博士論文「所与の選択――こどもの文化選択をめぐる規範理論」を書いた片山知哉の本業は精神科医。
http://www.arsvi.com/w/kt24.htm
『生存学』第3号にも第4号にも論文を書いている。
「先端研」での博士号取得者・取得論文一覧は、少々わかりにくいところにあるのだが
http://www.r-gscefs.jp/?p=88
にある。以下まだまだ「補章」の引用を続けている『生存学の企て』は
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
フェイスブック上のこの文章と同じ文章が
http://www.arsvi.com/ts/2016175.htm
にあって、そこから『生存学』第3・4号も含め注文できる。
「■孤立が悪いわけではないが、そうもいかない時
そして次に、同じものあるいは異質なものが交わることについて。「セルフヘルプ・グループ」についての研究は後出の白田幸治のもの以外まだ意外にここにはないから、後者について。
まず、異質な他者との交流といったものはたいがいよきものとして語られるのだが、それはよいのか、必要なのか。
趣味が違うのなら別々に暮らしていくというのは一つのあり方ではある。「孤立」はなにか否定的に捉えられることがあるが、そう決めてかかることはない。孤立主義はあらかじめ否定されるようなものではない。片山知哉が「ナショナリズム」を言うのにもそんなところがある(p.225、片山[2014])。仲良くすることがあらかじめよいことにされているが、つきあわないというやり方もあるということだ。そうした欲望も、ときにはその権利も認めた上でどう考えるのかということだろうと思う。分離主義も――それはどこにいる人が言うのか行なうのかで、例えば追い出したい人たちが言うのかそうでないのかで、まったくその意味が違ってくるのだが――ありうる。
ただ、実際には接触してしまう。それは望まれるからであることもあるし、生活のため仕方なくということもある。そのときにどうするか。例えば言葉が異なるときにどう考えるか。
言語や、行動の様式は、身体そのものではないとしても、身体に付着しているものであり、すくなくとも完全に自由になるものではない。そんな意味で物質的なものである。その自分(たち)のものが、別の方式・様式でやっている多数派との間でうまくいかないといった場合がある。」