昨日7日から『自由の平等』唯のテキストファイル版価格変更して提供開始。
その前、3日は『加害について』
http://www.arsvi.com/ts/2016m1.htm
を作った。5日『社会モデル』
http://www.arsvi.com/ts/2016m2.htm
そしてさらに、6日から提供始めたのが『人間の条件――そんなものない』の唯のテキストファイル版
http://www.arsvi.com/ts/2010b2.htm
ただなにより手間かかっていて、リンク多数あって紙の本より役に立つのは『私的所有論』英語日本語電子書籍版。
http://www.arsvi.com/ts/2016b2.htm
この解説・広告はまた。
『現代思想』10月号に載っている「七・二六殺傷事件後に 2」
http://www.arsvi.com/ts/20160031.htm
をこまぎれに、きれぎれに、の13。
「愛はすべてをおおう」「愛することからはじめよう」「障害者に愛と医療を捧げて」と並ぶと私は引いてしまうのだが、という気分が伝わるかどうか。『聖教新聞』に掲載された短文
http://www.arsvi.com/ts/20160037.htm
では「否定されそうな自分たちを救ってくれるのが「愛」とされる。だが自分たちを愛してくれるのはあくまで相手だ。それは自分たちの生存が相手の気持ちに左右されるということでもある。そんなことでよいのか。」
となっている。ただ糸賀一雄も小林提樹もキリスト教徒だったという。するとここでの「愛」は私が書いたのと違うものだ、ということになるのではあるが、しかし…。
施設を出る話、出ようとするがなかなかという話については、また。
フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162227.htm
にもある。
「■一九八二年・島田療育園からの脱走事件他
[…]
一つだけあげておく。八二年に島田療育園から出ようという人がいて、それが阻まれることがあった。一月一六日に斉藤秀子(当時三二歳、脳性まひ)が施設を出る。家族は捜索願いを出し連れ戻される。「家出」を支援した職員は懲戒解雇処分になる。それに抗議した職員は訴訟を起こすが、その公判で施設側は斉藤に「意思能力」「同意能力」がないことを主張した。支援者は連れ戻された斉藤に会おうとするが拒絶される。尾上浩二が私たちに寄贈してくれたものの中から出てきたのは八二年一二月一五日付けの「島田療育園を告発する障害者七人委員会」による社会福祉法人日本心身障害児協会太宰博邦(花田の著書等でも肯定的に紹介されている業界では有名な人だった)宛の抗議書であり、そしてこの抗議に加わることを要請するビラだ。そこには斉藤の文章も付されている。その全文はまたHP上に掲載するが、七人は井田博士(神奈川青い芝)、宇都宮辰範◇(中野区)、小山正義◇(神奈川青い芝)、千田好夫◇(千書房)、本間康二◇(『月刊障害者問題』)、三井絹子◇(府中療育センター闘争◇)。面会は、国会議員の八代英太◇が太宰に談判して、ようやく実現する。その経緯は『同行者たち』(荘田[1983])に詳しく書かれている(がやはり品切れ)。
私はその時の家出とそれを支援した側に理があったと考えるが、実際がどうであったかをよく知っているわけではない。施設の側にも言い分があるかもしれない。既に何度目かだが、繰り返す。あった場から事実が外されてしまう、結果、ないことになってしまう。
小林自身の「思想」を問題にすることもできなくはない(そのビラには少しそうした部分もある)。ただそんなことをしていけば、自分自身はどうなのだ、小林は自分よりずっと偉く、がんばった人だということにもなる。それは認めよう。だが、起こった出来事はあり、それはその人の立派さ、立派なその人の話には出てこない。
小林提樹や島田療育園について様々の書きものがある。『愛はすべてをおおう』(日本心身障害児協会島田療育センター編[2003])には九三年までの年譜があるが記述はない。『愛することからはじめよう』(小沢[2011])は七四年に園長を辞任している島田についての本であり当然のことだが出てこない。自伝「障害者に愛と医療を捧げて」(小林[1983])にも当然出てこないが、それでもそれは八三年に書かれたのではある。小林の辞任には労働者の待遇をめぐる労働争議への対応に小林が疲弊したこと、それが辞任に関わったことは複数の本に書いてある。それはその通りだったのだろうし、双方に言い分のあることだっただろう。ただ別の種類の、労働組合からも支持されなかったできごともある。そうした動きがなかったことにされてきた歴史がある。」