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社会防衛のこと・4

「身体の現代」計画補足・105

立岩 真也 2016/01/13
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1680938318839815

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『現代思想』2016年1月号 特集:ポスト現代思想・表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙    『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』(青土社)2016年1月号、特集「ポスト現代思想」は今売っている。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#01
そこに掲載された第119回「加害について少し」
http://www.arsvi.com/ts/20160119.htm
から4回め。
 国立療養所の使い回しに関わること(具体的にはまず筋ジストロフィーの人たちのこと)は次回(2月号)に書くと記した。その最初の原稿を書いて出したところ。筋ジストロフィー関連文献表作成続行中。ご教示・寄贈歓迎です
http://www.arsvi.com/d/md-b.htm
のこと。今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162105.htm
 このところ書いている本にはいろいろな人が出てくるのだが、一冊の本の中にたいしたことは書けない。それでHPに各々の人についての頁を作っている。失礼ながら(そのページが)非常に貧弱なページもが多いのだが、まれにそこそこの情報量のあるページもある。秋元波留夫については
http://www.arsvi.com/w/ah06.htm
があるが今みたらたいしたことはなかった。ただそこからさらにリンクを張っている各々の著作のページをみるとある程度のことはわかるだろう。ただようするにどんな人と私は見ているのかは、下にも短く書いてあるけれども、拙著を読んでいただけるよいと、その拙著の筆者は思う。

 「■やがて社会防衛が一部で否定される  もう一つ、ここで「反社会的」「社会防衛」を口にすることは否定的なこととして捉えられていないということである。
 『造反有利』(立岩[2013b])でも述べたのは、精神科医の親玉のような人たちもそのことを肯定していたということだ。ライシャワー事件(一九六四年)は業界では有名な事件で、それをきっかけにした司法の介入に精神科業界が反対したという記述になっている。それ自体は間違ってはいない。ただそれは、(狭義の)社会防衛、犯罪の抑止はよしとした上で、そのためには医療の方がよい、医療がその役割をよく果たせると秋元波留夫らは主張したのだった。
 それが批判の対象になるのはその数年後、一九六〇年代の後半になってからだ。その後、所謂医療観察法の成立・実施に至り、その後も続く運動において、「社会防衛」は、批判するその陣営において、ということになるが、否定的な言葉になる。それが社会の主流になるといったことはなかったが、運動に直接に参与するのでないとしても似た気分を共有する「学」の側において、例えば「医療社会学」のある部分も、そんな発想に親和的であってきた。
 それはこれから述べていくように具体的には保安処分に対する反対する運動のもとにあったから、既に社会防衛そのものというよりは、「予防拘禁」という「不当な」防衛の仕方が問題にされていたのだが、そしてその時にも医療は否定されていないのだが、それでも、その医療の「目的」が問われたこと、それを医療と言ってよいのかという疑問が示されたという意味では、やはりそこに変化はあったと思う。実際になされていることは治療でなく防衛のためのものだと捉えた。医療が本人のためになされるものであるとすれば、そのように捉えられない部分、本人のためにならない部分がある。それは医療でないと言う。考えればまったく当然の単純なことだが、すくなくともその少し前まで、それが当然でないことがあったということだ。その変化はかなり大きなことでもあったと考える。
 そして、法律の制定が幾度も浮上し、運動はそれに対する対抗の運動としてあってきたから、そこで直接に批判の対象とされたのは国家・国家権力であり、そしてそれはその時の社会運動の構図によくはまるものでもあった。」

 続く。


UP:201601 REV:

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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