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反社会的病気/社会病・2

「身体の現代」計画補足・113

立岩 真也 2016/01/31
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1686765101590470

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『現代思想』2016年2月号 特集:老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…・表紙    『現代思想』2016年2月臨時増刊号 総特集:辺野古から問う・表紙    有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙   
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 「連載」第120回「国立療養所/筋ジストロフィー」
http://www.arsvi.com/ts/20160120.htm
から、第2回。
 それが掲載されている『現代思想』(青土社)2016年2月号、特集「老後崩壊――下流老人・老老格差・孤独死…」発売中。 http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02
 ちなみにほぼ同時発売の2月臨時増刊号は総特集「辺野古から問う」
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#02e

 前回、「難病」
http://www.arsvi.com/d/n02.htm
について、「誰か書いてくれるのを待っていたけれど、なかなか出てこないということがあり……ということもある」と書いた。だからというわけでもないだろうが、渡部沙織(大野更紗)さんから関連の論文を何点かお送りいただいた。読んだらまた紹介します。

 関連する本の頁などにリンクもされている今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162112.htm
 以下で言っていることは「社会防衛」の対象となることは、その対象とされる人たちにとって基本的には迷惑なことなのだが、それはときに、原因究明・治療法の開発、そしてその人たちがまずは暮らせるようになることにも結びついたということだ。それはハンセン病について言えることだか、スモン病――それは基本的に企業や政府を批判することで結集し社会に訴えた、そのことで難病運動・政策を引っ張ったところがあるのだが、その手前で――についてもあったようだということである。とりあえず「よしあし」は別として、しばしばそんなことはある、そこは押さえておいた方がよいうことである。


 「■反社会的病気/社会病
 […]

 この時期は、薬害スモンが社会問題となり、それを巡る対応が議論されていた頃だ。そしてスモンに対する対応を認めさせるのに合わせて、他の「難病」についても公費負担を求める要求がなされる。七〇年の質疑で要求されているのはベーチェット病についての公費負担だった。答弁で言われているのは、大きく二つ、「反社会的」「社会防衛的に必要」な疾患と、「社会的な事柄が原因」の疾患である。前者には精神疾患、結核、ハンセン病があげられていた。後者には所謂公害病が入れられており、他方、他の疾患については公費負担は難しいということになっている。それでもスモンが入り口になってこの時期だんだんと変わっていって「難病対策」が始まる。このことについては別に記すとして、ここでは「反社会的」で「防衛」されるべき範囲が広かったこと、そしてそれを特に患者やその人たちを支援する側も利用することがあったことを見ておく。
 スモンはウイルス説が当初強かった。それが否定されるまでに長い時間を要した。次のような挿話がおもしろいという人もいるかもしれない。オリンピック等の催と都市の「浄化」が組み合わさることがしばしばあることは指摘されてきたが、スモンについてもそんなことがあった。一九六四年、東京オリンピックの時のことだ。

 「とくに昭和三九年の戸田地区での四五例に及ぶ集団発生はオリンピックのボートレース開催予定地であったために、国の威信をかけて、厚生省は補助金による研究班を急遽発足させた。その当時、すでに三七都道府県で八二三例という多数の罹患者が集積されていた。」(西谷[2006])

 伝染、発生が懸念され、そしてそれが生じている(らしい)ことが対外的にもたらすものが懸念されたということだ。そしてそれは、差別を生じさせることでもあったから、患者たちにとっては迷惑なことであったのだが、しかしそれは、害を広げさせる可能性を有するから「対策」を促すものでもあった。
 当時の状況のもとで生活の方面に金を出させることは困難だった。そんなこともあって、研究を掲げその枠の中でいくらかの支援をするという方向が考えられた。このことに関わるもう一つの挿話がある。椿忠雄(都立神経病院院長の後、新潟大学神経内科教授)がスモン=キノホルム説を公表したのは七〇年八月七日だが★01、対策を求めていく一つの方向として、東京都では神経病総合センターを作ることが構想されており、それを推進・実現するためのセンター設置促進講演会があったのは、その翌日、八月八日だった。この時のことを、「難病」についての唯一、ではないかと思う研究書で、衛藤幹子が自らの関係者への聞き取りから次のように記している。なお文中の白木は白木博次。(一九一七〜二〇〇四。一九六八年四月、東京大学医学部教授のときに都立府中療育センターの初代院長に就任。同年一一月、東京大学医学部長。一九七〇年七月美濃部都知事の委嘱で東京都参与、等。)

 「神経病総合センター設置は、感染説を印象づけることによって都民の関心を盛り上げその支持をバックに実現を図ろうとの意図があった。そのため、都知事講演会当日にキノホムル原因説が発表されたことについて、そのことを開催直前に知った白木や全国スモンの会関係者は、キノホルム説の公表が少なくとも講演会以前でなかったことに安堵したという。」(衛藤[1993:121])

 薬害であるとなれば、その薬の使用をやめれば、原因さらにはっきりし、発生は抑えられる――実際、このとき厚生省は珍しく早くキノホルム剤の使用を禁止し、新たな発生はなくなった。この証言をそのまま受け取れば、伝染病である可能性があるなら、それを研究し、研究費として支出される金や作られるセンターを患者のために使うといったこともまたできる、(しばらく)感染説が維持され、研究のため(として)金を出させることが、すくなくとも当座は、より容易だと考えられたということのようだ。感染の可能性があることによって、「社会防衛」の対象であることによって、関心を得て、金を得ようとしたということである。」

 「★01 京大がウイルス説、東大・新潟大が非ウイルス説を主張して対立していたことは比較的知られている。次の註にあげる西谷の著書では当時の京大での様子についての記述もある。また当初キノホルム説を否定していたが椿らの研究もあり自らの研究成果からもキノホルム説を支持すにるいたった九大の研究グループの動向等々について井上[2012]にかなり詳しく記されている。スモンに関わる告発・訴訟以後の書籍は多く出ている。HPにいくつか挙げている。」

 続く


UP:201601 REV:

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