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国立療養所・2――生の現代のために・12

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立岩 真也 2016/05/01 『現代思想』44-(2016-5):-
『現代思想』連載(2005〜)

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『現代思想』2016年5月号 特集:人類の起源と進化――プレ・ヒューマンへの想像力・表紙

■目次

 ■経営者の入所者・職員の組合についての語りを見ていくこと
 ■統合・廃止
 ■日患同盟

■註
★01 註02で引く松田勝の文章では以下。「国に移管ということに反対する空気が全国に拡り、再三、全国大会などが開かれたが、当時の医務局東龍太郎氏の「日本医療団の解散は天の声≠ナある」という言葉で施設長会議は終わった。後に、東氏は当時のことを述懐され、GHQが日本医療団解散の指令を出す前に、日本政府の手で解決しなければならなかった事情を新聞で述べられた記事を読んだことがある。」(松田[1976:8])
★02 それ以前、日本医療団から国立療養所への移管の直後、一九四七年七月に山下松風園の宮城療養所への統合があった。このことについて当時宮城病院院長の松田勝の回想がある。前者は宮城県立結核療養所として資材・人出不足で建設途上のまま四三年に日本医療団に移管。傷痍軍人宮城療養所の隣に建設されたのは、「戦争が日本の勝利に終われば、傷痍軍人は減って、将来、傷痍軍人施設は県に移管されることになるだろう。その時には両施設を合併するという考えであったといわれる」、だが戦後両方が国立療養所となり、「同じ国立療養所でありながら、しかも大施設に隣接する少施設が競合することが不可能であることは明らかであった」(松田[1976:7-8])という。
 福岡三療養所の統合と同時に統合されたのは、国立東京療養所(当時の所長は砂原茂一)と国立療養所清瀬病院(当時の所長は島村喜久治)。統合後の名称は国立療養所東京病院。「簡単にいえば、一三年かけて、東京療養所を東京病院にして、清瀬病院をつぶした形である。[…]統合がまちがいであったとは思わない。伝染病結核を処理するための医療機関は、処理し終えて消滅するのが究極目標であろう。統合していなかったら、やはり、清瀬病院は、独りで、表門を閉ざしていたに違いない。」(島村[1976b:11])
 名古屋市の梅森・八津療養所の統合(統合後は東名古屋病院)について当時東名古屋病院名誉院長・院長による青井・沼田[1976]。
別府市の光の園・別府荘・石垣原病院の統合について統合後の西別府病院院長による中嶋[1976]。
★03 「米津さんの合同葬は八月三十一日、実行委に国民救援会、全労働者労組、全日自労、民医連、東京都自宅療連、全医労、全生連、都学連、社会事業短期大学学生自治会、新医協中国帰還者全国連絡会、全看労、日患など十四団体によって行なわれた。八百名が芝公会堂にあつまり明日への決意と涙のなかで君の死は無駄にせずと誓い盛会であった。[…]
 これはあきらかに権力への斗い≠ナある、それ故にあらゆるデマと悪罵、とくに米津さんをめぐってジャーナリズムは日患の政治的アジテーションを非難した。たとえば「日患の吉田内閣打倒運動の一環である」「目的を貫徹したいために犠牲の出るのを省みない精神は、北朝鮮の人海戦術とおなじだ」といった調子である。」(小倉[1955:107-108])
★04 これは既にふれたことだが、患者運動、そして「難病」に関わる運動について、この流れが専ら取り上げられ、他に起こったことはその分知られないことを、まずは知っておいてもらってよいということもあってこの数回を書いている。「患者運動」という署名を持つ本は長宏によるものであり(長[1978])、長は日患同盟の会長を長年務め、また日本福祉大学の非常勤講師を二三年務めたと言う。一時その大学院生で、その講義を聴講した人から、その講義は朝日訴訟について語り続けるものであったと聞いたことがある。長は一九九七年に亡くなり、所蔵していた「朝日訴訟」関係文献を整理して日本福祉大学附属図書館内に「朝日訴訟文庫」が作られた。このことを当時日本福祉大学社会福祉学部長だった人が『しんぶん赤旗』に書いた記事がある(柿沼[1998])。
 「難病」に関わる運動の初期のものもこの流れと関わりがある。そして、この流れと別にあったものは、その流れの人たち――社会・政治全般の中ではともかく、福祉の業界・学界では相当の勢力を有してきた――の書きものには現れてこない。それは事実の一部を看過することになるのだから、すくなくともそのことにおいてよくないと考え、書いてきたところ、これも書いているところがある。そしてそれは、例えば「難病」の人たちの生活自体にもよくない影響を与えてきた部分があるとも考えている。それで書いているところもある。
 その「別の流れ」に関わる本が最近発刊された。「青い芝の会」で活動した横田弘についての臼井正樹の文章と横田と私の対談を収録した『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』(横田・立岩・臼井[2016])。
 なおこれらの全体、とは言わないとしても欠落した部分を記録しようという研究計画の本体の部分を本連載の第一一八回(二〇一五年十二月号)に「病者障害者運動研究」と題して掲載したが、その研究助成は、「身体の現代」と題していた時も含めるともうこれで五回か六回不採択になった。どこかと私はずれているということなのかもしれない。しかしした方がよいことはやはりあると言うしかない。そんなわけで金はないが、しかし研究を呼びかけることを一つに呼びかける本が同じ月にもう一冊出た(立命館大学生存学研究センター編[2016])。
★05 大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編によれば、九五年現在の組織人員二万人、ウィキペディアによれば二〇〇四年時点で会員数は約五〇〇〇人。

