『生活保護リアル』書いた
http://www.arsvi.com/b2010/1307my.htm
三輪佳子(みわよしこ)は
http://www.arsvi.com/w/my18.htm
中村亮太は
http://www.arsvi.com/w/nr04.htm
『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
補章の「3穴があいているので埋める・塊を作る」より「政策系」の2。
フェイスブック上のこの文章と同じ文章は
http://www.arsvi.com/ts/20162188.htm
■政策系
それにしても、普通に社会保障だとか社会福祉だとか言われている領域は、社会政策学とか社会福祉学がやってくれている、はずである。かつてあまり研究者の層がなかった社会学でもこの種の領域の研究者が一定でてきている。よいことだと思う。それでも、すこし混んできたかなというぐらいではないだろうか。まだやっておいてよいことはたくさんあって、大学の教員用人材は過剰なのだが、研究している研究者は足りないといった具合だ。
[…]
そしてとくに公的扶助・生活保護は、本来は「王道」の主題のはずである。だがしばらくこの主題は社会福祉学のなかでもあまり流行らなかった。それが今般の(といってももう随分長い)社会状況のために盛んになってきた。貧困が当たり前のこの状況自体はよからぬことだが、研究は出てきている。だからここでは、どこを掘っても何を書いても新しいということにはならない。ただ、なされてよいことがなされていないところはある。この領域にかぎらず、全般に言えることとして、新しいことについての研究がなされていない。それはいくらかは当たり前でもある。近年のことについて、それより以前に研究のあるはずがない。しかしまだ新しいうちに取り上げて分析を加えておくことは、次の手を考えるためにも必要なことだ。そして、これもやはりこの領域に限らないのだが精度を上げることだ。この十年ほどの間に何が変わったか、どこが変わったのか。まだこれからだが、そんな仕事を続けていけば、まっとうなことが言えるはずだと思う。
三輪佳子は(後期課程への)入学前、既に著書『生活保護リアル』(三輪[2013])のあった人だが、論文を書くのとはそれとは違う。かと言えば、基本的な違いはないと私は思う。審議会に通いつめるなど政策決定や支給・受給の現場をよく知っていることは、非常に有利に作用する。ただ、そこから印象的な事例を示しつつ、ことがらを大きく括るのが、売れる本にすることであれば、他方で、記述の精度・密度を上げていくという方向がある(三輪[2016])。たぶんそれは本にしても売れない。しかしやっておいた方がよいことではある。そして、中村亮太はつい数年前の、しかしもうよく覚えていない「バッシング」報道・騒動でまず一つ書いた(中村[2016])。やはりここでも、一つひとつのことを追って積んでいく仕事をしていく必要がある。