
に載った拙著の書評への「リプライ」の3。その目次他は
http://www.arsvi.com/ts/20150013.htm
 『障害学研究』が出たのは2016年の夏だったが、この文章は2015年4月20日に発送された。だから以下は、『造反有理』が出た後、その頃まで何をしていたかという話。「今年中〔2015年中〕に出版するつもり」とした本は、出ていない。見込みがたたないでいる。十全会病院事件から始まって書かれた連載は『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(2015)
http://www.arsvi.com/ts/2015b2.htm
になった。早川一光へのインタビュー他からなる本は『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』
http://www.arsvi.com/b2010/1509hk.htm

 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162237.htm
にもある。そこでは多くの人・項目にリンクしているからそちらをご覧いただきたい。

 「■その後・1
 書けなかったことはたくさんある。吉田おさみ【298】にいくらかふれている以外はまったく無視している「本人」のことについて。必要でないと思っていたのではなく、本屋で買えるようなものとして書かれたものが多くはなく、そしてそれ以上に、市販されたもの以外に書かれたものがあるが私はそれを知らず、そしてまた記憶されている(かもしれない)が書かれていない部分が大きくあり、それはじかに聞くしかない、別途調べる(調べてもらう)しかないと考えたからだ。それでも、【356】に記してあるのだが、山本真理【111】と大野萌子には二〇一一年にインタビューしてはあった。(大野インタビューはその年十月の愛知大学での障害学会の大会に大野さんが来ていて、さらに安原荘一さんと桐原尚之さんもいて、会員控室で急遽実現したものだ。私はその時、大野さんとそして赤堀政夫さんにお会いするのは二度めだった。福島の白石清春さん他をお呼びした震災に関するシンポジウムの司会をせねばならず、その前に終えねばならなかったから、再度のインタビューをとお願いし、承諾は得た。だが大野さんは二〇一三年八月に逝去された。)そのひとまずの記録は『現代思想』の二〇一四年五月号(特集:精神医療のリアル)に掲載されたが、その「完全版」と、私自身はその機会を逃した別のインタビュー、そして「精神」の本人たちの運動の始まりのあたりについて書いてもらう文章――その一つのもとになるのは桐原尚之・長谷川唯「全国「精神病」者集団の結成前後――大阪・名古屋・京都・東京の患者会の歴史」――を加えた本を今年中に出版するつもりだ。
 そして昔話を書いたこの本にしても、昔話だけしたいというわけではなかった。書きものとしてどう「落とす」かということはあった。そしてそれ△274 より、結局、現実をどこへもっていくか、これからどうするかに関心がないのではない。この本を急いで出してもらったのも、「精神保健従事者団体懇談会(精従懇)」主催の第七回精神保健フォーラム(二〇一三年十一月二三日)での講演にまにあわせようというところがあった。その日が初売りの日になった。第5章「何を言った/言えるか」にいくらかのことは書いた。ただ、いくらかのことでしかなかった。
 その講演の時には原稿は書き終わっていたことになるが、同年十二月号の連載の回に「『造反有利』はでたが、病院化の謎は残る」という文章を書いた。その後、「生の現代のために」という、もう少し広い範囲の見取り図を提示するようなつもりの文章――もとは二〇〇一年頃にいくらか書いてそのままにしておいたものだ――を始めて続けるつもりだったのだが、それは二回分書いて中断した(二〇一五年六月号から再開予定)。その次の二〇一四年五月号の特集が先述のインタビューも載った「精神医療のリアル」だったということもある。また、認知症高齢者の精神病院への取り込み、そして「病棟転換型居住系施設」の話が持ち上がっていた時でもあった。それらのことについて書いた。そして「脱病院化」が言われて久しいにもかかわらず、そして「造反派」もおおいにそれを問題にしたにもかかわらず、事態はたいして変わらないできた。そして、『造反有理』を書く過程で初めて知った京都十全会病院事件――国会やマスメディアでかなりとりあげられたのは一九八〇年頃で私は大学に入ったころだったが、新聞もテレビもなかったせいだろうか、まったく記憶にない――のことについてもう少し書いてみようと思った。『造反有理』では抵抗・批判の「むろん個別の反抗は最初からあった。組織的なものとしてはどうなのか。その「始まり」は今のところ私にはわからないが、十全会闘争は六七年に始まったという。」【347】(他に【282】)と記したその病院である。
 それで「追記」がまた続いてしまうことになった。その間、やはり京都で堀川病院等での地域医療の実践を行なってきた早川一光へのインタビュー――彼が関わった「呆け老人をかかえる家族の会」(現在は「認知症の人と家族の会」)の発足には十全会病院(への高齢者の収容)が関わっている――を△275 行ない、それを受けて書いた分も含めて計十四回、「追記」を書いて、この五月号でいったん終わらせた。だいぶ整理しないとならないが、今年中に本にしてもらうつもりだ。そこでは規範・制度の決め方とその中味のおおまかなあり方について、そして「現場」での「支援」のあり方についてすこし考えてみた。身体障害の人に対する介助等についてはずいぶんのことが書かれてきた。私も書いてきた。それがどこまで使えるかといったことも考えようとした。」


UP:201609 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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