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国立療養所における変化・続

「身体の現代」計画補足・116

立岩 真也 2016/02/07
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1689964864603827

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『現代思想』2016年2月号 特集:老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…・表紙    『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『現代思想』2016年2月臨時増刊号 総特集:辺野古から問う・表紙   
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「連載」第120回「国立療養所/筋ジストロフィー」
http://www.arsvi.com/ts/20160120.htm
から、第4回。
 それが掲載されている『現代思想』(青土社)2016年2月号、特集「老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…」発売中。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02
 ほぼ同時発売の2月臨時増刊号は総特集「辺野古から問う」
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02e

 以下で拙著とは『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』
http://www.arsvi.com/ts/2015b2.htm
 そして「国療の側は、民間精神病院の場合とは異なり、それで儲けようとしたわけではないだろう。ただ組織を存続させそこに働く人たちの雇用を維持しようとするなら、代わりに受け入れる人たちはほしかった。」と記してあって、そのことを示す文章を次回(第121回)で引用しようと思ったのだが、別のことを書く必要があって、無理そうだ。そのもとの文章のあるのは、国立療養所史研究会編19761020『国立療養所史(総括編)』,厚生省医務局国立療養所課,732p.
http://www.arsvi.com/b1900/7610kr.htm
連載の毎回分(約16000字・400字詰40枚)より分量の多い引用(約20000字)がある。私はおもしろい本だと思った。
 なお、今回(このファイスブックの載せたこの回)のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162116.htm


 「[…]
 今いられるとあるいは戻られると都合がよくないといったことがある。ひどく手間のかかること、負荷がかかることがある。今度の拙著では認知症者の人たちが面倒であったり恥ずかしかったり、そんなことだ。結局、生活のためには金がかかったりするし、できないことがあれば世話をすることになる。そしてその世話は、妙なところに行かないようにするとか、何か始終話しかけられることに受けこたえするとかそんなこと等々である。それは辛いことがある。つまり「障害」の方にとりあえず配置しておいた三つによって、住む場所を移される。本人の身体の大事をとってということはたしかにあっただろうが、そのことと防衛とは多く截然と区別できるものでもない。それでも病気をなおすため(やときに障害を軽減するため)のことがなされる(とされる)場合には医療系の施設とされるが、ときにはそのようにも説明されえない医療施設もある。そして身体・生命の安全確保のためなどとしてより強い強制・統制を行なうことができるという事情も加わる。
 まず以上はたんなる事実なのではある。そして各々たしかにだいぶ事情は異なる。ハンセン病と結核はまず感染のおそれがあった。ただすでに両方とも「療養」者として施設に入所することの意味の方が大きかった時期が長かったはずだ。それに対して、筋ジストロフィーは感染するものではない。、サリドマイド児や脳性まひの子どもなどずいぶん多様な人たちが入ったことを先に記した。
 ただ結局なぜこの人たちだったのか。筋ジストロフィーの人たちの場合、当時はとくに体調の悪化が早く、体調を維持していくのに医療が必要な人たちであったとは、いくらかは、言えよう。ただ機器の変化等で「医療的ケア」と称されるものを在宅で行なうことが現在はより容易になっている――病院にいる必要の度合いがより低くなっている――という部分を差し引いても、病院・療養所は必須であったというわけではない。その全期間、いなければならなかったというわけではない。それでも多くの人は短い生涯を過ごし、そこで亡くなることになった。
 ずっと家で、在宅での生活に関わる制度がほぼ何もないという中で、子をみるというのはたいへんなことだった。それで施設への収容は進んでいった。つまり、おおきく、いてもらって困る人の場として設定された。そしてそれを要求し実現するのが親の会の役割だった★05。それをほとんどすべての人は非難することなどできないと私は考えるが、まず、よしあしは別に、現実はそう推移した。
 他方、国療の側は、民間精神病院の場合とは異なり、それで儲けようとしたわけではないだろう。ただ組織を存続させそこに働く人たちの雇用を維持しようとするなら、代わりに受け入れる人たちはほしかった。そして研究志向の人たちにとって、その場を研究の場にしたいということはあった。そのことを宇多野病院の院長を務めた西岡はさきに率直に語っていた。」

「★05 ただその熱心さは一人ひとりでも組織によっても一様ではなかった。増床要求について日本筋ジストロフィー協会(日筋協)と東京都筋ジストロフィー協会(東筋協)との方向が一致しなかったことがある。さらに、デュシェンヌ型の場合は遺伝するのだが、このことを公表したり告知したりすることを巡っても対立があった。前者の役員を務め後者の会長だった石川左門(一九二七〜)――後述する石川正一の父――は、これらのことを巡って、全国組織の役員を解任された。石井に対する二〇〇九年のインタビュー記録がある。許可が得られれば引用することがあるかもしれない。」

 続く


UP:201602 REV:

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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