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2004もう一つの相模原事件・前(10月号・15)

「身体の現代」計画補足・230

立岩 真也 2016/10/11
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1787588638174782

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『ALS――不動の身体と息する機械』表紙    『唯の生』表紙    On Private Property, English Version    『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 この事件のことについては
http://www.arsvi.com/d/et-2004s.htm
を。フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162230.htm
にもある。


 「■二〇〇四年・もう一つの相模原事件★14
 殺害はずっと繰り返され、多くは家庭のなかで起こってきた。今度の事件と別に、少数の人が「相模原事件」として記憶しているのは相模原市で起こった殺害事件だった(こちらのサイト内を「相模原事件」◇で検索)。二〇〇四年八月、ALSの長男(当時四〇歳)を母親が殺したというものだった。長男の将来を悲観し、人工呼吸器を停止させて殺害したとして、殺人罪に問われた。判決は二〇〇五年二月横浜地裁。「長男の日ごろの懇願を受け入れて呼吸器を停止させた」として、被告側の主張通り嘱託殺人罪を適用。求刑は懲役五年だったが、懲役三年、執行猶予五年。その後、母親は精神を病み、二〇〇九年一〇月、死にたいというその人を夫が刺殺する。夫は自殺を図るが、死ねず自首するという事件がそれに続く。
 井形昭弘◇が本年八月一二日に亡くなった。新聞等の訃報では紹介されなかったが日本尊厳死協会の理事長も務めた。その人は、殺した人も殺された後、二〇一二年の自由民主党の勉強会で報告している。立岩・有馬[2012]に全文を収録している。その終わりの方。

 「人工呼吸器装着を選択した息子が、その後人工呼吸器装着を悔やみ、母親に取り外しを懇願し、母親が人工呼吸器のスイッチを切るという事件が発生しました。息子は死亡し母親は殺人罪に問われましたが、裁判所は息子の懇願事実を認定し、嘱託殺人罪で執行猶予付きの懲役判決を下しました。法廷にはALS患者が大勢傍聴しておられました。残念なことに、この法廷では尊厳死について弁護人から主張された形跡はありません。」(井形[2012/04/25])

 それに対して抗議があった。それは井形に対してということでもあったが、次に引用する部分の後にも書かれているように、その事件の後、この悲劇を語り、そしてそれはこの国が「取り外し」を認めていないからだと、例えば日本の難病の分野の医療者を代表・代理するような姿で語ることが、多くなされたことによる。

 「我々は、この公判のすべてを傍聴し、事件の関係者への聞き取りもしました。/当時、ALSの息子は全身性の麻痺のため意思伝達機能が低下し、母親が意思を読み取るのはままならない状態でした。神経内科医である主治医は、かかりつけ医に指示し、訪問看護師(透明文字盤を使って息子の意思の読み取りができた)を派遣し、患者から「呼吸器を外して死にたい」という意思確認をもって、患者の「死ぬ権利」として訴訟に持ち込もうとしました。しかし、患者は看護師の読みとる文字盤に「呼吸器は苦しくてもそのままでよい。」と伝えました(裁判記録に明示)。すなわち、患者は最終段階で意思を覆し、呼吸器の取り外しはしないと意思表示しました。しかしながら、判決では嘱託殺人となったため、患者が直前に意思を覆した事実は伏せられ、日本神経学会やALSの国際学会等で、日本の法の不備により治療停止ができないために起きた事件として報告されてきました。このことは、患者が意思を変えても家族や医師は聞き入れないこと、意思の表現が難しい者の意思は他者により曲解され、都合よく扱われる事例を提示しています。」(さくら会[2012/05/25])

 事実はその通りなので、ここではこれ以上立ち入らない。議論されるべき点はいくつもある。一つ、その人たちは自らが肯定し主張するのは安楽死ではなく尊厳死であると言い続けてきたのだが、外すという行いは積極的な行為であると言えないか。むろんさらにそれに反論はできる。けれどもすくなくとも考えていくと境界がはっきりしなくなることは明らかである。そして一つ、尊厳死(安楽死も)を言う人は本人が望んでいることを言ってきた。そのことにおいてナチによる殺害は安楽死でも尊厳死でもないということになる。それはそうだ。その上で、この事件では、その本人の意図が言われていたのと異なるという抗議がさきになされた。翻意や本人の中での相反する思い、そんなことも多々あって、そのことも大切だ。そして問題は、本人にきちんとした意識があるか、それを周囲が正確に理解しているかということだけでもない。こうして考えていく必要が――ただ「殺すな」というだけではどうもすまないようだとなれば――あるのだが、各論点については既に[2008]等々等々で考えてきたし、ここで言うのはこのことではない。
 私は井形と二度同じ場にいたことがある。[…]」

★14 こうしていっきに約二〇年を飛ばすことになる。二〇〇四年の前そしてその後の時期について、『唯の生』([2009/03/25])第2章「近い過去と現在」、第3章「有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと」、第4章「現在」、他。」


UP:201610 REV:
障害者殺し  ◇7.26障害者殺傷事件  ◇『現代思想』2016  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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