HOME > Tateiwa >

筋ジストロフィー

「身体の現代」計画補足・117

立岩 真也 2016/02/09

Tweet


『現代思想』2016年2月号 特集:老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…・表紙    『ALS――不動の身体と息する機械』表紙    『現代思想』2016年2月臨時増刊号 総特集:辺野古から問う・表紙   
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「連載」第120回「国立療養所/筋ジストロフィー」
http://www.arsvi.com/ts/20160120.htm
から、第4回。
 それが掲載されている『現代思想』(青土社)2016年2月号、特集「老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…」発売中。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02
 ほぼ同時発売の2月臨時増刊号は総特集「辺野古から問う」
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02e
 この会で以下しばらく書いている筋ジストロフィーについては http://www.arsvi.com/d/md.htm
 関連文献(おもに書籍)については
http://www.arsvi.com/d/md-b.htm

 今回(このファイスブックの載せたこの回)のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162114.htm
 なおフェイスブックの前回についてURLを間違えた。前回のHP版は
 http://www.arsvi.com/ts/20162116.htm


 「■筋ジストロフィー
 筋ジストロフィーという名称は多くの人が知っている。幾種のものがあり、その病像には大きな差異もあるが、例えばデュシェンヌ型と呼ばれる型では発症は早く、かつては二〇歳前後で亡くなることが多かった。そうした人たちの収容施設として国立療養所が使われることになっていく。
 そうした施設で非正規職員として働いたことのある人の論文に伊藤佳世子[2008][2010]がある(学会報告等は別途紹介)。また、実際に病院から出て暮らすことになった大山良子との共著の連載(伊藤・大山[2013])がある。それにはこれから紹介していく単行本等ではわからないことも様々書かれている。勤め先の大学院生でもある伊藤がまとまったものを書いてくれると思ってこれまで五年ほどは待ったのだが、その人は仕事が忙しくて、まだ期待はしているのだが、当面長いものを書くのは無理そうだ。
 そこで伊藤たちに現場に近いところは書いてもらいつつ、私の方でもいくらかのことはしようと思った。医学研究の類でない研究、歴史を扱った研究に菊池[2010]といったものがわずかにあるにはあるが、もっとずっと密度の高いものが書かれる必要がある。なぜかくも書かれていない部分が大きいかと思う。私としてひとまず簡単にできることをしておく。書かれ売られたものだけを使って書いて、両方を並べてみようと思う。
 ALSの人たちのことを書いた本(立岩[2004])他とやり方がすこし似ている。それでよいなどと思っていない。ただ、ALSの人たちはおおむね中年以降に発症し、人工呼吸器をつければそれから何十年と生きる。その間に書かれたものがたくさんある。筋ジストロフィーの人たちのなかにも、他のことができなくなっていく中で文字を書いて残した人たちがいた。筋ジストロフィーのある型の人たちは、以前は、多くが成人の前後に亡くなっていった。そこでそうした人たちの書きものの多くは若い時に書かれる。ただ人工呼吸器が使われるようになって、寿命がずいぶん長くなった。そしてPC等を使って書くこともより容易になる。その人たちはものを書き伝えるのに多くの時間を有しているとも言える。あるものは使ったらよいと思う。そうした書きものから人々は人生や死について様々に思いを馳せるのだろうが、ここでは、すこし異なったところから、つまり政策の動向などを伝える文献も使い、生活・制度や社会運動と関わるところを見ていく。文献表や年表、人物別の頁もいつものようにウェブ上に作成・公開中(→連載のこの回の頁)。ただ、それらから紹介していくのは次回以降になる。
 筋ジストロフィーの家族会の全国組織「全国進行性筋萎縮症児親の会」は六四年結成(翌六五年の第二回大会で「日本筋ジストロフィー協会」と改称)。同六四年厚生省は「進行性筋萎縮症児対策要綱」を発表。発病原因及び治療法研究に着手するため、第一次筋ジス医療機関を指定し、国立西多賀療養所と国立療養所下志津病院に各二〇ベッドの専門病床を設けるとした。厚生省は――この場合に限らないが――筋ジストロフィー児の実数を把握していなかった。それはいつも(受け入れをよいこととすれば)よくない結果を生じさせるわけではない。人工透析の医療費が実質的に公費負担になるのも七〇年代初頭のことだが、その時も数を少なく見積もり、それほど金はかからないとしていたようだ。そうして始まり、予想外にその利用は増えていった。私はそれでよかったと考えている。
 こうして筋ジストロフィーの人たちについては、六〇年代にまず制度ができたから、その後七〇年代に認定されていく「難病」とは別にされた。それが統合されるのは二〇一五年になってのことになる。(二〇一五年三月にその方針が示され、七月からこの法のもとでの医療費の助成が始まった。)これら一切がどのように推移してきたのかについて今後研究していく必要がある。ごくおおまかなことだけを述べておく。
 紹介は次回以降になることを述べたが、一九七〇年代初頭から筋ジストロフィー者たちによる書き物がかなりの数現れる。それらとともにその人たちを受け入れた側、政策側の本を合わせて読んでいく。後者には『国立療養所史 総括篇』(厚生省医務局療養所課内国立療養所史研究会編[1976]、それ以外に「らい篇」「結核篇」「精神篇」が出ている、これらは今のところ未見)、『国立療養所における重心・筋ジス病棟のあゆみ』(あゆみ編集委員会編[1983])等がある。これは基本的に公的な立場で書かれたものであるけれども、そうしたものに、ときに無警戒に、施設経営(者)の実状・実情が記されていることもある――次回、結核から精神科への「転換」をいかに成し遂げたかを正直に書いている元施設長の文章を引くだろう。以下は、六〇年、仙台の国立療養所西多賀病院について『あゆみ』に収録されている文章から。」

 続く


UP:201602 REV:

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
TOP HOME (http://www.arsvi.com)