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「難病」続き・繰り返し

「身体の現代」計画補足・130

立岩 真也 2016/03/11
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1699816810285299

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『自閉症連続体の時代』表紙    『現代思想』2016年3月号 特集:3・11以後の社会運動・表紙    『ALS――不動の身体と息する機械』表紙   
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』3月号の特集は「3・11以後の社会運動」。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#03
 そこに載っている連載第121回(サリドマイド、スモン、他、関連項目の頁へのリンクはここからどうぞ)
http://www.arsvi.com/ts/20160121.htm
の関係の7。
 以下だけ読んでも(毎回の各々だけ読んでも)なんのころやらわからなくて当然。居直りたいのではないが、仕方なく長い話は長くなる。雑誌の方を、そしてこれまでそれをまとめて出してきた何冊かの本を読んでくださいませ。ただ、一つ、これは医療は必要で、それを求めてもいるが、しかし、搦め取られることにもなって…という話にも関係はしている。子宮頸癌ワクチンの関係の放送の知らせをもらもったので、ツィッターの方で、 それを知らせたら、
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/707558605201887232
 それをリツィートした方のツィッターに
 「わたしたちは「どうしてもワクチンのせいにしたい人たち」だそうですね。わたしたちは正直ワクチンのせいとかどうでもいい。治してくれたらそれでよかったのよ。ワクチンのせいじゃないという人で症状を軽くしてくれる人がいたらワクチンのせいじゃないんだねってなってたんじゃないでしょうか。」
https://twitter.com/tknkqrwn/status/697338583493902336
というのがあった。以下と直接につながるわけではないが、そうだろうな、と思ったので記しておく。そしてそれは2つ前の単著ということになる『自閉症連続体の時代』
http://www.arsvi.com/ts/2014b1.htm
に書いたこともに関係する。とか書いていると――基本はそんなにややこしい話ではないのだが――ますますこんがらがるかもしれない。さて引用続き。としようと思ったが、文脈がわかるように「FBの」第127回に記した部分もそのまま再度引用する。


 「■医療
 サリドマイドにしてスモンにしても、それは医学・医療が作り出したものであり、その限りにおいて、医療は敵であるとも言える。ただ自らが生じさせたことを調べて、その原因を特定したのは医学者だった。そして、個々の人がその疾患にかかっているかどうかを判定するのも医師であり、さらに、そうたいしたことはできず、いくらかの対症療法を行なうのがせいぜいだったのだが、それでも、いくらかの処置をし、その症状を軽くさせるためのことをするのも医療であり、医療者が、そして良心的な医療者はなお熱心に、それに対応することになった。
 こうして制度は基本的に原因究明と治療法の追究のためにあるとされたが、実際それはその本人や家族が望んだことでもあった。加えれば私自身も多くについて同じことを望んでいるし、また可能性があるとも思っている。しかし『ALS』([2004])でも書いたのだが、もうすぐ治療が実現するといったことが幾度も語られつつ、残念ながら、多くについてそれほど有効な、すくなくとも決定的な療法が開発されることはなかった。その点でスモンは例外的だった。当然のことである。キノホルム剤を大量に処方していたことが原因だったのだから、それをやめれば、長く続く後遺症への対処は残されるが、新しく発症することはなかった。ただ他の多くは厄介だった。同じことは筋ジストロフィーについても言える。この病名が知られ治療法が求められそのための体制が組まれてから五〇年は立つのに、今に至るも決定的な療法はない。その理由は私にはわからない。ただ事実ではある。今までのところは「補う」ことの方が効果的であってきた。筋ジストロフィーにしても、その寿命が大きく変わったのは人工呼吸器の導入によってだった。筋ジストロフィーについては、使わなければ亡くなるのはずっと若い人だったこともあり、「自己決定」によって過半の人はそれを使わないで亡くなるといったことにはならず、多くで比較的積極的にそれは取り入れらた。
 原因や治療法がわからない間、その政策は存続する。わかってなおるようになったらそれが一番よい、対策がなくなったらそれが本望なのだが、その本望はかなえられず、その間研究は続けられ、その研究があって研究者がいる、そのもとで、患者・病人という自認とともに「療養生活」の費用がいくらか軽減される。
 その支援者はまず医療者・看護者たちだった。それはまず、多くの人たちが暮らしたのが医療施設であったことによる。例えば筋ジストロフィーの人により多く医療を必要とする度合いが高いという事情はあった。脳性まひの人たちの多くが、障害はあるが体は丈夫であるのとは違う。医療の必要度は相対的に高い。ただ、それは入院の必要をそのまま意味するものではない。そこに国立療養所の転用といった事情は関係するだろう。同じ種類の人たちが集められた。このことについての疑問は示されたが、そのままにされた。
 それでも在宅の人は、あるいは在宅の人の方が多い。ただ制度としても医療のもとにあり、そして通う先もまずは病院で、そこにいるのは医療者で、在宅の人たちにしても、それに関わるのは医療者、とくに看護師、そして保健師だった。
 (1)と(3)はときの体制・政府に対して批判的であることにおいて共通性を有する。比べて(2)はそうでもない。しかし、いま述べたように、まず職として支援に関わったのは医療者、とくに在宅の人に対しては看護師、保健師たちだった。そして難病政策の手前に始まった筋ジストロフィーに関わり、石川正一の死後にその父とも関わり、東京での支援に関わったのがそんな人たちだった。病院を出て、地域で活動を展開しようということ自体、当時では(今でも)革新的なことであり、それは使命感、正義感によっていることがあった。当時「革新自治体」がいくつかあったことも関係しただろう。
 そしてその人たちは、政府が設定した難病という枠組みをそのまま受け入れたわけではなかった。現在でも指摘されている、疾患単位の認定方法を批判し、より「生活」を目を向けた施策であるべきだとの指摘は、そもそも難病政策が始まった当初から、有力な医学者、例えば東大医学部長を務め美濃部都知事時代の東京都の参与であった白木博次によってなされている。そして、厚生省の枠組みを批判し白木の主張を支持するという記述は、難病者を支援する人の文献、例えば木下[1978:58-59]等々多くの文献で繰り返されている。このことも後で紹介する。
 ただいったんできた枠組みは基本的には変わらなかった。そしてその政策の枠組みとは別に、その関わり方は、日患同盟、朝日訴訟等々を支持する側に共感した自らの出自と、そして看護師や保健師という自らの職に忠実なものであった。そうした人たちが長く実践に関わり、研究にも関わり、出版物も出していく。さらに、難病看護学会といった学会もでき、政策にもいくらか関与することにもなっていく。施設・病院も変化しないところは変化しないながら、地域・在宅を重視すべきことは誰もが認めることになり、訪問看護にも保険点数が付き、いくらかずつ増えていく。
 こうしたことが、次にあげる(4)の動きが別途現れたことにも関係し、同時に、その間に無関係という関係が続き、そして使えるものが使われないという事態を生じさせることにも関係したと私は考えている。そして、それはまずはこの国に特殊に起こったできごとだが、それだけのことではなく、世界のどこでもこれから行ける道筋を示すことになるとも考えている。」

 なお今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162130.htm


UP:201603 REV:

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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