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成年後見制度に代わるもの

立岩 真也 2016/09/23  障害学国際セミナー 2016「法的能力(障害者権利条約第12条)と成年後見制度」,於:立命館大学
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 *翻訳では(漢字等でなく)「CRPD」を使う。→翻訳者の方へ

■1 はじめに

 CRPDを前提にするのは政策・(狭義の)運動的には妥当だろう。
 しかし研究としては(また運動的にも広い視点からは)その枠組みを前提する必要はないと考える★01。

★01 最も基本的には、「非能力(dis-ability)」全般から「障害(disabilty)」を切り離すことによって、また「能力差別 ableism」を基本的に否定しないことによって、この条約(および障害学全般)は、障害者差別を狭い意味のものとし、そのことによって近代・現代社会にとって本来破壊的で危険なものである障害者解放の思想を、安全な許容可能なものにしていると私は捉えている。このことについては立岩[1997](第2版[2013]、今月電子書籍で刊行した英語版[2016])。


■2 成年後見の問題点

 成年後見制度の拡充が社会的に求められている理由ははっきりしている。認知症の人の増大である。(そしてむろん認知症の人は障害者である。★02)2016年に成立した「成年後見制度利用促進法」もそうした背景から出てきた。幾つかの障害者団体は反対し、私も反対したが、法律は成立した★03。
 その問題は、このセミナーも含め、既に様々に示された。
 基本的な問題は、この制度のもとでは、他人が本人になりかわってしまうという点である。後見人が本人を擁護するというより、その後見人が本人になりかわってしまうのだから、(本人その人によるだけでなく)本人「側」からの抗弁が成立しなくなってしまう(cf.斎藤[2011])★04。


★02 成年後見の利用者は2014年末で18万4670人で、この数は認知症の人たちの数に比した時、少ないと言われる。
★03 ただ、問題点がメディア、いくらかの政治家に知られ、今後検討すべきことがあることが認識されたことは一定の成果と言えるかもしれない。
 なお私は各国の様子をほとんど知らない。検索するとすぐに台湾・中国について江(Jiang)[2014][2015]、中国について王(Wang)[2010]が出てくる。それらを読む限りでは法の枠組みはこれらの国々で大きく変わらないようだ。
★04 以下で私は、A:人々まずするべきことをすること、政府はときに強制力(権力)をもってそれを保障すべきことを主張する。それは個人の自由を狭めるものだと思われるかもしれない。しかしそうではない。B:代理人の仕組みは、その代理人が本人として振る舞うことによって、同時にその本人はその振る舞いを止めることができないことによって、より大きく侵害する可能性がある。私たちのAの立場は、政府他がやるべきことをやることを求め、さらにそれに本人が抗弁できること、抗弁することを弁護する人(たち)がいるという仕組みを求める。その方が望ましいと考える。


■3 代わりに

 一つの答があるわけではないということ。
 代理人を決めて委ねるという方法の方がシンプルではある。しかしこの場合にはシンプルであることはよいことではないことをわかっている必要がある。
 そして、領域・場面を分ける必要がある。


■4 経済

 ◆契約〜詐欺について
 詐欺を禁ずる、犯罪者を罰するという方法を基本的にとる。
 (コストの大きい小さいは、どのような方法を採用するかについての第一の基準にはなりえないが、このことをふまえた上で、この方歩が、後見人を立てて事前に防止しようとするより、一般的な規制、事後的な対応の方がコストがかからない可能性もある。)

 ◆とくに問題になるのは家族
 既に示されたのは、家族が代理する場合の危険性があるということだったが、家族 もまた迷惑を被る可能性があり、そのために後見者をつけて制約するということだった。ならば、家族に迷惑がかからないような仕組みにするというのが一案である。
 →例:家族が借金を引き受けなくてもよいようにする 等
 とすれば本人の分については、外から見れば浪費であっても、使ってかまわないことにできるかもしれない。

