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1963『婦人公論』紙上裁判・後(10月号・06)

「身体の現代」計画補足・220

立岩 真也 2016/09/30
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1782194132047566

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『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙    『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙    On Private Property, English Version
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』10月号に載っている「七・二六殺傷事件後に 2」
http://www.arsvi.com/ts/20160031.htm
をこまぎれに、きれぎれに、の6。参照を求めているのは
◇立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』,Kyoto Books
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
「拝啓池田総理大学殿」を業界の人はたいがい知っている。しかし――私はそうよい文章だと思わないのだが、そのように感じるにせよ感じないにせよ――読んだことがある人はどれだけいるだろう。そして以下に再掲する注に「「拝啓」への批判が後になされることも、以前「「拝啓・池田総理大臣殿」[…]は障害者に必ずしも肯定的に受け止められなかった。横田[1974→1979:59-60]、また岡村[1988:125-126]を参照」([1990→2013:333])と書いたのだが、知られていない。横田[1979→2015:60]とそれを引用する[2015/06/03:227]」と記した(立岩)[1990→2013:333]――この文章で私のものは筆者名が記されていない――は『生の技法』 http://www.arsvi.com/ts/2012b3.htm
の第7章の注9。この章は長いのだが、それ以上長くできなかったから、一つひとつのことは短くするしかなかった。それで注に短く追い込んであるのだが、それぞれそこそこ大切な(と思う)ことも書いてある。読んでおいてほしいと思うのだが、なかなか。

 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162220.htm
にもある。


 「■一九六三年・『婦人公論』紙上裁判
 […]
 これに対して花田は「切捨御免のヒューマニズム」(花田[1963/06])で批判する。それは石川について「論理が混乱し[…]ロジックの破綻が出てくる」といったものになっている。
 水上勉には二分脊椎の娘がいた。六三年二月の座談会の後、「拝啓池田総理大臣殿」(水上[1963/06])が『中央公論』の六月号に載る。それは、娘にまつわる負担・労苦と、税金が島田療育園のような施設に回らないことを批判し支出を要請する。それに総理大臣代理の人から返信があり(黒金[1963])、重症心身障害児施設等についていくらかのことがなされることになる。この「拝啓」は、たくさん税を払っていることについての愚痴の長い、優れた小説家の文章とあまり思えない文章だが、業界ではよく知られている★07。重症心身障害児施設◇(「重心」は人を指すことも施設を指すこともあるようだ)は小林提樹らが始めた島田療育園◇と、糸賀一雄◇らが始めたびわこ学園◇から始まり、それらへの公的支援が求められ、いくらか公金が降りるようになっていくのだが、その後、結核療養者が減っていった国立療養所がより大きな数・規模で受け入れるようになる。その経営者たちも「拝啓」に言及し肯定的に回顧していることを連載で紹介した。さらに『婦人倶楽部』の八月号に「島田療育園」を尋ねて」(水上[1963/08])が掲載される。
 他方、「拝啓」を受けた花田は「お任せしましょう水上さん」(花田[1963/10])を書く。「座談会の発言から、鮮かに転進(?)」した水上に呆れ、いくつか愚痴と批判を述べている。
 「重心」の施設には様々な人たちが収容された。知的にも身体にも重い障害がある施設としての重心という範疇に入らない人たち言葉を話す人たちがとくに初期には多数入所した。サリドマイド児もいたし脳性まひの人たちもいた。この度の報道では「重複障害」という言葉がよく使われたが、当時は「ダブル」といった言葉が使われたこともあり、花田の文章にもその語が出てくる。そしてそうした人たちが「児童」でなくなっても同じ施設に留め置かれることになる。このことがわかっていないと、一九八〇年代に入ってそこから出ようとする人たちが出てくる(そして止められる)といったことが実際に起こったこと(後出)を飲め込めないはずである。
 六〇年代に一つ、福祉の推進が言われた。このことは業界には知られている。それとともに一つ、殺すことの是認が並行してというより重なりあってあった。殺すべしという言論が正々堂々とあった。そして一つ、それに対する批判もあった。そして、「拝啓」の方は歴史に残されるが、あとの二つは忘れられる★08。いっとき安楽死の特集は話題になったが、この座談会での発言を批判し、そして皮肉を言う花田の文章は残らない。
 これらはいったいどういうことだったのか。正しいこと、例えば生存権は言われている。「福祉が進めば」生きられるだろうと言われている。安楽死を言うのも、死(を言うことと)とひきかえに福祉を求めているのだとも言える。ただ、その時、能力/非能力をめぐる価値と異形に関わる感覚は、松山や水上たちにおいて素直に表出されており、否定されないことにおいて肯定されている。その上で(ある部分を選んで)救済することは認められ求められている。それに直截的な言い方ではないが反論しているのが、あるいは反論しているが直截的ではないのが、花田春兆だった。
 やがて別のよい社会が来るかもしれないが、来ない間は仕方がないという具合になっている。だが何もしないわけにはいかないから、すこしずつよくしていこうとする。そのためには理解を得る必要がある。大臣に手紙を書いたり国会にお願いに行ったりする。それは手段である。そうでもしなければ金は降りてこないということだ。同時に信じられてもいる。愛が現実の変化を可能にするからであり、それを呼び求めるのは当然のことでもあるとされるからだ。こうして、革新勢力の運動と「政治を持ち込まない」親の会の運動がときに手を結ぶことにもなる。これも連載で書いたしこれからも書く。
 そして実際取れるものがあった。そうしないと制度や施設やそのための金は取れなかったかもしれない。そんな構造の言論と現実の空間にあって、花田の言論は、ところどころで苛立っていたりかなり怒っていたりする。ただ、こうも言えるしああも言えるといったことがわかっている。現実的であり、様々を考慮する。そして文芸的であり、批評は韜晦してなされている。自らがその一つの中心にいた文芸(誌)が、花田も言及するところのハンセン病文学も含めて、この国に相当に独自のものとしてあり、ある役割、ときに先駆的な役割を果たしてきたことはそのとおりだろう。近頃は「当事者」と呼ばれる人たちが集まって安楽死を議論したのは世界で最初かもしれない。ただ、別のことが起こるには別のはずみが要った。

★07 『中央公論』発行の同年同月に出た書籍(水上[1963/06])に、またその子が大学に進学するまでの頃のことが書いてある本(水上[1980])にも再録、「拝復」とともに小沢[2011]にも全文が引用されている。立岩編[2015]に収録。
 水上は後に「安楽死法制化を阻止する会」◇の発起人に名を連ねてもいる。経緯を確かめたことはないが清水昭美◇が「有名人」に声をかけたということかもしれない。この運動に障害者運動があまり関わっていないことをどう見るかという問いも(私と大谷いづみに)ある。太田典礼◇、松田道雄◇…について立岩・有馬[2012]。
★08 「拝啓」への批判が後になされることも、以前「「拝啓・池田総理大臣殿」[…]は障害者に必ずしも肯定的に受け止められなかった。横田[1974→1979:59-60]、また岡村[1988:125-126]を参照」([1990→2013:333])と書いたのだが、知られていない。横田[1979→2015:60]とそれを引用する[2015/06/03:227]。」


UP:201609 REV:
障害者殺し  ◇7.26障害者殺傷事件  ◇『現代思想』2016  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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