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特集が「精神医療の新時代」の、あと数日で発売の『現代思想』9月号で、私は予定を変えて「七・二六殺傷事件後に」という文章を書くことになった。目次や文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20160030.htm
にある。それをしばらくきれぎれに掲載していく、その2回め。
註にでてくる『精神医療』については
http://www.arsvi.com/m/p.htm
フェイブックに載せるのと同じこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162196.htm
にもある。
「■事件に関わり二つ書くこと
[…]
ここではどう対応するべきかについて基本的なこと述べる。私は強制、権力の行使が正当化される場面があることを認める★03。ただ「自傷他害」と括られるが、分けるものは分けた方がよい。両者は異なる。そして他害に対する対処、罰が正当化されることは、その可能性に関わる強制が正当化されることではない。医療は――現実にどうであってきたかは別として――自傷については対応してよいことがあるだろう。ただ医療は他害に対する対応から基本的には撤退するべきである。この単純なことを述べる。
次に、来月号分に関して。その二冊になった部分の後、その連載では「生の現代のために」というシリーズ?になり、ここしばらく一九六〇年代の国立療養所のこと等を書いてきた。四月号から五回書いてきたが、すこしも終わらず、まだだいぶかかるだろう。そしてそこに記したことは施設収容政策や障害者殺しにも関わっており、実際いくらかそこで起こったことを記してもいる。それを一部繰り返しながら、十月号では障害者殺しがいかに実行され肯定され、また批判されたかを記していく。」
■註
★03 『精神医療』(この雑誌については『造反有理』参照のこと)に依頼された原稿([2016/10/10])では、その特集が「国家意志とメンタルヘルス」であったこともあり、国家について記している。本誌連載でも「素朴唯物論を支持する」([2013/01/01])とその前にかなりの回数関連したことを書いたことがある。ただその部分は本になっていない。そんな話を今さらしてどうなるのだという気持ち、ためらいがあってのことだ。「分配」について強制、政治権力の行使を認めるべきことの根拠は『自由の平等』([2004])、『差異と平等』(立岩・堀田[2012]の筆者担当部分)で述べた。
なお本稿と[2016/10/10]と[2017/03/**]はその事件があった後、それを受けて同じころ書かれた。内容や表現におおいに重複する部分のあることをおことわりておく。」