HOME > Tateiwa >

国立療養所・3冒頭

「身体の現代」計画補足・162

立岩 真也 2016/06/07
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1735732363360410

Tweet


  『現代思想』2016年4月号 特集:教育サバイバル・表紙    『現代思想』2016年5月号 特集:人類の起源と進化――プレ・ヒューマンへの想像力・表紙    『現代思想』2016年6月号 特集:日本の物理学者たち・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』にいつまでも終わらない連載をさせていただいている。今発売中の6月号(特集:日本の物理学者たち)
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#06
に掲載されているのは「国立療養所・3――生の現代のために・13 連載・124」というもの。
数字が多くてもうしわけありません。以下はその冒頭。この回については
http://www.arsvi.com/ts/20160124.htm

 「■入所者の組織の位置・続
 国立療養所の所長らが執筆者になった『国立療養所史』から、前回は、「日本患者同盟(日患同盟)」、そして療養所の労働組合とその連合体に関する記述を少し拾った。日患同盟については説明した。終戦直後次々に結成され、そして国立療養所・国立病院の再編とともに再編され合同してできる「全日本国立療養所労働組合(全医労)」については「総括編」の第六章第一〇「職員の団体活動」の第三「全日本国立医療労働組合」に説明がある★01。その組織はレッドパージにあって勢力をいっとき弱められることもあった。
 そしてハンセン病療養所★02の入所者たちの組織、一九五一年結成の「全国らい患者協議会(全患協)」、八三年に改称して「全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)」がある。
 各々の組織にはそれぞれ歴史もあり、その活動を担ってきた人たちによって書かれたものもないではなく、資料もあり、その蓄積・整理の作業があることも紹介した。だからそれぞれについて私が書く必要はない。ただ一つ、たしかに大きな働きをした日患同盟他の動きこそが――それに自ら積極的に参与してきた人たちが書くとそうなるのは当然のことだが――「患者運動」であり、その後の運動の全部を導いたのだとするのは単純にすぎることを書いておこうということがあった。それは重要な一部ではあるが、それと別の流れとを区別したり、関わりを見ながら捉えていく必要がある。
 また一つ、そうした組織が、どのような範囲・限界のもとで動いたか、一つ、何を使って動いたのか、そして一つ、その勇敢な歴史が、別の場からどう見えていたかを紹介してもよいと思った。
 それで前回、経営者たちが、入所者の組織そして労働者の組織に苦労させられ、それでずいぶん嫌いもしたことを紹介した。それは当然のことではあった。ただすべてについて否定的というのではなかった。例えば「朝日訴訟」については肯定的に紹介されていた。これもまた不思議なことではない。国立療養所も国の予算で運営されているのだから、社会福祉や医療の充実は、入所者も、労働者も、経営者も、そして厚生行政の側も求める。ここまでについて、総論の部分では、一致している。しかしそのうえで、結核療養者の収容からの転換については、必然のこと、仕方のないことと経営の側は考えていて、そこは大きな対立になる。

■註
★01 「終戦後、全国の各地に労働組合結成の機運が急激に発生した。傷痩軍人療養所の国立療養所への転換とともに各国立療養所に職員組合が結成された。昭和二一年八月、東京療養所、新潟療養所など一〇箇所の組合で、全日本国立療養所職員組合(全療)を結成、同二二年日本医療団の結核療養所が国立療養所に移管されるとともに、それらの療養所の組合である全日本医療団従業員組合(全医従)、日本医療団職員組合総連合(総連合)も全療に参加した。
 一方、陸海軍病院から転換された国立病院においても、各地に職員組合が結成され、全国立病院労働組合(全病)へと発展した。全療、全病ともに、昭和二二年八月、厚生大臣と労働協約を締結し、団体交渉、組合員の組合事務専従、運営協議会が認められ、各支部もそれぞれ療養所と協約を締結するようになった。昭和二三年一一月、全療と全病の合同の機運が熟し、全日本国立医療労働組合(全医労)が結成された。合同当時の全療の組繊人員は一二〇〇〇名で、委員長は堀江信二郎であった。
 新発足の全医労は、組合員は全職員の約七〇%の二五〇〇〇人であり、翌昭和二四年、組合活動を規制する人事院規則が相ついで制定され、その年の一二月、全医労は、第三回臨時全国大会の決議に基づいて、人事院に登録して、法内組合となった。」
 そして表がある。一九五〇・五五・六〇・六五・七〇・七三年に、支部数が一九一・一七三・一九二・二〇一・二一〇・二一五、組合員数は二二四一八・一七二〇三・二一〇九二・二〇四二四・二三三〇〇・二五七二三。注が付されていて「昭和三〇年に減少したのは、昭和二四年のレッド・パージーによる」と記されている(国立療養所史研究会編[1976c:662-663])。
★02 予防局の所管だった国立らい療養所は、連合国軍の軍政下に置かれた三箇所を除いて九箇所。それらが一九四五年一二月に新設の医療局に移管された。国立療養所松丘保養園(青森県東津軽郡新城村)、国土療養所東北新生園(宮城県登米郡新田村)、国土療養所栗栖楽泉園(群馬県吾妻郡草津町)、国土療養所多摩全生園(東京都北多摩郡東村山町)、国土療養所長島愛生園(岡山県邑久郡裳掛村)、国土療養所邑久光明園(同上)、国立療養所大島青松圏(香川県末田郡庵治村)、国立療養所菊池恵楓園(熊本県菊池郡合志村)、国立療養所星塚愛敬園(鹿児島県鹿屋市)。軍政下に置かれたのは沖縄にある国頭愛楽園、宮古南静園と鹿児島奄美大島にある奄美和光園の三施設。そして軍事保護院から医療局に所管が移った一箇所、傷痍軍人駿河療養所も国立療養所に移管された。(国立療養所史研究会編[1976c:134])」


今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162162.htm


UP:201605 REV:
『現代思想』  ◇『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
TOP HOME (http://www.arsvi.com)