横田弘・立岩真也・臼井正樹 2016/03/25 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院,250p. 2200+
http://www.arsvi.com/b2010/1603yh.htm
が出ている。
この連載??の第141回では
http://www.arsvi.com/ts/20162141.htm
『現代思想』の3月号に載ったそちらでの連載(第121回)――まぎらわしくてもうしわけない――の註を引用した。
「まえがき
どんな経緯でこの本が出ることになったのかについては、そして横田さんと臼井さんとの関わりについては、臼井さんが書いてくださっているので(→一三頁・三〇頁)そこを読んでください。また臼井さん・横田さんと私が会ったいきさつのことも臼井さんが書いてくださっている(→六七頁・七二頁)。以下、結局私(立岩)と横田さんのことに限っての話になることをおことわりしておきます。
まず、私にとっては、それまで会ったことのなかった横田さんから声をかけてもらって三度も話ができたことは、なにか不思議なことで、そしてうれしいことだった。そんなことはそうあることではない。
変わらないところもある――大切なことなら変えてはならないはずだ――が、変わるところもある。定点をもたずに仕事をしている私のような者にとって、時間の流れの中にある人を知るのは、書かれたものを追える時に限られている。例えば、横田さんといっしょに活動した横塚晃一は一九七八年に亡くなっていて、七九年に「上京」してきた私がそのことを知ったのはずいぶん△003 後になってからだった。十年足らずの間、その人が書いたものを読むことだけができることだった。
ただときに、時間を隔てて、会った人に再会できたり、また話をうかがえたりすることがある。私たちは一九八〇年代の後半、もう三〇年ほど前になるが、多くの人に話を聞くことができて、それは今となってはずいぶん貴重なことだった――文字化されていないものも実はかなりあって、音源が残っているか、探してみなければならないと思っている。だから、まったく初めてというわけでないが、ずっと前のことだから、話をうかがった方が私(たち)のことなど覚えているはずなどないと思っていたが――私ならそうだ――、二十数年といった時間が経って再会する機会があった時、覚えていると言ってくれてうれしかったことがある。そんなこととして覚えているのは、三井絹子さん(→二〇六頁・註7)が、著書『私は人形じゃない』を出版され、その本を販売しに長野大学で開催された障害学会の大会に一族郎党でやってきた時(二〇〇六年)、私なら覚えているなんてありえないと思ったのだが、そのずっと前のことを覚えていると言ってくれて、単純にうれしかった。(この年に橋淳さんから今度出版社を立ち上げるという話も聞いたのだった。「生活書院」という名前は「なんかださくない?」と私は言ったのだが、生活書院は始まって、すぐにその会社名にも馴染んでしまった。)
そして三井さんの兄でもある新田勲さん(→二〇六頁・註7)。彼も横田さんが亡くなった二〇一三年に亡くなったのだが、新田さんも初めてインタビューをしてから二〇年以上経って対談をもちかけてくれて、実現した(そこには三井さんもいらした)。それは二〇〇八年『足文字は叫ぶ!』(全国公的介護保障要求者組合)、そして二〇〇九年に『足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を』(現代書館)に収録された。これも私にとっては貴重な機会だった。△004」
横田 弘:http://www.arsvi.com/w/yh01.htm
新田 勲:http://www.arsvi.com/w/ni02.htm
三井 絹子:http://www.arsvi.com/w/mk01.htm
今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162146.htm
UP:201604 REV:
◇立岩 真也
◇Shin'ya Tateiwa
◇身体の現代:歴史