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『現代思想』3月号の特集は「3・11以後の社会運動」。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#03
その号に載っている連載第121回(サリドマイド、スモン、他、関連項目の頁へのリンクはここからどうぞ)
http://www.arsvi.com/ts/20160121.htm
の関係の6。
「■医療
サリドマイドにしてスモンにしても、それは医学・医療が作り出したものであり、その限りにおいて、医療は敵であるとも言える。ただ自らが生じさせたことを調べて、その原因を特定したのは医学者だった。そして、個々の人がその疾患にかかっているかどうかを判定するのも医師であり、さらに、そうたいしたことはできず、いくらかの対症療法を行なうのがせいぜいだったのだが、それでも、いくらかの処置をし、その症状を軽させるためのことをするのも医療であり、医療者が、そして良心的な医療者はなお熱心に、それに対応することになった。
こうして制度は基本的に原因究明と治療法の追究のためにあるとされたが、実際それはその本人や家族が望んだことでもあった。加えれば私自身も多くについて同じことを望んでいるし、また可能性があるとも思っている。しかし『ALS』([2004])でも書いたのだが、もうすぐ治療が実現するといったことが幾度も語られつつ、残念ながら、多くについてそれほど有効な、すくなくとも決定的な療法が開発されることはなかった。その点でスモンは例外的だった。当然のことである。キノホルム剤を大量に処方していたことが原因だったのだから、それをやめれば、長く続く後遺症への対処は残されるが、新しく発症することはなかった。ただ他の多くは厄介だった。同じことは筋ジストロフィーについても言える。この病名が知られ治療法が求められそのための体制が組まれてから五〇年は立つのに、今に至るも決定的な療法はない。その理由は私にはわからない。ただ事実ではある。今までのところは「補う」ことの方が効果的であってきた。筋ジストロフィーにしても、その寿命が大きく変わったのは人工呼吸器の導入によってだった。筋ジストロフィーについては、使わなければ亡くなるのはずっと若い人だったこともあり、「自己決定」によって過半の人はそれを使わないで亡くなるといったことにはならず、多くで比較的積極的にそれは取り入れらた。
原因や治療法がわからない間、その政策は存続する。わかってなおるようになったらそれが一番よい、対策がなくなったらそれが本望なのだが、その本望はかなえられず、その間研究は続けられ、その研究があって研究者がいる、そのもとで、患者・病人という自認
とともに「療養生活」の費用がいくらか軽減される。」(続く)