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なおりたい/そのままでいい

「身体の現代」計画補足・169

立岩 真也 2016/06/21
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1740727169527596

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田島明子『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ』・表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 以下に出てくる田島[2009]は『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ』は今回のHP版
http://www.arsvi.com/ts/20162169.htm
から注文できます。『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』補章より。  6月26日(日)に説明会ある研究科でも、どこでも、複数がいて考えられる、ということがある。
http://www.r-gscefs.jp/?p=124
 また最近のインタビュー、とあるのは『考える人』という雑誌に掲載されたもの。
http://www.arsvi.com/ts/20160006.htm
 人がたくさん出てくる。『生存学の企て』
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
の文献表の頁からリンクさせてあります。


 「■2 両方・複数がいて考えられる

■なおりたい/そのままでいい
 まず、ただ本を年の順に並べたが、序章(p.17)で、人々が一定の数ぼつぼつと集まってきたこと、しかも違う人が集まっていることに意味があると述べた。以下、このことに関わって、さきとあまり重複しないように、書かれたものを並べながら、いくつかその実例をあげていく。数が多くなりすぎるので、博士論文のもとになった論文はほぼすべて略す。また以下に出てくるのはほぼ筆者(立岩)が関わった人たちに限られることをお断りしておく。
 障害がある身体には手をつけず、社会が補えばよいというのが、ごく単純化した障害学の主張だと述べた。ただこれはむしろ少数派の主張であって、だからこそ意義があるのでもあるのだが、いったん驚き、そしてその意義を認めたうえで、やはりなおりたいことはあるし、それは不当なことではないようにも思われる。そう言えば、それはそうだと障害学者も障害者運動家も答えるだろう。例えば病人はなおりたいだろうし、それはもっともだ、しかし私たちは病人ではない、障害者だといったことを言う。しかしその病気と障害はどこがどう異なっているのか。そして近年は――と言ってももう長いこと――専門家の方から「障害受容」を勧められることがある。これももっともであるととにも怪しげでもある(cf.田島[2009])。例えばそんなことを考えていくという方向がある。
 最近「生存学」を紹介するインタビューで「全部ひっくるめて考えたときに、治る/治すことはいいことなのだろうか、明日にでも治りたいという人もいれば、ひとまずはこのままでいいやという人もいる――そういうあわいというか境といったものをちゃんと考えましょうというのが「生存学」のスタンスです」といったことを語っているのだが(立岩[2016])、そういう部分こそおもしろいと思う。それを一人で考えてもよいのだが、実際になおりたい人たちとそれほとでもない人たちがいるから、その人たちやその人たちが言っていることを調べてみるという手もある。
 例えば、「聾文化」という言葉は一部の人に知られている。その立場からは、聞こえるようになろうとすることはそこから離脱しようという行ないであるともされる。「手話は言語である」という主張は知られている――日本語の語順他をなぞった「シムコム」と呼ばれる種類のものではなく、聾者たちの間で使われる独自の文法他の構造をもつ日本手話がある――が、その日本手話による教育を行なうフリースクール「龍の子学園」の活動が始まりそして「明晴学園」という学校になった経緯、そこで起こったことを調査して論文を書いているクァク・ジョンナンがいる(博士論文は準備中、既発表の論文にクァク[2014][2015][2016])。他方に、クァクと、そして聾者でもある甲斐更紗(センターの研究員を務めた、甲斐[2013][2015])と時々極小の勉強会をしてきた田中多賀子は、その息子が人工内耳を初期に使い始めた人でもあり、日本で人工内耳が普及してきた経緯を調べている(田中[2013])。
 また植村要は、粘膜他を冒される――薬の副反応が主な要因だと言われる――スティーブンス・ジョンソン症候群(SJS)で失明した人なのだが、この同じ障害で視力回復の手術を選んだ人に、その前のこと、決めたときのこと、その後のことを聞いた。そのままで暮らしている人にも聞いた。そして「視力回復手術を受けたスティーブンス・ジョンソン症候群による中途失明者のナラティブにおける「治療」についての障害学的研究――当事者性を活用したインタビュー調査から」(植村[2014])という長い題の博士論文にした。結局、どちらにもはっきりとは落ち着かないという、当初の彼の感覚とそう違わない話になった。しかしその「どちらとも(簡単には)言えない」ということを説得的に言えれば、それはそれで意味がある。答が出ない条件を一定の精度で示すという論文には存在価値があるということだ。
 またやはり自身が脊髄損傷者でもある坂井めぐみが研究しているのは、脊髄損傷の人たちとその団体とその活動なのだが(坂井[2013][2014])、その一つ「日本せきずい基金」は脊髄損傷がなおるようになるための基金である。事故である日突然障害者になるという事情もあり、多くの人はなおることを強く望む。しかしその上で、変な(なおらない、危険な)なおし方を受けいれるわけにはいかないということはある。そしてなおらない間は、障害者として必要なものを得ようとする。そうしたまずはまっとうと思える動き――というのは、ひたすら治療法を求めだんだん暗くなっていくといった、バランスを欠いている活動、組織もあるということだ――他を追っている。
 さらに、さきに近刊を予告した吉野靫――博士論文(吉野[2013])提出後の、本が出る手前の論文に吉野[2015]――は、「性同一性障害」とそれを巡る医療・制度について書いてきた。手術の技術や前後の対応の拙さが表に出にくいその事情を吉野は明らかにする。さらに、吉野は身体を変えることを否定しないのだが、「きちんと」変えないと戸籍上の性別が移動しないという仕組みを問い、どちらかにすっきり変えるように定めてしまうのはおかしいと主張する。
 そしてこの問題・主題は、当然、精神疾患・障害、発達障害にも関わる。補章4の最後でその方面の研究・研究者を紹介する。(関連する拙文にTateiwa[2011]、他に『造反有利』『自閉症連続体の時代』等に関連する記述あり。)
 そして注記。この補章2の次の項から、すこし話がややこしくなっているかもしれない。まず飛ばして3(p.203)に進んでもらってもよいかと思う。」


UP:201606 REV:
『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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