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社会防衛が護るもの・2

「身体の現代」計画補足・103

立岩 真也 2016/01/09
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1679532405647073

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『現代思想』2016年1月号 特集:ポスト現代思想・表紙    有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙    『流儀』 (Ways)表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』(青土社)2016年1月号、特集「ポスト現代思想」は今売っている。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#01
買ってください。そこに掲載された第119回「加害について少し」
http://www.arsvi.com/ts/20160119.htm
から少し、の2回め。
 今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162103.htm
そこから有吉玲子の本等にもリンクさせた。国立療養所の使い回しに関わること(具体的にはまず筋ジストロフィーの人たちのこと)は次回(2月号)に書く。筋ジストロフィー関連文献表作成中。ご教示・寄贈歓迎です
http://www.arsvi.com/d/md-b.htm

その(2005年からということになる)『現代思想』の連載について
http://www.arsvi.com/ts/2005051.htm


 「■社会防衛が護るもの
 […](有吉玲子の本にも引用される)一九七〇年代初めの(国会答弁等の)言論をみても「わかるのは二つのことである。一つは、「社会防衛」がけっして悪い意味で用いられているわけではないということである。そして一つは、広い意味で用いられているということである。実際に存在し、そして病院体制が適用されてきたのはもっと大きな範囲になのである。
 まず後者、範囲の広さについて。ハンセン病の療養所ができ、収容されていった。これについてはここ数十年間に様々が書かれ知られるようになった。比べて今は忘れられつつあるが、結核についても国立療養所が作られていった。両者の(元)病者たちの運動がこうして隔離され集められたところから起こってきたことを述べた。
 これらの人たちは単純素朴な意味で加害を行なうわけではない。まず言われたのは伝染の可能性である。苦痛や死をもらたす病を他の人にもたらす。その可能性によってそれは防がれるべきものとされた。それに対して言われたことの一つはその害を過大に見積もっているというものだ。ハンセン病についても感染性が否定されて久しいのではある。近くはエイズの流行についてそんなことがあった。「偏見」でしかないことが存続される。依然としてそうした部分があり、しばしば起こることのは事実ではある。ただ事態を存続させたのは感染だけのことではなかった。
 なおるようになってから、感染を恐れなくてもよくなってからも、それは存続した。それには「無根拠な恐れ」「いわれなき差別」もおおいに作用したにせよ、それと連続もしていた契機があった。その人たちのある部分は「療養」する人である。とくに医療として何ほどのことがなされたわけではない。医療はときに必要だったが、入院・入所する必要はなかった。しかし、まず人を病にすることを他害とすることによって強制収容を正当化するとともに、そのおそれにも由来して「自活」できない人の生活の場としてそれは存続した。そしてその生活・処遇に対して抗議する運動としてその人たちが組織化され、運動が展開されていったのだった。そしてその運動は、抗議の運動でありつつ、ときにまったく同時に、その場での生活を護るための運動でもあった(前回の【T】)。
 ハンセン病の療養所は長くなくならなかった。その施設の多くは僻地に建てられたし、今はもう古い施設・設備でもあり、その居住者は少なくなっており、さらにこのままだんだんと少なくはなっていくものの、居住し続ける人がいる中で、すぐに別の入居施設に転用されていくことは考えにくい。ただ、結核は、薬そして生活環境、例えば栄養状態の変化――医療社会学者はこちらの側面を強調する場合が多い――によって減っていき、感染の恐れがなくなっていくし、本人たちにも「社会復帰」できるようになっていく者がいる。それでも残るしかない人たちはいて、国立療養所の結核病棟の廃止に対する反対運動が展開されたが、縮小・廃止は進められていった。
 こうしてハンセン病施設は長くそのままにされたが、療養所の結核療養者は減っていく。するとその施設における次の「受け皿」のことが出てくる。経営者やそこに働く人にとってそれはより差し迫った関心事だった。組織の経営に関わる当時の厚生省にもその「空き」をどうするかという関心はあっただろう。
 結核の後に空いたところがどうなっていくか。国立療養所が受け入れたのは、大きくは二種類の人たちだった。身体と知能の両方に重い障害のある人たち――とされたがとくに当初はサリドマイド児や脳性まひ児等かなり様々な人たちが混じっていたという――を受け入れる重症心身障害児施設(重心)であり、もう一つは筋ジストロフィーの子どもたちだった。
 その人(子)たちはさすがに「反社会的」とは言われなかった。同情の対象になりやすかったということがあった。明らかにかわいそうであるとされたのがその子どもたちであり、その子の苦難とあまり区別されなかったのだが、その親たちの苦難が言われた。実際には、誰が苦難に面しているかと言えば、それはまず家族、親たちであり、それに対する救済、救済のための対策を家族が主張し、それが認められていく。それが六〇年対の前半以降に起こったことだった。さらに七〇年代には「難病」が救済の対象となっていく(前回の【V】)。その手前、同時期、「難病」という範疇の成立にも関わるのだが、スモン病が問題になっている。ここではさすがに「反社会的」は言われない。行政側は、言葉をにごしながらも、社会がもたらした病(前回の【U】)――「社会病」といった言葉があったという――についても「公費負担」を認める流れになっていく。それは「公的責任」を曖昧に回避しつつ、それでもいくらかのことはしようという策であったのかもしれない。そしてそこに開かれた「難病」という範疇に、以後様々が入っていったという構図を描くことができる。前々回引いた厚生大臣の答弁はそうした時期の、そうした病に関わるものだ。」


UP:201601 REV:

立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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