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代わりをこれから考えていく

「身体の現代」計画補足・214

立岩 真也 2016/09/24
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1779823888951257

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『唯の生』表紙    『生死の語り行い・1』表紙    『良い死』表紙
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 盛会だった「法的能力(障害者権利条約第一二条)と成年後見制度」。
http://www.arsvi.com/a/20160922.htm
 私の23日の報告は「成年後見制度に代わるもの」。そのためのメモから紹介してきた。
http://www.arsvi.com/ts/20160923.htm
以下は終わりの部分。セミナーでは各国の制度、現状についての報告が多かった。それに対して批判的であるのはおおむね共通していたがでは具体的にどうしていくかを考えるのは今後の課題といった感じだったと思う。なかでは22日の池原さんの基調講演が「その次」についての提言を含むものだった。以下の(3) は多少を池原さんの主張を意識したものでもある。誤解しないでくださいなのだが、私は「(本人を含みながら)みなで」「ソフトに」決めることはおおむねよいことだと思っている。ただし…、というところもふまえておきましょうということである。
 日本では今の制度は2000年開始ということになっていてこのごろ主にその時期の本を10冊ほど古本で買って眺めているのだが、批判的な言及はない。しかしその後に韓国でほぼ同様の制度ができていく過程では障害者の側からの反対運動があったという。これはおもしろい。そこを詳しく聞きたいと私は思ったが時間切れだなった。ただこういうところが大切だと思う。比較して見えてくるものがある。それはこれからどうしていくかを考える時にも役に立つ。そのことを閉会の挨拶でも述べた。例えば『唯の生』『生死の語り行い・1』にもそのときどき運動がどのように対応してきたかを記録している部分がある。すくなくとも私は忘れてしまうので、やっとおく必要がある。
 そして今回のテーマについて、日本のなかでは成年後見を考える(考えなおす)勉強会(今は月1回東京でやっているのだそうだ)のうちの2月に1回分を今回の会場と同じ立命館の衣笠キャンパスで行うことに相談がまとまった。たぶんまず10月29日に開催。またお知らせする。

 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162214.htm
にもある。


 「■おわりに――まとめに代えて

 CRPDが「決められる人間」を前提している、またそうした存在を肯定しているという見方をどう考えるか。→そのように捉えることは可能である。そしてそれを批判的に捉えることもできる。
 (1) 審議過程も含め、CRPDにおいてそれほど(とくに広義の自傷について)立ち入った議論があったようには思われない。ただ基本的にはその人の意思はそのまま受け入れるべきとされていると解することはできる。例えば私はそれについて全面的には肯定的ではない。
 (2) 本人でなく他人たちが決めるしかない場面があることを認める。しかしそのことは後見制度を認めることを意味しない。他人たちが決める、すくなくとも決めることを助ける制度としてこの制度はよくない制度だと言える。
 ただ(3) 自分一人が決めることに対置されるものが「共同」であるという捉え方はときに単純にすぎるように思われる。(一人の後見人を置くことも一人ではある。)みなで知恵を出すほうがよいことがあることを否定しないが、それはいつものことてはない。
 (4) 決定のあり方を決めるという場合に、決める人を決めるという方法とどんな場合にはどうするかその内容を決めておくというのと大きく2通りある。後見制度は前者の一部あり、またうまく機能しない制度である。本報告では場合によっては後者が適していることを述べた。」


UP:201609 REV:
7.26障害者殺傷事件  ◇『現代思想』2016  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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