HOME > Tateiwa >

人々は人や社会のことを既に知っているので:『生存学の企て』序章6

「身体の現代」計画補足・154

立岩 真也 2016/05/14
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1726799954253651

Tweet


『生存学』9・表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙    横田弘・立岩真也・>臼井正樹『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』の紹介の5。
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
この生存学研究センター編。私はその「序章」と「補章」を書いだ。
 前々回はその最初の部分を掲載した。そしてその掲載に際して、「なにか、研究、というか、書いてまとめたいという人にとっては役に立つ本になっていると思う。これから私が書いた2つの部分を紹介していく。長くかかる。まず本を手にとってもらいたいと思う。何かしたい人には役に立つと思う。」と書いた。
 その第1回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162140.htm
 第2回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162143.htm
 第3回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162151.htm
 第4回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162152.htm
 第5回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162153.htm
 今回はその続き


 「調べること、考えること、それは一人でもできる。すくなくともわが国の学的達成の今日的な水準をみるならば、かなりのことはできる。ただ、その一人ひとりの人は、自分はじつはできるということをまずなかなか思えないということがある。それは一方では、一人きりでいるからということもあるし、他方では、大きな流れ・世界、業界・学界のなかにいて、それとすこし違うことを思っている、やろうとしているのだが、心細いということもある。そこで、やったらできましたという見本を提示されると、そうか、やれるのか、と思うところがある。本書も、そんなところがあって作られたのかもしれない。
 できてしまうというそのことは、同輩・先輩たちの仕事を見て、ということもあるが、研究・教育をなりわいとしてきた人たちが言えることでもある。ではどんな具合にやっていくのか、手助けすることもできる。
 少なくない人たちには、まったく手持ちがないというのでなく、なにかがある。だからやってみよう、とも思う。だが、そこで何をするかを考えることがある。第1章の最初に引かれるのは人工透析に関わる有吉玲子の本だ。筆者は実際透析を行なっているクリニックで働いてきた人で、そこでの現状や将来に関わって気になることがあってきた。ただ、透析をしている人は今どき珍しくはない。自分でなくとも、周囲に必ず一人二人はいる。つまり人々は既に知っている。腎臓病の人がどんな苦労や不便を抱え、医者の言うことを守ったりすこし守らなかったりして暮らしていることを知っている。
 そこが社会や人間を相手にする学・研究のすこし難しいところだ。つまり人々は人や社会のことを既に知っている。知っているので、それをわざわざそのまま書いてもらう必要はない。日常世界を書くというのはやりやすそうだが、何か新しいことを示すというのは、なかなか、かえって、難しい。となると、どこをどんなふうに調べるかということになる。
 一つ、今がどのように成立したのかという問いの立て方がある。自分の金をさほど持ち出さずに透析を受けられることになったのは45年ほど前のことだが、その時の事情は、腎臓病の全国組織――腎臓病の人は多いから組織も大きい――の役職にある人もそう知らなかったりする。それも当然のことで、そんな活動に関わるずっと以前に起こったことであったりするからだ。そして、大きな組織だから専従で活動できても、その日々の仕事をこなすのがその人の本業である。知らなくて当然だが、知りたいとは思っている。
 そしてそれを調べるのは、たんなる回顧ではない。まずは誰もが少ない自己負担で透析が受けられる今の状態が続くとは限らないし、実際困難になるその兆候もあり、国際的にそうした現実もある。それは未来につながっている。自分が気になっていることを、どんな調査につなげていくのか。まず何を相手にするのか、どんなところに目をつけ、どこを調べるのか。そうした場面に先輩や教員が関わるとよいことがある。
 そして、調べることは、考えることを促すはずである。起こったこと起こっていることはいったいどんなことか。考えたくなる。すると「理論」を学ぼうということになる。
 それを「基礎から」、というのは、正論ではある。しかし、一つに、時間は有限である。一つに、理論などと称されているもののある部分は、じつはたいしたことがないこともある。使えるところとそうでもないところと斑〓ルビ:まだら〓になっているところもある。どこから何をもってくるとよいのか。そうした部分は、各々の領域でそれなりに長年仕事をしてきて様子がわかっている(つもりである)教員の手を借りた方がよいことがある。むろん、その見立ては人によって異なるわけで、あまり信じすぎても困るのではあるが、それでもたぶん、使えるものは使った方がよい。」


 今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162154.htm


UP:201605 REV:
『生存学の企て』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
TOP HOME (http://www.arsvi.com)