以下に出てくる韓星民の『情報福祉論の新展開――視覚障害者用アシスティブ・テクノロジーの理論と応用』は
http://www.arsvi.com/b2010/1203hs.htm
その前に出てくる、青木慎太朗(墨字本のほうの名前の記載が間違っていることに今気がついた(→失礼))編の『視覚障害学生支援技法 増補改訂版』 (青木編[2010])は
http://www.arsvi.com/b2010/1003as.htm
「補章」の引用を続けている『生存学の企て』は
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
フェイスブック上のこの文章と同じ文章が
http://www.arsvi.com/ts/2016176.htm
にあってそこから『情報福祉論の新展開』も注文できる。
■孤立が悪いわけではないが、そうもいかない時
[…]
言語や、行動の様式は、身体そのものではないとしても、身体に付着しているものであり、すくなくとも完全に自由になるものではない。そんな意味で物質的なものである。その自分(たち)のものが、別の方式・様式でやっている多数派との間でうまくいかないといった場合がある。
まず、普通の技術で、また日々進歩している技術でかなりのことができる場合はある。視覚障害のある大学院生が複数いたこともあって作られ、センター報告として刊行された青木慎太朗編[2009]、作った2000部がなくなって増補して出した[2010]にその方法がまとめられている。また博士論文が本(韓[2012])になった韓星民(ハン・スンミン)の仕事もそんな方向の仕事だ。韓は韓国からやって来てもう日本での生活の方が長い人で、弱視の人だ。視覚障害の人のための機器を開発し販売する会社に勤め、博士論文を書き本を出した後、現在は日本の大学の教員をしている。そして堀田[2012](第4章1)もそうした技術の開発・変遷についての報告である。
視覚障害などの場合になされてるのは、基本的には逐語的に字を点字にする、音声にするといったことだ。音声が出ない人がPCを使う場合も基本的には変わらない。ただそれだけですまない場合、すくなくともそのように思える場合がある。普通に上手な翻訳者・通訳者がいれば、あるいは機械・ソフトがあればそれでみなうまくゆくとは限らない。」(続く)