 ◆社会保障・社会福祉における申請主義の問題
 申請しないと受給できないから申請する人が必要になる。要件を満たす人が自動的に受給できるようにすれば申請する人もいらなくなる。

 ◆それでも財産管理の問題がまったくなくなるというわけではないだろう(とくに認知症の高齢者等)。しかし減らしていくことはできる。基本的に後見人が決める余地を少なくする。例えば遺産。仮に遺言はそれとして尊重するとしても、それ以外の部分については法定の方法に従うようにすれば、それで基本的にはすむはずだ。どのような後見人であったとしても、その人が適切な配分の方法を案出できるはずだという根拠は思い当たらない。


■5 医療〜生命に関わる場面

 ◆基本的には同じに考える。例えば医療機関は、まずすべきことをする。たしかに同意書は昨今の習わしになっている。ただ例えば救急医療の場等においては、同意書は失敗した場合に備えてとられる。実際にその成功・不成功から直接益・不利益を得るわけではない後見人(他)が同意することがどこまで本人にとって有効かという問題がある。例えば被後見人の延命から経済的益を得る弁護士の後見人は治療〜延命を支持し、財産の目減りを心配する家族の後見人は治療の停止を支持することがあるという(斎藤[2011])。本人同意をとれないときは後見人等の同意がなければ医療を施せない(施さない)というのではなく、すべき医療を行うようにすればよい。

 ※ 現在は意思表示できないが、その前には可能という場合に、今まで示されている困難な場合の対処法は事前指示(CRPDに至る議論ではこれに対する肯定的な見解も示された)。
 それが有効なことはあるが、事前指示が存在しない場合は多くあるし、あったとしてその有効性には限界がある。本人が指名した後見人であっても、後見制度に存在する問題は残る。あらゆる決定は「事前」決定であると言えるからその決定全般を否定する必要はない。ただ、医療に関わる具体的な場面では「事前指示」は危険である(今回のポスター報告の一つ長谷川[2016]がこの点に関係する)。まだ障害者でない時、「こんな状態になったら死を望む」と思う人はいる。その時その人は十分に「理性的」である。このような決定はCRPD的な枠組みではどのように捉えられるのか? 後述する「自傷」(に対する介入)をどう考えるかにも関わる。

 ◆とくに「強制」が関わる場合をどう考えるか。
 これは条文としては14条に関わるのだろうが、どんな場合に本人の意思・希望に反する行い、また本人から(その時点においては※)表明されていない行いが正当化されるか、またされないかということであり、深く関連する。
 自傷と他害を分ける。以下について立岩[2016]でより詳しく議論している。

 ◆他害について。それは基本的に医療の対象でないとする&障害によるというだけでなく確率・予想による対応は極小化すべきであると主張する さらに刑事司法においても現行犯への対応とする〜この場合には「障害ゆえに」という契機はなくなる。(CRPD第14条は「いかなる場合においても自由の剥奪が障害の存在により正当化されない」としている。)

 ◆自傷(ここでは広い意味に解する)について。
 ・1)障害者差別がなくなればあとは(おおむね)「自己決定」に委ねればよいということにはなるだろう(→障害を苦にして死のうとすることはなくなるだろう)が 差別がなくなることは(すぐには)ない とすると→死の決定を許容する法を是認しない正当な理由があると考える※★05。
 ※これは本人決定を強く肯定する側からは支持されない可能性がある。
  2)直接的に社会的要因がかかわっているわけでない鬱による自殺念慮といったものがあり、それを認める動きがベルギー、オランダなどにある。
 →これについての精神障害者団体の動きはどうか研究の必要がある。