■文献(26)→文献表(総合)

◆青井節郎・沼田正二 1976 「統合こぼれ話」,国立療養所史研究会編[1976a:11-13] [123]
◆青木純一 2011 「患者運動の存立基盤を探る――戦中から戦後にいたる日本患者同盟の動きを中心に」,『専修大学社会科学年報』45:3-14 [98] [123]
◆朝日訴訟運動史編纂委員会編 1971 『朝日訴訟運動史』,草土文化 [123]
◆後藤正彦 1976 「患者自治会の活動の一端」,国立療養所史研究会編[1976a:508-510] [123]
◆比企員馬 1976 「福島療養所の想い出」,国立療養所史研究会編[1976a:623-629] [123]
◆姫野孝雄・北場勉・寺脇隆夫 2014 『日本患者同盟および朝日訴訟関係文書資料の目録作成とその概要把握』,社会事業研究所2012・13年度研究報告  [123]
◆柿沼肇 1998 「生存権保障の運動と「長宏(おさひろし)」――「朝日訴訟文庫」開設に寄せて」,『しんぶん赤旗』1998-11-17  [123]
◆国立療養所山陽荘 1976 「国立埴生療養所廃止のいきさつ」,国立療養所史研究会編[1976c:573-574] [123]
◆国立療養所史研究会 編 1975 『国立療養所史(らい編)』,厚生省医務局国立療養所課,135p. [123]
◆―――― 1976a 『国立療養所史(結核編)』,厚生省医務局国立療養所課,679p. [123]
◆―――― 1976b 『国立療養所史(精神編)』,厚生省医務局国立療養所課,360p. [123]
◆―――― 1976c 『国立療養所史(総括編)』,厚生省医務局国立療養所課,732p. [123]
◆松田勝 1976 「山下松風園統合」,国立療養所史研究会編[1976a:7-8] [123]
◆中嶋俊郎 1976 「廃止統合」,国立療養所史研究会編[1976a:13-22] [123]
◆中村京亮 1976 「国立療養所の統廃合,とくに全国最初のケースを回想する」,国立療養所史研究会編[1976c:560-562] [123]
◆中村京亮・三野原愛道・瀬川二郎→大蔵大臣 1960 「陳情書」→国立療養所史研究会編[1976c:563-564] [123]
◆―――― 1972 「序文」,『国立療養所福岡東病院五周年記念誌』→国立療養所史研究会編[1976c:560-561] [123]
◆日本患者同盟四〇年史編集委員会 編 1991 『日本患者同盟四〇年の軌跡』,法律文化社,393p. [123]
◆小倉襄二 195508 『医療保障と結核問題――一九五四年度における入退院基準・看護制限反対をめぐる日本患者同盟の運動を中心として』,『人文学』(同志社大学)19: 94-113  [123]
長宏 1978 『患者運動』,勁草書房 [123]
◆立命館大学生存学研究センター 編 2016 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ」,生活書院,266p. [123]
◆島村喜久治 1976a 「総説」,国立療養所史研究会編[1976a:1-4] [123]
◆―――― 1976b 「東京療養所と清瀬病院の統合」,国立療養所史研究会編[1976a:9-11] [123]
◆―――― 1976b 「患者自治会の活動」,国立療養所史研究会編[1976a:506-515] [123]
◆高木善胤 1976 「統合と言う名のドラマ」,国立療養所史研究会編[1976a:4-7] [123]
◆横田弘・立岩真也・臼井正樹 2016 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院,250p. [123]


UP:2016 REV:20140411, 0502
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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