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横田弘のこと・1

「身体の現代」計画補足・141

立岩 真也 2016/04/11
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横田弘・立岩真也・>臼井正樹『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙    『生存学』9・表紙
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 横田弘・立岩真也・臼井正樹 2016/03/25 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院,250p. 2200+
http://www.arsvi.com/b2010/1603yh.htm
という本が出た。
 『現代思想』の3月号に載ったそちらでの連載(第121回)
http://www.arsvi.com/ts/20160121.htm
の註で予告しているからその部分を引用する。といってもそれは註なので、その註が付いている本文もひっぱってこないとならない。

 「以上およびその延長にあるものと別系列のものが現れる。知的障害や重症身心障害児、さらに精神障害者の家族会はすでに存在し、それはそれとして既に活動していた。結核療養者が大きな集団として何かを訴えるという状況もなくなっていた。むしろ多くの施設、例えば身体障害者療護施設は1970年代に多くできていく。その入所者が、層としてなにかを言えるといった状況はなかった。
 いずれもでもない動きは小さなものとして始まった。それを象徴する一つとされる、一部では有名な1970年の脳性マヒの子を殺した親に対する減刑嘆願運動に対する批判は、まず、「神奈川県身心障害者父母の会連合」が横浜市長に出した抗議文に対するものだった。新聞記事やその抗議文は「重症児対策」を問題にしており、殺された子が入れなかった施設は「重症児施設」としての「こども医療センター」であることが報じられている。そのセンターは今もあり、「肢体不自由児施設」と「重症心身障害児施設」を含んでいる★03。
 この「父母の会連合」会は県内の各種障害をもつ親の会の連合組織で、今そこのHPをみると、「セクトに拘らず、障害種別を超えた障害児者の親の会の横断的結合体」と記されている。さらに、この事件に関して青い芝の会神奈川県連合会が話し合いをもったのは「重症身心障害児(者)を守る会」であり、それは以前紹介したように「争わない」を方針とする「全国重症身心障害児(者)を守る会」(社会福祉法人)の神奈川県の組織だろう。こんなことがきっかけになった運動については、既に冒頭に示した本『生の技法』におおまかには書いているから繰り返すことはない。そして、同じ年に「府中療育センター闘争」が始まるのだが、そのセンターの初代所長は先出の白木博次であり、その運動の中では白木の退任が求められるといったこともあったようだ。
 例を二つあげた。ご存知の方はご存知であるように、私はここで争いを起こした側を支持してきた。その立場を取り下げる気はない。ただ一つにそんな争いの場を調べてきたからこそわかるところはある。そして、これから新たに調べるところは調べて書いていって、それで立場が変わることはないだろうと思うが、その立場から始まっているからこそ、起こってきたこと言われたことの取り扱いに慎重でありたいと、「公平」でありたいとは考えている★04。」

 「★03 『神奈川新聞』に載ったその文章を実際に執筆したのは――この出来事をきっかけに横田と交流が始まることにもなる――谷口政隆であったという。谷口(後に神奈川県立保健福祉大学教員他)は当時、小児療育センター――そこはサリドマイド事件で原告団の中心にいた飯田進(著書に[2003])が立ち上げた民間の療育機関だという――に務め、ボランティアで父母の会連盟の事務局長をしていた。そして神奈川の青い芝の会の人たちは子ども療育センターに押しかけたのと記されている(臼井[2016:44-45])。
 横田や、横田と一緒に戦った横塚晃一については幾度か触れている。ここではこの三月にでる本だけを紹介する。私は二〇一三年に亡くなった横田と、二〇〇二年の七月、同年一一月、そして二〇〇八年一月と、三度対談あるいはインタビューをさせてもらった。二度めのものは横田の対談集(横田[2004])に収録されている(ただし現在は品切れ)が、この度、横田の生前、神奈川県の公務員として、その後神奈川県県立保健福祉大学の教員として、横田の敵手でもありまた友人でもあった臼井正樹の企画の本が刊行され(横田・立岩・臼井[2016])、そこに一度めと三度目の対談(横田・立岩[2002→2016][2008→2016])が収録されている。前段の臼井[2016]はその第2章「横田弘の生涯」。」

飯田進  2003 『青い鳥はいなかった――薬害をめぐる一人の親のモノローグ』、不二出版
臼井正樹 2016 「横田弘の生涯」、横田・立岩・臼井[2016:29-71]
横田弘 2004 『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』、現代書館
横田弘・立岩真也 2002a 「対談1」→横田・立岩・臼井[2016:72-126]
―――― 2002b 対談2 → 2004 「差別に対する障害者の自己主張をめぐって」、横田[2004:5-33]
―――― 2008 「対談3」→横田・立岩・臼井[2016:176-211]
横田弘・立岩真也・臼井正樹 2016 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』、生活書院


 今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162141.htm


UP:201604 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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