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統計的差別(事件後に7)

「身体の現代」計画補足・201

立岩 真也 2016/09/05
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1771264446473868

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『私的所有論  第2版』表紙    『現代思想』2016年9月号 特集:精神医療の新時代――オープンダイアローグ・ACT・当事者研究…・表紙    『弱くある自由へ』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題」という文章が以下にあげられている[2001]
http://www.arsvi.com/ts/2001043.htm
で、『希望について』に収録されている。ここのところは、特集:精神医療の新時代――オープンダイアローグ・ACT・当事者研究…、という、現在発売中の、『現代思想』9月号に、連載の代わりに書いた「七・二六殺傷事件後に」を分けて載せていて――とても長くかかるから『現代思想』買ってください――その7回め。目次や文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20160030.htm
 フェイスブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162201.htm
にもある。


「■加えて言わねばならないこと
 […]
 「精神障害ゆえに犯罪が起こる」という文が何を意味しているのかを考える必要があるだろう。ここでは犯罪の方は問題にしないとしよう。すくなくとも人を殺すことは非難されるべきことだとしよう。すると精神障害とは何かという問いが一つ、精神障害が犯罪をもたらすということがどういうことかという問いが一つである。これは単純な問いだが、うまく答えるのはそうたやすくはない。ただ本稿ではこの問いに直接に答ようとはせず、この文が基本的には不要であることを述べていくことになる。
 なぜ措置入院といった強制医療が認められているのか。自傷他害の恐れがあるからだとされる。
 だが一つ、「自傷他害」というが、「自傷」と「他害」は、ときに同じ人が同じ時に両方行なうことがあるとしても、別のことである。性格としてもだいぶ違うことである。これをいっしょにするのはよくない。そしてもう一つ、実際に行なっているのとその「おそれ」があること、この二つもまた違う。
 以下で述べることを短く要約する。自傷については「おそれ」には慎重である必要があるとしても、医療が面倒をみてもよいだろう。しかし他害については基本やめた方がよい。そして基本的によくないのは「おそれ」によって人を拘束することである。これをまったくなくすことは困難であるとしても、できるだけやめた方がよいことは言える。医療は、ふつうに考えても困難な予測や予測に基づく監禁等に関与しない方がよい。代わりに、刑事司法が現行犯に対応するというやり方がある。すると精神障害による「おそれ」を考慮する必要はなくなり、その真偽(の度合い)について議論する必要もなくなる。以下説明する。

 ■確率
 まず精神障害が犯罪が起こることに関わることがあることは認める。認めた上で、問題は、その可能性はあるとしたうえでどう考えるかである。個人の水準でも、過去にやったことがあって、またそれを行なう可能性があるといった場合に、行なうことまた再度行なうことが疑われる。おそれがあるから、可能性があるから、さらに確率が高いからとして、それを防ぐためになされる。
 それを全面的に拒絶できるかとなれば、完全になくすことができるとは思われない。確率を使うことが認められる場合はある。望ましいことではないが、廃絶することはできないだろう。
 例えば発作が高い確率で生ずる疾患があって、その発作中に事故が起こると乗客の生命に関わる危険性が高いといった場合、その人をその仕事をする人として採用しないことは仕方がない、断わることができると考える。発作、そして事故は起こらないかもしれないのにその人は仕事につけない。相手の必要があっての仕事であるからその条件をうまく満たさない場合には仕方がないとするのである。その人がその仕事に採用されないことにおいて残念なことではあるが、その人は他の職を探しその職に就くこともできるだろう。また仕事につけなくても生活はできるようにすることもできる。
 確率による対応を常に否定することはできない。仕方なく認められる場合もある。ただ「統計的差別」が生じないようにするべきであり、そのための手立てを考えることはできる。そのことについて述べてきた★09。
 ではこの場合はどうか。」

「★09 「差別の経済学」と呼ばれる領域で統計的差別が言われることは『私的所有論』で紹介している([1997][2013:610-611]、英語版[2016/08/31]は電子書籍で頁を示せない)。できるのにできない(確率が高い)とされる範疇に入れられることによる差別が選ぶ側の合理的な選択の結果として生ずる。合理的な行ないだが望ましくない。それにどのように対応するかということになる。障害者雇用について考えた[2001]でもわずかにだがふれている。」


UP:201608 REV:
7.26障害者殺傷事件  ◇『現代思想』2016  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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