立岩真也「自分の業界の学では飽き足らない人等:『生存学の企て』序章8――「身体の現代」計画補足・156」
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自分の業界の学では飽き足らない人等:『生存学の企て』序章8

「身体の現代」計画補足・156

立岩 真也 2016/05/18
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1727978627469117

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有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙    『生存学』9・表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』の紹介の8。
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
この生存学研究センター編の本、私はその「序章」と「補章」を書いた。「序章」を紹介している。
 第6回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162154.htm
 そこで紹介したのは有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』だった。この『企て』では第1章で取り上げられている。そこを紹介する時にまた紹介するが、よい本です。どうぞ。
http://www.arsvi.com/b2010/1311ar.htm
 前回は第7回。そこに出てくる「先端研」という大学院の研究科は年に2回、9月と2月に入試があって、それに合わせて入試説明会がある。9月入試の前のは5/26(衣笠)・6/5(茨木)・6/26(衣笠)。
http://www.r-gscefs.jp/?p=124
 また私見あり不正確なところもある情報古い情報は
http://www.arsvi.com/u/gsce.htm
 なお前期課程(修士課程相当)の学費、来年度からこれまでの半額強に値下げになるらしい。

 と記したその第7回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162155.htm
 その最後は「そのお客たちを3種類に分けることもできる。」だった。先端研という名称の研究科のお客さんの話である。今回はその続き。そのHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162156.htm

 「そのお客たちを3種類に分けることもできる。〔まず一種類め。〕さきほど供給側の学問を「くさす」ように受け取れるかもしれないことを言ったが、そうした職業人たちが、大学の教員等含め、けっこうな割合を占める。お金も(相対的に)あり、教員なら学位があることも有利になるという事情もあるだろう。もっともな事情だ。ただ同時に、その仕事に誇りをもっている――やっている以上持つべきだと思う――が、どこか納得のいかない部分ところもある人もいる。それでそのまま一生を過ごしてかまわないのだが、それでは気持ちがわるいという人がいる。あるいは「実践」はおもしろいのに、それに対応する「学」のほうはそうでもないと感じる人もいる。例えば看護という仕事はおもしろいし生きがいも感じるが、それを看護学が書くとそうでもない。なにか違う書き方がないのかと思う人がいる。
 他方に、「本人」がいる。研究科は2003年度から始まったが、例えば、これまで視覚障害がある人が8人やって来た。前期課程で卒業し修士号をとった人が2人、自営で視覚障害に関わる政策・調査の関係の仕事をしている人と、大学の障害学生支援支援の職員として働いている人といる。博士号をとったのは2人、1人は大学の教員になった。そして在学中が4人、といった具合だ。車椅子の使用者がそれより少し少ないぐらい。精神障害・発達障害の人は、定義によるので何人と数えられないが、よりたくさんいる。なかにはその自覚をもち、その立場で研究しようという人もいる。
 そして、はっきりとした境い目などないし、国籍やら性別に関わる種々を加えるとさらに種々の分け方ができるが、とりあえずいずれでもない人たちがいる。その人たちはその人たちで好きなことをすればよいのだが、さきにあげたような主題、そこからつながること――と言うとほぼなんでも入ってしまうのだが――に関心をもって来る人もいる。最初はそうでもないのだが、だんだんと、さきの二種類の人々のやっていることや言っていることに、ときに辟易〓ルビ:へきえき〓としつつ、関心をもつ人たちもいる。
 各々の利害も違うし、発想も違う。互いにむっとすることがある。何かに思い入れる情熱の存在は理解するが、その由縁もその強度も不可解に思われることがある。その差異や不満を口にはしない人もいるが、口にされることもある。今のところあまり大きな喧嘩が起こっているのを目にしたことはないが、ありうるし、あってよいだろうと思う。ここは、たまたま、というかさきに述べたように、なんでもありとしたうえで、集められた教員になにかしらの偏りがあったためか、そんな場としてある。あるいは、ありうる。
 こういうことが大切だと思う。業界の学があって、それに対抗するスタンスの学があって、双方がそれぞれ別に店を開いていても、そんなに面白くはならないように思う。どこが考えどころなのか、争いどころなのか、それがリアルにわかる、感じられるような場があったらよい。生活は平穏であることが望ましいとして、生活をわざわざ生存などと言わない方がよいとして、「学」は尖〓ルビ:とんが〓っていた方がおもしろい。そして、おもしろくなくても、仕方なく見たり考えたりしなければならないこともある。
 例えば、ここしばらくの動向を見ると、数的な調査をしないと――このケース数でいったい何か言ったことになるのだろうかというものもあいかわらず多いのだが――受け入れてもらえないという状況がいくらかは変化し、そして「質的調査」はわりあい単独で行なうことができるということがあって、そこそこの蓄積はある。するとその部分に似たような「研究成果」がたまる。そうした研究がたくさんなされるのはよいことだ。ただ、人間が好きな人は制度のことを知らないことが多い。現場を成立させている条件を見ずに「ケア」が語られたりすると、それでは困ることがある。そんなことはないと、たくさん研究があると思われるだろう。ところがそうでもないのだ。その不足と必要も、臨床と制度、現場と理論といった、分けようと思えば分けられる二つが接触する辺りに現れる。その一端については補章ですこし述べる。」


 第1回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162140.htm
 第2回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162143.htm
 第3回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162151.htm
 第4回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162152.htm
 第5回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162153.htm

UP:201605 REV:
『生存学の企て』  ◇『腎臓病と人工透析の現代史』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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