★05 安楽死・尊厳死について立岩[2008][2009]、立岩・有馬[2012]。立岩[2008]にはコリア語訳がある。


■おわりに――まとめに代えて

 CRPDが「決められる人間」を前提している、またそうした存在を肯定しているという見方をどう考えるか。→そのように捉えることは可能である。そしてそれを批判的に捉えることもできる。
 (1) 審議過程も含め、CRPDにおいてそれほど(とくに広義の自傷について)立ち入った議論があったようには思われない。ただ基本的にはその人の意思はそのまま受け入れるべきとされていると解することはできる。例えば私はそれについて全面的には肯定的ではない。
 (2) 本人でなく他人たちが決めるしかない場面があることを認める。しかしそのことは後見制度を認めることを意味しない。他人たちが決める、すくなくとも決めることを助ける制度としてこの制度はよくない制度だと言える。
 ただ(3) 自分一人が決めることに対置されるものが「共同」であるという捉え方はときに単純にすぎるように思われる。(一人の後見人を置くことも一人ではある。)みなで知恵を出すほうがよいことがあることを否定しないが、それはいつものことてはない。
 (4) 決定のあり方を決めるという場合に、決める人を決めるという方法とどんな場合にはどうするかその内容を決めておくというのと大きく2通りある。後見制度は前者の一部あり、またうまく機能しない制度である。本報告では場合によっては後者が適していることを述べた。
■文献

◆長谷川唯 2016 「自己決定と法的能力」(仮),障害学国際セミナー 2016「法的能力(障害者権利条約第12条)と成年後見制度」ポスター報告,於:立命館大学
池原 毅和 2016/09/22 「障害者権利条第12条(法的能力)実施の国際的課題」,障害学国際セミナー 2016「法的能力(障害者権利条約第12条)と成年後見制度」,於:立命館大学
◆江涛(JIANG Tao) 20140930 「台湾における成年後見制度に関する一考察」(A Study on the Adult Guardianship System in Taiwan),『千葉大学人文社会科学研究』29:28-40
 http://mitizane.ll.chiba-u.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00117979
◆―――― 2015 「中国における成年後見制度に関する研究」,『千葉大学法学論集』30:1・2
 http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/AN10005460/09127208_30-1-2_262-252.pdf
◆斎藤正彦 2011/08/02 「成年後見制度は高齢者の人権を守れるか」
 https://www.youtube.com/watch?v=-xriWbZU4mE
◆―――― 2011/08/02 「認知症の人の意思決定をサポートする」
 https://www.youtube.com/watch?v=X5NzFoz4IXk
◆立岩真也 1997 『私的所有論』,勁草書房
◆―――― 2008 『良い死』,筑摩書房
◆―――― 2009 『唯の生』,筑摩書房
◆―――― 2013 『私的所有論 第2版』,生活書院
◆―――― 2016/09/01 「七・二六殺傷事件後に」,『現代思想』44-(2016-09):
◆―――― 2016/09/10 On Private Property, English VersionKyoto Books
◆立岩 真也・有馬斉 2012 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院
◆王 麗萍(Wang, Linping オウ・レイヘイ )訳:鄭芙蓉 20100331 「挑戦と対応――中国における成年後見制度について」(Challenges and measures : the adult guardianship system in China mainland (Adult Guardianship in East Asian Countries) ,『東洋文化研究』12:247-267 (<特集>東アジアにおける成年後見制度)
 http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/handle/10959/2906
 http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/2906/1/toyobunka_12_247_267.pdf

 

■cf.

◎ツィッター・フェイスブック

◆2016/09/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/777468092167229440
 「「韓国ではわりあい最近、成年後見体制への移行があったということらしい…反対もあったのだが、それを推進する側の力の方が強かった、ということのようだ。日本での成年後見制度の開始は2000年(施行)」「「意思決定支援」で行けるのだろうか?」https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1777152652551714 …」

◆2016/09/19 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/777814993995599872
 「「本人が…死ぬ…ことに決めたという「自己決定」と違う(=死なない)方向にもっていこうとすること(私はそういう方向を支持している)はどうなのか。普通には、それ…は「支援された自己決定」とは言わないようにも思える」22〜東アジアセミナー→http://www.arsvi.com/ts/20162209.htm


UP:2016 REV:20160810, 11, 12, 21, 25, 26, 30, 0919, 20, 24
意思決定支援  ◇成年後見  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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