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イム・ドクヨン「韓国におけるホームレス歴史研究」

「身体の現代」計画補足・172

立岩 真也 2016/06/30
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1744103679189945

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『差異の繋争点――現代の差別を読み解く 』・表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 イム・ドクヨンは韓国から留学してきて2015年に博士号取得。現在は韓国の研究所で働いている。
http://www.arsvi.com/w/ld01.htm
この頁には出ていないがイム[2016]は
http://www.r-gscefs.jp/wp-content/uploads/2016/04/コア・エシックス12号_02_【論文】林.pdf
 以下はそのイムが出てくる『生存学の企て』
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
の「補章」からの引用。前回紹介した大野真由子の研究と関係させるのにはやはり無理があるようにも思える。ただ、それでもたしかに「括ること」「括られること」を巡る共通の構造があるとは思う。そして包摂(と言わないとしてとにかく生きられること)と排除(括られ外され閉じられる…)はときに別々のことではないことをどう考えるかという問いはあると思う。そのことに関わることをしばらく私は『現代思想』に書いている。
 関係する本として『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』がある。フェイスブック上のこの文章と同じ文章が
http://www.arsvi.com/ts/2016172.htm
にあってそこから注文もできる。


 「イム・ドクヨン(林徳栄)は韓国のホームレスを巡る歴史を辿った優れた博士論文「「韓国におけるホームレス歴史研究――政策カテゴリーとしての「浮浪児・人」から「露宿人等」まで」(イム[2015])を書いた(その後イム[2016])。それが大野真由子のCRPSの研究とどんな関係があると思うだろう。ただ、この二つを並べて見い出せるものはある。イムは、戦後の各時期にどんな人たちがホームレスになりやすかったのかというその経緯とともに、為政者の側がその時々にどんな人を取り締まり〜保護の対象にしてきたかを追って、それぞれの時になされたことを記していった。そうして取り締まられた人たちは、たしかに他人たちから取り締まりの対象にされたのだが、包摂と排除はときに別々のことではない。日本のことを振り返ってもそうだ。ハンセン病や結核の人たちが取り出され、取り締まられた。そして、取り締まれた後、閉じられた環境の中での生活を営むことになった。むろんその人たちはその処遇に反発し組織的な運動を起こしたが、例えば結核療養者のベッドに空きが多くなり、それを廃止しようという時には、それに対する入所者の反対運動が起こった。なにかであること、あることを示すことは、排除とともに救済を意味することがあり、この二つは時に別々のことではない。そこをどうしたらよいのか、どう考えたらよいのか。
 身体に痛みをもたらす病・障害とホームレスという一定しない範疇。独立した事象のように見える双方に関わることがある。複数のものがあることによって同じ問いがあることに気づく。そのことが次を考えさせることになる。」


UP:201606 REV:
『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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