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1981『典子は、今』他(10月号・11)

「身体の現代」計画補足・225

立岩 真也 2016/10/06
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1785216618411984

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横田弘・立岩真也・臼井正樹『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』表紙    On Private Property, English Version    『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 まず『聖教新聞』のかたから、事件にも関連させつつ今年出た横田弘・立岩真也・>臼井正樹『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』の紹介をという依頼かあって書いた(事件から2月後、参議院議員会館で追悼集会、その後日比谷公園から行進があった9月26日に発送、29日に掲載)短文を掲載。
http://www.arsvi.com/ts/20160037.htm
題と見出しはみな編集部がつけてくれた。「自らを否定するものには怒りを/横田弘らが訴えたこと/実相をみすえ社会の欺瞞を提起/どこにも極限状況などない」。
 次に4日、5日と2つ刊行。といっても過去に書いたものをいくつか集めたりした唯(ただ)のテキストファイル。ただ意外とこういうものが役に立つということはある。検索できるし、場所をとらないし、印刷しようと思えばもちろんできる。慣れるまでは違和感あると思うけれど、慣れたらこちらの方がよいかもしれない。今のところ費用対効果的にわりにあっていないのではあるが、リクエストがあればHTMLファイルにしたり、もっと本格的な電子書籍にできる。
 まず一つ作ったのは『加害について』
http://www.arsvi.com/ts/2016m1.htm
 次に『社会モデル』
http://www.arsvi.com/ts/2016m2.htm
 ただなにより手間かかっていて、リンク多数あって紙の本より役に立つのは『私的所有論』英語日本語電子書籍版。 http://www.arsvi.com/ts/2016b2.htm
この解説・広告はまた。
 さて『現代思想』10月号に載っている「七・二六殺傷事件後に 2」
http://www.arsvi.com/ts/20160031.htm
をこまぎれに、きれぎれに、の11。『典子は、今』のことは3回前に紹介した鼎談の中でも話している。
http://www.arsvi.com/ts/20162222.htm

 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162225.htm
にもある。

 「■一九八一年・『典子は、今』他
 ただ言論の表面に現れるのは、この後、もっと明るい、よいものになる。今年の九月二日に亡くなったことが報じられた松山善蔵の六一年の映画は『名もなく貧しく美しく』という聴覚障害者が美しく生きていく映画だった。二〇年後、「国際障害者年」でもあった八一年に松山は『典子は、今』を妻の高峰秀子とともに作る(松山・高峰[1981])。この映画はドキュメンタリーではないが、主人公は六二年生まれの人で、所謂サリドマイド児だった。その人は、字を書いたり風呂敷を結んだりする足使いが見事で、一人旅をし海で水泳したりする(本人は初めてだったという)。(結婚し、子を育て、四四歳で熊本市役所を退職してから自分のこれまでを書いた本に白井[2006]◇がある。)そしてこの映画はとても多くの人に観られた(すいぶん肌合いの異なる『さようならCP』も多くの人に影響を与えたが、観た人の数で言えば何桁かは異なる)。訃報でも六一年の『名もなく…』と八一年のこの映画があげられていた。
 サリドマイド児は「重心」の施設等で「エンジェルベビー」と呼ばれていたという。そして白井は、当時はそうした人が多かったということだが、小さな腕を肩からとってしまったから、例えば乙武洋匡◇がそうであるように、それほど異形な感じはない。
 こうしておおむね正常に見える身体になっていき、それがとりあげられるようになる。八一年の映画を見たり覚えている人の多くは、その二〇年ほど前、醜いサリドマイド児を殺すか否かが議論され、そして殺すことが肯定されたことを知らなかったか忘れている。そして元気な障害者が描かれる。私たちが今知っている(ポスト)ポリオの人たちも比較的軽い(から生き残ったのでもある)人たちで、「恐怖のどん底」とか悲惨に描かれたことにあまり実感をもてなくなっている。そしてほんとうに「重い」人たちは、六〇年代から急速に整えられていった「重心」の施設のようなところに置かれる。
 そして、同じように(できないこともあるが)できる人たちが受容されていく。かつてのように必死の(かなわないかもしれない)努力が求められ、それがその人たちを生かしておいてよい理由だとまでは言われないかもしれない。そして身体を酷使することによってというのではなく、社会環境をよくすることによってできるようになることが言われる。それは大方の事実でありそしてまったくわるいことではないから、そのことが言われるのはもっともなことだ。だがそこからもれる人はいるし、もれることはある。この種の明るさは今度の事件に対してはあまり効かない。」


UP:201610 REV:
障害者殺し  ◇7.26障害者殺傷事件  ◇『現代思想』2016  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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