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日患同盟/全医労

「身体の現代」計画補足・150

立岩 真也 2016/05/03
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1721880778078902

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『造反有理――精神医療現代史へ』表紙    『現代思想』2016年5月号 特集:人類の起源と進化――プレ・ヒューマンへの想像力・表紙    『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』表紙
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 『現代思想』の今月号の特集は「人類の起源と進化――プレ・ヒューマンへの想像力」。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#05
この雑誌の目次・書誌情報、こちらのHPにかなりの分は掲載されている。ご覧いただきたい。
http://www.arsvi.com/m/gs.htm
そこに掲載されている「連載」は「国立療養所・2――生の現代のために・12 連載・123」
http://www.arsvi.com/ts/20160123.htm
以下その冒頭の部分


 「□経営者の入所者・職員の組合についての語りを見ていくこと
 今回は理由は略すが、一九七五〜七六年に四冊出た『国立療養所史』を使って国立療養所のことを記している。まず軍の関係の施設が、そして各地に建てられた結核関連の公営の施設が、「国療」と略されることもある国立療養所になっていったことを記した。
 その「結核編」で「総説」他いくつかの文章を書いている島村喜久治(当時東京病院副院長)は「国が引受ける以外に方法がなかったというのが真相であろう。「国立療養所は終戦の落し子」といわれた」(島村[1976a:1])と記す★01。ただとくに大きなところは国立の施設でありたかっただろうし、実際そうした主張・運動を行ない、それが成功して国立になったと、要望・主張した人が記していることを、国立療養所所長連盟の最初の会長を務めた(国立療養所史研究会編[1976c:654])長井盛至の文章から紹介した。
 そしてその療養所に収容されたのは結核療養者だった。その入所者は戦後も増えていくが、その後減っていく。療養所はそれに対応することになる。それでも、いくつかは廃止され、いくつかは統合された。ただそれはきわめて困難なことであったと経営者たちによって振り返られている。結局、施設そのものは存続させ、結核療養者でないお客を取り込んで、国療は存続していくことになる。
 存続させようとし、そして転換を進めたのは、まず療養所の経営者たちである。やむをえず「重心」の人たち等を受け入れた具体的な過程についてはこれから見ていく。島村は、結核編の「総説」で「結核症がもともと規模のけた外れに大きい慢性疾患であったとみれば、厳密には、それは性格転換とは呼べないかもしれない。しかし、今、全国の国立療養所で起っている性格転換は質的には全く異質な疾病構造への対応である。その宿命的に不利な立地条件のままで、多くの国立療養所は鉄筋近代化された」(島村[1976a:1-2])と述べる。つまり、そこが(結核療養所として風光明媚な地にあっても)普通に暮らすには不便な場所であること、病院として街中から来院する客を迎えるには適していないことは自覚されている。そうした場所にある施設としての生き残りを、そして「鉄筋近代化」の道を探ろうとした。
 その経営側と時に激しく対立して、そこに生活していた人たちの動きがあり、働いていた人たちの動きがある。前者、結核療養者たちは転換に賛成したのではない。現状を維持することを望んだ。生活の場を失うかもしれないその人たちにとって、それは当然のことである。また、組合もまず維持を求めた。これらにおいて療養者の組織、労働組合と、国、そして転換を積極的に望むまたやむをえないとする経営側は対立する。ただ、働く側はこれからも同じように働けるなら、収容者の転換がなされても受け入れることがある。前回、そんなことが結核から「精神」への転換に際してあったと経営者が回顧する文章から引いた。
 療養者の組織は「日患同盟」また「日患」と略称される「日本国立私立療養所患者同盟」改称され「日本患者同盟」であり、そして労働者の組合は「全日本国立療養所労働組合(全医労)」。いずれも歴史のある大きな組織で、機関誌もある。日患同盟については、以前紹介したようにこの組織に長年関わった人たちがまとめた書籍(日本患者同盟四〇年史編集委員会編[1991])や研究論文(青木[2011]他数点→HPに記載)、また膨大な資料を集積・整理・編纂する作業がなされ(姫野・北場・寺脇[2014])、その一人が編者になったマイクロフィルムの資料集が出たことも前回記した。だから、私がここでその組織を主題的に扱うことは不要だと思うから、そしてできもしないから、行なわない。ただ今回、そう知られてはいないさきの四冊の本のなかで、当時の経営者たちがその人たちのことをどう見ていたか、その一端はわかるだろうと思い、その部分を引く。そこでは一定の評価が記されることもあるが、組織の大きな変化に関わる場面で、また現場の種々のもめごとについて、随分疎ましいことがあったと振り返られる。そして何を療養者たちが交渉の資源としていたと見ていたかも書かれる。一つ、病気であることを無視するわけにいかなかったこと、一つ、「公衆衛生」的にも、施設内に留めるために一定の妥協を図ったと言う。実際、そのようなことがあったその同じできごとは、体を張り、生命を賭して闘ったということでもあったのだが、その同じことに経営者たちは手を焼いている。そうした愚痴の類はあまり文章としては残されていないかもしれない。それを紹介する。その前に、その抵抗・対立が生じた、国立療養所の統合・廃止、それについての記述を紹介する。」


 今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162150.htm


UP:201604 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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