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筋ジストロフィー・続2

「身体の現代」計画補足・119

立岩 真也 2016/02/13
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1691599371107043

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『現代思想』2016年2月号 特集:老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…・表紙    『ALS――不動の身体と息する機械』表紙    『現代思想』2016年2月臨時増刊号 総特集:辺野古から問う・表紙   
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「連載」第120回「国立療養所/筋ジストロフィー」
http://www.arsvi.com/ts/20160120.htm
から、第6回。
 それが掲載されている『現代思想』(青土社)2016年2月号、特集「老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…」発売中。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02
 ほぼ同時発売の2月臨時増刊号は総特集「辺野古から問う」
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02e
 この回で以下しばらく書いている筋ジストロフィーについては http://www.arsvi.com/d/md.htm
 関連文献(おもに書籍)については
http://www.arsvi.com/d/md-b.htm
 その中で今のところ引用が比較的多いのは山田富也
http://www.arsvi.com/w/yt09.htm
 気がつかれないと思うが以下に出てくの人たちの多くは『生の技法』に出てくる。
http://www.arsvi.com/ts/2012b3.htm

 今回(このファイスブックの載せたこの回)のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162119.htm
 ここにも以下に出てくる人、他のページへのリンクがある。

 「■筋ジストロフィー
 […]
 渡辺正直(一九五四〜二〇一二・五九歳)、石川正一(一九五五〜・一九七八・二三歳)、阿部恭嗣(一九五五〜二〇〇八・五三歳)、高野岳志(一九五七〜一九八四・二七歳)、福嶋あき江(一九五八〜八九年・二九歳)、鹿野靖明(一九五九〜二〇〇二・四二歳)、轟木敏秀(一九六二〜一九九八・三六歳)。これらの人たちの書いたものと行動について次回以降紹介していく。
 ちなみに渡辺、高野、福嶋は千葉県の下志津病院、鹿野は北海道の八雲病院、轟木は鹿児島県の南九州病院――いずれも国立療養所(現在は独立行政法人国立病院機構◯◯病院)――に入院し、ある時期に退院した、あるいは死ぬまでを暮らしてた。
 まず知られ、今でも時に言及されることのある『たとえぼくに明日はなくとも――車椅子の上の一七才の青春』(石川[1973])の著者石川正一は一九五五年生まれで、二三歳で亡くなった★07。その父石川左門にはふれる必要があるから、その時に紹介しよう★08。
 それと別に、活動としてはそれ以前から、仙台・西多賀病院でのことがあった。筋ジストロフィーの子たちがそこに集められるのだが――当初はもっと多様な人たちがいたという――その空間の中で活動が始まることもある。山田たちの活動はそうしたものだった。
 山田寛之と山田秀人が、六〇年、西多賀病院が受け入れた最初の筋ジストロフィー者だったことは述べた。その後六八年、三男の山田富也が同じ病院に入院する。そして自治会として西友会(西多賀病院と、その中の筋ジストロフィー病棟だった西病棟にかけてつけられた名称だという(山田[1983:86])ができる。
 一九七一年一月、発行は西友会として『車椅子の青春――一生に一度の願い 詩集』(仙台市・西多賀病院西友会編集委員会編[1971])。そしてこの詩集は、いくらか体裁・内容を変えて七五年三月にエール出版社から『車椅子の青春――進行性筋ジストロフィー症舎の訴え』(国立西多賀病院詩集編集委員会編[1975])として再刊される。この本は「人生とは…〈遺稿集〉」と「青春とは…」とに分かれているだが、その四年の間に亡くなった人たちの詩を〈遺稿集〉の側に移動させて刊行される。「人生とは…〈遺稿集〉」に掲載されている人たちの没年とその時の年齢が記されている。六九年(一八歳)、七〇年(一九歳)、六八年(一五歳)、七七年(二二歳)、六九年(一五歳)、七二年(一五歳)、七一年(二〇歳)、七二年(二一歳)、七五年(一九歳)、七三年(一六歳)、七四年(二一歳)、七二年(二四歳)、七〇年(一二歳)、六九年(一二歳)。
 このエール出版社版が出た同じ七五年二月、『詩集 続 車椅子の青春 進行性筋ジストロフィー者(児)の叫び』(進行性筋萎縮症連絡会地域福祉研究会「仙台」詩集編集委員会編[1975]――奥付の編者は右記、表紙では進行性筋萎縮症連絡会詩集編集委員会編となっている――が刊行される。巻頭の詩は山田秀人のもの(ありまのまま舎編[2005:48-49])。詩は全国の療養所に暮らすまた在宅の筋ジストロフィー者から寄せられたもの。日本筋ジストロフィー協会他も協力団体として記載されていく。あとがきは山田富也。詩の紹介はさておくことになるが、次回文章の断片をいくつか引用する。そしてさらにその後も出された詩集の書誌情報も知らせる。
 ここではその先のことを簡略に記しておく。七四年三月に富也は西多賀病医院を退院。寛之が退院した七五年に「ありのまま舎」が設立される(一九八八年に社会福祉法人認可)。その活動についても次回以降いくらか紹介する。その活動は十分に讃えられるべきものであると思うが、私自身は違う道もあったのではないかとも思っている。そのことも述べることになるだろう。」

 「★07 その前にこれも一部では知られていた、というより出版当時はかなり話題になった石坂直行(一九二四〜)の『ヨーロッパ車いすひとり旅』(石坂[1973])がある。ただ彼は、進行性で子どもの時に発症するデュシェンヌ型の人ではなかった。石坂に行動と思想についての著作に馬場[2004]。
 「石坂さんは一九二四年一〇月大分県別府市に生まれた。中学生の頃、柔道でケガをした後、手足が少し不自由になり、筋ジストロフイーの一種と診断された。その後銀行に就職。それでも杖を使わずに歩けたし、日常生活そのものはそれほど不自由を感じなかったこともあり、自分を「身体障害者」と自認することだけは絶対にしないとの思いで過ごしていた。
 ところがある日、車での出勤の途中、わき見運転のダンプカーに追突され、その半年後、突然一夜にして両足がマヒし、立っていることもできなくなった。」(馬場[2004:18])
 石坂は七一年に車いすで単独でヨーロッパへの団体旅行に参加し、その体験をさきの本に書いた。「その本の与えたインパクト」は「大きかった[…]これは日本におけるバリアフリー旅行の歴史の出発点ともいえる書物だろう」(馬場[2004:18])と馬場は述べる。石坂の本は絶版になったが、その全体が石坂・日比野[2000]に再録された。また石坂の文章の一覧も馬場[2004]にある。」
 「★08 正一没後、石川・石川[1982]が出版されている。
 最首悟の話の中の石川についての言及だけをここでは引いておく――他にもあった記憶があるが、まだ見つけられていない。
 「筋ジストロフィーの青年たちに見られるような、私の出合った石川正一君もそうでしたが、その明るさというのは、もう、世を越えての明るさです。でも、普通私たちが言える明るさというのはそういうのじゃあない。にもかかわらずそういうことを無神経に言われたら、障害をもつ人とか、障害をもつ家族はがっくりするわけです。」(最首[1995→1998:322-323])」


UP:201602 REV:

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