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この4月29日(祝日だったと思う)、原一男監督の、1972年の『さようならCP』と1974年の『極私的エロス・恋歌1974』を上映し、原監督に話を聞く、他という企画がある。
私のツィッターでもお知らせしている。
https://twitter.com/ShinyaTateiwa
関連したことはだんだんと。まず『さようならCP』についてのページを増補したので、しまいまで、見てください(さらに増補予定)。
http://www.arsvi.com/p/1972s.htm
関連して、今度、『さようならCP』にも出てくる故・横田弘と私の対談?2つと、生前(横田は2013年に亡くなった)交流のあった臼井正樹(現在は神奈川県立保健福祉大学教員)の文章を合わせた本『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』
http://www.arsvi.com/b2010/1603yh.htm
が出版される――また告知・宣伝させてもらう。そこに注で『さようならCP』について記している箇所がある。ここではその一つ。
「『さようならCP』の上映会後の討論会の記録は『母よ!殺すな』に収録されているが、それらは山口県須佐市・防府市とあと六つは九州でのものである。この事情はわからないが、上映会は全国でなされた。関西での上映運動については定藤[2011]に記録がある。最初の上映会は宇井純らが東京大学の場を使って運営していた「自主講座」、「医学原論」においてだった。このこと、そして宇井と同じくずっと助手のままでこの講座にも関わった最首悟が、この映画を見て『シナリオ』に収録された「みられることをとおしてみるものへ」(最首[1972]、後に最首[2010]に再録)を書いたことについては脇田[1995]に記されている。この時の報告草稿として書かれたのが「障害者と労働」(横塚[1975→2007,2010:51-57]で一九七二年三月とある。次に掲載されているのが『シナリオ』に収録された「カメラを持って」で、やはり一九七二年三月とある。『シナリオ』の発行は奥付に四月八日とある。自主講座での初上映会に向けて出されたものと思う。」
リンク付のこの箇所は上記『さようならCP』の頁からどうぞ。ただ、ここに書いたこと、「自主講座での初上映会に向けて出されたものと思う」といったあたりがどこまで本当なのかわかっていない。最首悟はいつどこでこの映画を見たのか――『シナリオ』が出る前に見ているはずだが、それが自主講座のおりにでないとすると…?。時間的に辻褄があわないような気もする。どなたかご存知でしたら教えてください。
それからこの企画、500人入る大きなホールで行なわれる。お客すくないと寂しいのが心配なので、行こうかとい人、立岩
tae01303@nifty.ne.jp
まで連絡ください。
◆2016/04/29 「原一男監督と考える 70年代の生の軌跡〜障害・リブ・沖縄――初期ドキュメンタリー作品上映とトーク」,於:立命館大学朱雀キャンパス
今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162133.htm