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遠離・遭遇

「身体の現代」計画補足・194

立岩 真也 2016/08/21
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1765240790409567

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『弱くある自由へ』表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙    『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙    『差異と平等――障害とケア/有償と無償』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 前回出てきた谷村ひとみは
http://www.arsvi.com/w/th09.htm
 そこの部分をまず。
 「シングルマザーをしながらシングルマザー研究をしている谷村ひとみは、資格が比較的簡単にとれる仕事として(ちなみにさきに記した介護保険外の制度の場合は、資格なしでもできなくはない)、そして長く続けられる仕事として多くの人がこの業種に就くこと、その職にたどり着くにあたっての経緯を記している(谷村[2013])。シングルでない人もたくさんいる。そうわりがよくはないが、多く働けばそれで食べていけないことはない仕事、空いている時間を使いいくらかを稼ぐ仕事としている人がいる。一筋縄で行かないことは明らかだが、そこにどんな筋を見出すことができるか。それが佐草(たち)の仕事になるかもしれない。」
 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
補章の「3 穴があいているので埋める・塊を作る」より「福祉労働についても」の続き。「私は、この…」以下の部分も前回と重複。私が介助について書いたものとして長いのは『弱くある自由へ』に収録されている「遠離・遭遇――介助について」
http://www.arsvi.com/ts/2000b1.htm
その後「ケアもの」が種々書かれているけれども、まずこれは読んでおいてもらってよいものと思う。そして、「本流でない方」他について『生の技法』。
http://www.arsvi.com/ts/2012b3.htm
今出ているのは第3版。すでにその初版でなされている有償の仕事とすることの正当化についての議論は、『差異と平等』
http://www.arsvi.com/ts/2012b1.htm
で続けられている。共著者の堀田義太郎が無償を支持する議論をしている。私はこれまでの立場を変えていないが、いくらか論を深められていると思う。

 フェイスブック上のこの文章と同じ文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162194.htm


 「■福祉労働についても
 […]
 私は、この高齢者介護〜介護保険という「本流」の方についての知識はない。「障害者関係」――といっても高齢者も障害者だから介助が必要なのだが――同性による介助を原則とするから男性も多く、学生も含め比較的に若い人たちが多い介助者の世界、その利用者の世界のことをすこし知っている。それと比較対照したときに何かが見えるのか、それもまだわからない。ただ事実として、まず一つ、端的に言えば公務員として派遣されるヘルパーを嫌った人たちを知っている。そして、専門性を言って自らを正当化する、そのものの言い方はそう主張する人自身にとってもよくないと考えてきた。むろんそれは、その仕事に熟練を要する部分があることを否定するものではない。さらに、公務員であること、常勤公務員であることを否定することにもならない――実際、一九七〇年代から八〇年代、公務員ヘルパーを批判した人たちにも公務員化を支持した人たちはいる、そのぐらいには事態は複雑だ。介助(介護)者の労働条件をよくすることについて異議がない。それは言うだけならいくらでも言えることだが、だから言うことにして、言ってきた。介助者・ヘルパーの労働運動の再建あるいは開始の動きもあって、それも必要だと思う。その上で、どのようにその職とその条件を肯定するかである。
 それをこの業界・学界にまかせると多く「専門性」の話に収斂させられる。それに対して別のことを言うことができるし、別のことを言うべきだと思う。そのように口をはさむことができる。」


UP:201608 REV:
『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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