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重症心身障害児施設

「身体の現代」計画補足・115

立岩 真也 2016/02/05
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1688358791431101

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『現代思想』2016年2月号 特集:老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…・表紙    『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』表紙    『現代思想』2016年2月臨時増刊号 総特集:辺野古から問う・表紙   
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「連載」第120回「国立療養所/筋ジストロフィー」
http://www.arsvi.com/ts/20160120.htm
から、第4回。
 それが掲載されている『現代思想』(青土社)2016年2月号、特集「老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…」発売中。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02
 ほぼ同時発売の2月臨時増刊号は総特集「辺野古から問う」
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02e
 文中の窪田好恵は看護学専攻の大学の教員でもあり、私の勤め先の大学院生でもある。
http://www.arsvi.com/w/ky20.htm
 また府中療育センター闘争については
http://www.arsvi.com/d/i051970.htm
この時期この辺りにいた人たちがほとんどこの騒動に言及していないことにについてはまた別のところで記すつもり。
重症身心障害児施設については
http://www.arsvi.com/d/j01.htm
関連した記述がある堀智久の本の表紙写真から注文もできる今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162114.htm
もう一つ、『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
これは買ってください。必携、です。

 「[…]
 もう一つ所謂重症心身障害児の親たちの動きがあった。まず、熱心であった医療者たち――島田療育園の小林提樹が有名だ――の活動があり、その周りに親たちの集まりができて、それが当時の(今でも与党の)与党に働きかけた。筋ジストロフィーの親の組織の結成と同じ六四年「全国重症心身障害児を守る会」が結成される。この組織は「誰とも争わない」という方針を掲げた。「争わない」というのは――内部において、争ってよいはすだと言う人たちは抑え除外しつつ――具体的には政府・与党の批判はしない、お願いをするということを意味する。そしてそうした姿勢は六〇年代からしばらく、例えば自民党の厚生(厚労)族の大物議員たちに対して効果的だった。その運動とそれが得たものを調べておくことが必要だが、窪田好恵が研究を始めているので略す――第一一三回(二〇一五年七月号)でその文献をあげた。他に、数少ない論文として、やがて「府中療育センター問題」が起こるのでもある府中療育センターについて森山治[2004][2005]を加えてあげておく★04。そして一点だけ補足しておく。現在「重心」というと、身体的にも知的にもとても重い人たちがいる施設だと思われているし、実際そんな規定になっており、おおむね現実にもそうだ。ただ少なくともその初期においてはかなり多様な人たちがいたようだ。琵琶湖学園に務めたことのある窪田に、そこには脳性まひでものを書いたりする人もいると聞いた。そしてその人たちは当然、今はもう小児などではまったくなく、高齢に達している。さらに文献にも当時サリドマイド児も入所していたことが記されている。制約はありながらも、まだそれほど規定がはっきりしていなかったこともあり、困窮度によって、あるいは施設やその関係者への訴えが――ときには有力者を介してということがあったかもしれない――有効であった限りで、入れる人は入れたということかもしれない。  こうして「受け皿」を同じにしたまま「防衛」の対象が変わっていった。伝染病は伝染する可能性があることにおいて、精神疾患は加害的であることがあることにおいて他の疾患とは異なると言われるかもしれないが、精神病院にかぎらず、そもそもかなり多くの病院は(急性)疾患の治療を目的としたところではなかったと捉えることもできる。病床の絶対数はそれほどでなかったとしても、多くは広義の「防衛」のためのものだったと捉えることができる。」

 「★04 以下は当時の旭川児童院院長と副院長による文章から。
 「わが国の心身障害児教育・福祉は明治・大正期に萌生したが、重症心身障害児にまでは及ばなかった。しかし、昭和二〇年代にはいると小林提樹博士、草野熊吉氏を中心として重症心身障害児をもつ家族の努力により、重症心身障害児福祉は具体的に展開をはじめた。/小林博士は勤務されていた病院の一棟で重症心身障害児の療育を始めた。そして家族によって「両親の集い」――後の全国重症心身障害児(者)を守る会――が結成され、活発に活動し、その後の重症心身障害児・者福祉の具体化、体系化に大きな役割を果たしてきた。/昭和四二年に公法人立重症心身障害児施設は一三施設であったが、昭和五四年には四八施設となり、国立療養所委託ベッドも八〇余療養所となっている。そのベッド数は一三〇〇〇余である(表1)。」(江草・末光[1980])
 ここにはその年までの表がある。その後のことを記したものもないはずはない。また親の会の活動については堀[2014]に記述がある。」

 続く


UP:201602 REV:

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