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天畠大輔『声に出せないあ・か・さ・た・な』

「身体の現代」計画補足・178

立岩 真也 2016/07/14
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1750203645246615
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天畠大輔『声に出せないあ・か・さ・た・な』・表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『声に出せないあ・か・さ・た・な――世界にたった一つのコミュニケーション』は以下に出てくる天畠大輔の本。
http://www.arsvi.com/b2010/1205td.htm
 こうして「補章」の引用を続けている『生存学の企て』は
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
 フェイスブック上のこの文章と同じ文章が
http://www.arsvi.com/ts/20162178.htm
にあってそこから天畠の本も注文できる。

 「■孤立が悪いわけではないが、そうもいかない時
 言語や、行動の様式は、身体そのものではないとしても、身体に付着しているものであり、すくなくとも完全に自由になるものではない。そんな意味で物質的なものである。その自分(たち)のものが、別の方式・様式でやっている多数派との間でうまくいかないといった場合がある。
 […]
 そして天畠大輔が考えているのも、ただの逐語通訳ではうまくないという場面だという意味では共通するところがある(天畠・黒田[2014])。彼は、詳細は省くが、世界で一番障害の重い大学院生かもしれない。通訳者が「あかさたな」と唱え、本人が身体をおおざっぱに動かして例えば「さ行」を指示し、「さしすせそ」と唱える間に同じことをして例えば「す」を確定する。そんなわけで言葉の発信にひどく時間がかかる。それを一字一字拾っていくと手間がかかる。そこで「先読み」できる通訳者がいるとよいということになる。とすると、発話者の「主体性」というのはどれほどのものになるのか。例えば――というのは、視覚障害があって身体が細かに動かない天畠の問題は発話の速度の問題だけではないと私には思えるからだ――そんなことを天畠は考えている。そして飯田が考えているものと天畠が考えていることと共通するところもあるが違うところもあるはすだ。どこが違うのかを考えることは、自分が何を考えるかをわかるために有益なことがある。」


UP:201607 REV:
『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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