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国立療養所史概要

「身体の現代」計画補足・139

立岩 真也 2016/04/07
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『現代思想』2016年1月号 特集:ポスト現代思想・表紙    立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』・表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』4月号の特集は「教育サバイバル」」。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#04
もう発売されているので買えます。これからしばらく、多分断続的に、この号に載った「国立療養所――生の現代のために・11 連載 122」
http://www.arsvi.com/ts/20160122.htm
から引いていく。まずは雑誌買ってください。


 「■概略
 まず、傷痍軍人療養所としての軍事保護院を除いて、また陸軍病院・海軍病院を除いて、国立の施設はもともと多くなかった。ハンセン病の国立療養所の他には、厚生省の管轄の組織としての国立療養所は戦前には存在しない。ただ、戦時下で「日本医療団」が結成され、そこに加入した(させられた)種々の組織が全国にあった。
 戦後、まず軍事保護院の施設が占領軍によって解体され、再編成され、そのかなりの部分がまとめて国立療養所になっていく。(また陸軍病院・海軍病院は国立病院にされていく。)そして日本医療団の組織の多くも、当時の(主だった?)施設長たちの主張が占領軍に受け入れられて、国立療養所となっていった。
 当初、数が多かったのはまず結核療養所であり、そして戦前からのハンセン病療養所があり、そしてごくわずかだが「精神」他の国立療養所があった。国立療養所としてそれを受け持つという体制をすぐに変更しようという動きもあったのだが、それに対して種々の抵抗があって、そう容易にはなされなかった。おおむね国立療養所による対応が維持された。ただ結核を主な対象とする国立結核療養所の歴史はそう長くはない。ハンセン病は長くそのままに置かれるのだが、結核病床・病棟は、戦後八年ほどで最も多い時期を迎え、やがて減っていく。その後のことが問題になる。
 廃止には、入所者も労働組合も、そして経営者も、そして監督官庁も、同意しない。ただ、縮小や転換の動きは続き、やがて独立行政法人化される。それに反対する動きもずっと続く(「全日本国立療養所労働組合(全医労)」と立場を同じくする人が、比較的近いところを追った論文として原[1989])。ただ、しばしばためらないながらも、経営者たちは、そして労働組合の側も、これまでと別の人たちを受け入れる、官庁はそれを勧めることになる。一九六〇年代前半に、重症身心障害児、そして筋ジストロフィー者(その後にあと何種類かの「難病」者)の収容が始まる。そして精神の療養所が若干増える。そんな経過があった。
 ごく簡単に要約するとこうなる。このうちハンセン病については、療養所体制とらい予防法に対する批判があり、裁判があり、そしてその法が撤廃されるなかで、またそれ以前から、研究の蓄積がある。「重症心身障害児」についての研究もいくらか始められているのでそれを待とうと思うが、それでも、国立療養所での受け入れについていくらかは紹介することになるだろう。
 次に、さらに簡潔でわかりやすくはある「精神編」での秋元波留夫――『造反有理』で取り上げた人でもある――の記述を引く。

 「厚生省が所管する国立医療機関(国立療養所、国立病院)のほとんどすべての施設は第二次大戦の終結とともに、戦時体制下の公的医療機関(陸海軍病院、傷痩軍人療養所、日本医療団傘下の施設など)を継承したものである。[…]この継承は日本政府自身の意志というよりも、わが国に進駐した連合国軍最高司令部の”指令”によるものであった。[…]
 日本医療団は戦後もしばらく存在が許されたが、連合国軍最高司令郡の指示もあって昭和四七年一月、政府はその解散を決めた。日本医療団の経営する医療施設には、戦時中に統合吸収されたさまざまな由来のものが寄せ集められていたが、その主力は結核療養所であった。
 結核対策を重視した政府は、日本医療団所属の医療機関のうち、結核療養施設として適切なもの九三を厚生省に移管、他の施設のおもなものは医療制度審議会に諮って、都道府県または大都市に移管された。日本医療団から厚生省に移管された結核療養所は、先に移管した軍事保護院所管のものに加えて、療養所課の所管するところとなった。/厚生省に移管された当時は国立病院、国立療養所ともに、多数にのぼった(国立病院一一九、国立療養所一九七)。当時の国立医療機関の任務は、外地から送還される旧軍人および引揚者のなかの傷病者の救護であった。
 それらの戦後処理が一段落するとともに、国立病院・療養所を国立医療機関として新しい使命を担当するのにふさわしくするための再編が課題となった。」(秋元[1976:39-40])


 今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162139.htm


UP:201604 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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