「■他害に関わらなくてよいこと
「他害」についてはどうか。他害に対する対処を是認する。加害を防ぐことがよいことであること、害があったら罰することを認める。そして次に「精神」が加害に作用する場合があることも認める。ならば精神医療による対処を是認するかというと、そうはならない。精神医療は他害に対する処置としての強制、他害を防ぐための処置としての強制医療を行うべきでない★12。
さきに全文を掲載した共同通信配信の文章([2016/08/02])では「まがりなりにも本人のために存在する医療を」とごく簡単に述べた。実際には、精神医療にはそれとは別のこと、強制医療、強制隔離が認められている。それでこのたびも医療に仕事をさせようということになる。だが、普通に考えれば、医療は本人の苦しみを軽減するためになされるものだ★13。だから他害の防衛に医療が関わることはない、しない方がよい。そう主張する。
だが、それはそのように定義するからであり、苦しみを減らすことと社会防衛の二つの仕事をいっしょにしてはならないというきまりはないと反論される。そしてたしかに歴史的にも医療は「社会防衛」のためにおおいに使われてきた(結核もハンセン病にもそんなところがあったこと、そして長い間、一九七〇年頃になっても「社会防衛」という言葉がまったく肯定的な語として使われてきたことを連載で述べた)。しかしそれにさらに反論でき、医療のこの場面からの離脱の正当化は可能だと考える。
たしかに二つの種類の仕事を同じ人・職種が担ってはならないとは言えない。そして実際、担ってきた。しかしそれだけにした方がよい理由がある。一つは、本業に支障がでるからである。まずふつうの意味での医療者であることは否定されないだろう。つまりその人は人の苦痛を軽減する仕事をする人である。その人が、それと別の目的を果たすためにかえって本人に苦痛を与えるといったことがあるなら、すくなくともそのことを疑わせることがあるなら、信頼も失われ、本来の仕事もうまくいかないということはおおいにありるうし、現に起こっている。二つの役割を同時にさせることは、本人のためと言いながら実はそうでなく、医療と称するものが本人のためにならないこと、むしろ本人に対して加害的なことをしているという合理的な疑いを本人に生じさせることになる。だから医療はこの場からは基本的に退くべきである。利用者の信頼を得るためにも、その人がよい状態になることを援助するためにも、医療者が防衛の仕事に関わるのはよくないということだ。
一つは、精神医療では犯罪の可能性を予測することができず、そのできない予測のもとでそれを抑止するためのことをしようとしてもできないから、あるいはできないからだ。これは私には実際のところどうなのかわからないところがあるから、実情を知る人に委ねる。ただ何も知らなくとも困難であろうとは思える。
そして一つ、医療、医療者であろうがなかろうが、述べたように、確率・可能性に基づいた強制的な処置は基本的に正当化されないからであり、よって行なうべきでないからであり、しなくてよいからである。」
「★12 それは、心神喪失・心神耗弱者である/なしの判断、それに基づく不起訴、刑の免除、軽減、そしてその判定を医療が担っていること、これらの是非とは別のことである。私は心神喪失による免責については、基本的には維持されてよいと考える。責任を問わないこことがあることが精神障害者に対する差別だという捉え方には同意できない。論じる機会があればまた別に論じる。なおある場面で免責がなされても、それが別のところでは「効かない」ことがあるのは事実であり、その先を考える必要がある。そのことを『自閉症連続体の時代』([2014/08/25])で述べた。
★13 「第一に、病・障害と大きく区切られるものにすくなくとも五つの契機がある。「病」は、まず@痛み・苦しみであり、A死に至らされることのあるものである。他方、障害はまず一つ、Bできないことであり、そして一つ、C形・行動・生活の様式が異なることである。そしてもう一つ、障害(病にも)に関連づけられてD加害性が言われることがある。以上、二つに加えて三つ、五つの契機がある。むろんこれらは様々に関連し合いはする。例えば痛いのでできないといったことがある。またとくに因果関係はなくても、痛いこととできないことは併存するし、できないことと変わっていることも併存することがある。このように、もちろん――いま分けてみた限りでの――病と障害は併存することがあるし、その各々に配した複数の契機が同時に存在することがある。
第二に、各々について、また各々についてなされることについての得失の両方が問題である。このことは、まったく当たり前のことだから言うまでもないことなのだが、実際にはその言うまでもないことがしばしば看過されてきてしまっているから、挙げておく。
第三に、その各々の意味・得失が本人といく種類かの周囲の人々の各々にとって異なる。すくなくとも異なりうる。その人々についても本人とそれ以外という以外にいく種類か分けようがある。
以上を合わせると、五つについて、本人とその他の人について各々の得失を見ておくべきだということになる。そしてその周囲の人が一様でない。」([2014/08/01])
同様のことを幾つかの文章で述べている。英語になっているものとして[2011]。もちろん病と障害を別様にも規定することはできるし、実際に私たちはそうしている。ただ、病に対応するところの医療とは基本的に苦をやわらげ死の到来を当座防ぐことであるという了解は、広く行き渡ったものではあるだろう。そしてその医療はときにできない部分をなおすこともできるから障害にも関わる。そのような具合にになっている。それは、最初の註でも言及したこと、精神疾患と言ったり精神障害(かつこの場合の障害は disorder の訳であることもある)と言ったりすることにも関わる。」