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社会防衛のこと・5

「身体の現代」計画補足・106

立岩 真也 2016/01/15
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1681524222114558

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『現代思想』2016年1月号 特集:ポスト現代思想・表紙    『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』(青土社)2016年1月号、特集「ポスト現代思想」は今売っている。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#01
そこに掲載された第119回「加害について少し」
http://www.arsvi.com/ts/20160119.htm
から5回め。
 今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162106.htm
「反保安処分闘争」
http://www.arsvi.com/d/h07.htm
「強制医療/保安処分/心神喪失者医療観察法/…」
http://www.arsvi.com/d/f01.htm
桐原尚之他作。(他に比べて)ずいぶん分量多いです。ご覧ください。


 「■やがて社会防衛が一部で否定される
 […]
 そうした〔反保安処分の〕活動が学会においてもなされた一時期があり、それは離反・拒絶を生じさせもした。医療が病者のための営みであるなら、この問題を取り上げること自体は、医療者が医療者であるためにも、なされるべきことであり、健全なことではある。ただ、反対するとし、その反対を表明すること、さらにその闘争に関わることは、一つ、日々の診療・医療とは直接には結びつかない、すくなくとも別の仕事としてなされることになる。そんな話ばかりがされていると多くの人たちは引いてしまう。そんなことが議論されている場に寄りつかない人たちもいる。
 そんなこともあるが、問題はより面倒なところにもある。まず、予防拘禁とは分けて考えねばならないとしても、加害からの(自己)防衛そのものについては否定できないという感覚がある。たいがいの医療者は殴られるぐらいの危ない目にはあっている。
 そして、反保安処分が看板にされている間はあまり明示されないのだが、防衛の対象になっているのは普通の意味での犯罪ではないということも感じられている。『精神病院体制の終わり』(立岩[2015])で取り上げた十全会病院が引き受けたのは多く認知症の高齢者であり、その中で強い加害性があると見た厄介な人たちは断ったりもしながら、おもには人に暴力をふるうといった元気などない人を収容した。ただ、その収容に際し、事実上まともな判定も手続きもない仕組みのもとで、加害の可能性のある人を医療施設が強制収容してよいとされることによってその行ないが許容され、また加害性を抑止するための医療行為としての拘束等をして他の施設が受け入れない人を受け入れることにもなった。
 こうした現実は、その現場において感受されていた。すると医療や医療者の手には負えないということになる。困難はそのことにも発している。狭義の加害が世の中で起こっているやっかいごとの小さな部分にしか関わらないことは明らかだと思う。暴力はたしかに大きな深刻なことだが、他方に、それほど直接的に暴力的でないが長い間には長く大きく効くこと、疲れさせられることがある。
 ではどうするかについて、ひとまず書けることは書いてきた。精神医療に即するかたちでは、『精神病院体制の終わり』に書いた。ここでは、そこでとりあげなかった狭義の加害について、いくつかを確認だけしておく。
 ただ以上略述した事情によって、保安処分関係については、例外的にたくさんのことが書かれ、本も出ている。私が二冊の本に書いてきたようなことに比べると、多くのことはもう言われていて、私自身が加えるべきことを思いつかないということもあった★02。それでこれまで書かなかった/書けなかったということもある★03。
 この社会に作られ維持されているとされる大枠からそれほど外に出ることはできないという感覚がある。それが書くことがないと思えてしまう第二の理由である。さらに第三に、その大枠は動かせないままで、具体的なところとなるとそうはっきりとしたことを言えないとも思える。そして詳しくもない。こんな時にはごく基本的なことを確認しておく他私がすることはないから、それを少し行なう。」


 続く。


UP:201601 REV:

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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