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加害のこと少し――生の現代のために・9

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立岩 真也 2016/01/01 『現代思想』44-(2016-1):-
『現代思想』連載(2005〜)

last update:2015
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※加筆され、次の本の一部になりました。

◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社



生の現代へ:文献表

立岩 真也 201510 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社 ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆立岩 真也 2015/12/01 「病者障害者運動研究――生の現代のために・6 連載 118」『現代思想』43-(2015-11):-

◆立岩 真也 2015/11/01 「今般の認知症業界政治と先日までの社会防衛 連載 117」『現代思想』43-(2015-11):-

◆立岩 真也 2015/10/01 「『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』 連載 116」『現代思想』43-(2015-10):-

『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』表紙    『造反有理――精神医療現代史へ』表紙    『現代思想』2016-1 特集:★

□フェイスブックでの紹介

◆2016/01/07 「社会防衛が護るもの・1――「身体の現代」計画補足・102」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1679030005697313
◆2016/01/09 「社会防衛が護るもの・2――「身体の現代」計画補足・103」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/167953240q5647073
◆2016/01/11 「社会防衛が護るもの・3――「身体の現代」計画補足・104」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1680235968910050
◆2016/01/13 「社会防衛のこと・4――「身体の現代」計画補足・105」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1680938318839815
◆2016/01/15 「社会防衛のこと・5――「身体の現代」計画補足・106」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1681524222114558
◆2016/01/17 「社会防衛のこと・6――「身体の現代」計画補足・107」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1682231132043867


■社会防衛が護るもの
 病や障害と呼ばれるものにある契機として五つはあると述べ、その各々について、本人はじめ種々の人間にとっての正負を見ていくことが必要だとした。その四つめ(異なり)の途中までになっていて、前々回は、この連載からできた『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(立岩[2015])について、またその本に書いたことに関わる現在について紹介した。そして前回はその枠組を念頭に置きながら、主に戦後の病者障害者運動を記録し研究していくその計画について、計画書をほぼそのまま再録するということをした。
 五つめの契機としたものは「加害」だ。これをどのように捉えたらよいか、迷うところがあった。『造反有理』他でも書けないといったことしか書いたことがない(立岩[2013b:343-346]他)。それでもここでは、この契機について少し記しておく。
 […]

■やがて社会防衛が一部で否定される

■基本的には加えることがないこと

■それでもどちらがよいかと考えることはできる

■免責と免責されても残るもの

■範疇・確率

■註
★01 猪飼[2010]は今までになかった本格的に実証的な研究書だが、その基本的な筋は、前世紀においては急性疾患を受け入れる機関として病院があったが、今の慢性疾患の時代ではそれはもう時代遅れになっている、よってその時代は終わるというものだ。そしてその上で、「社会防衛」という点において精神病院が果たしてきた機能は他とは異なることを加えている。それはわりあい標準的な見方であり、妥当であるとして、ただその例外は精神病院に限るのかという問いは立つということだ。立岩[2015:38]でこのことを述べた。なお猪飼の弟子筋ということになるのか、後藤基行・安藤道人が重要な研究を行なっておりその本の同じ頁で紹介した。その後も研究が続けられている。近作として後藤・安藤[2015]。
★02 法律家や医師、社会運動の担い手によって書かれているものは多い。ただ多様な医療・福祉の職種の各々について書かれたものは少ない。精神科のソーシャルワーカー(PSW、資格としては精神保健祉士)が医療観察法にどのように対したのかについては樋澤の研究(樋澤[2008][2011])がある。看護師たち(はあまり動かなかったこと)については阿部[2015]に記述がある。
★03 書いたのは、それが今回書くことの大筋でもあるのだが、次のようなことぐらいだ。
 「わるいことをしたら罰せられるのはよい。しかしその人がわざとやったことでなければ、自らの意志で止めることができなかったことなら、やはりその人の責任は問えないだろう。そしてどんな手を打ったたとしても、悲しいことではあるが、加害行為がまったくなくなることはない。ずっと言われ続けてきたことではあるが、加害を減らす手段は本人を罰したり介入したりする以外に、様々にある。貧乏を減らすのが本来は一番てっとり早い。そして、それをなくすため、減らすためといって、犯罪を行なう確率が高いとされる集団に属しているからといってその人(たち)を特別に扱うといったことは極力しない方がよい。そんなことぐらいしか思いつかない。
 ただ、実際には、ずっとこのこと、とくに最後の障害と犯罪(の抑止)との関係が問われてきたことは知っておいてもらいたいと思う。日本ではとくに一九七〇年代以降、精神障害者たちについて「保安処分」の是非が争点になってきた。それを作ろうという動きに反対する運動があって、私自身も、実際に何かしたということはないが、反対の方に賛成してきた。[…]
 ただ、その前に、せめてそれと同時に、実際のところはどんなことが起こっているのかを知った方がよい。ここ数年、知的障害とか発達障害の中に括られる自閉症といった人の犯罪と裁判について詳細に追った書物も出ている(佐藤[2005][2007]等)。まずそれらを読んでみるのがよいと述べておく。」(立岩[2011])
★04 そこで行なったのは、分配されてよいものとされてならないものとの境界を巡る議論だった。それは分配的正義と別の正義(たいがい匡正的正義が対置される)との境界・関係を巡る議論におおむね対応はしている。けれども拙著では、個人への帰責を主張するための根拠を明示してはいない。ただ、「本当の」自由意志・自己制御が現実には存在しないという理由によって、生産者による自己取得を批判しているわけではないこと――ときどきこのことについての誤解を見かける――には留意していただければと思う。なおこの本のとりあえずの英訳版(電子書籍)を、最近ようやく出した。
★05 このことを主題にする本の企画に参加しなかったことは、さきに紹介した佐藤の本の書評でも述べた。
 「洋泉社から[…]後に『刑法三九条は削除せよ! 是か非か』(呉・佐藤[2004])となる本に収録する原稿を依頼されたことがある。書けないと思いますが、書ければ書きます、というようなことをたぶん言い、しかし一字も書かないままに時は過ぎ、結局お断りするかたちになった。[…]刑罰や責任のことがよくわからなかったし、いま書いたように様々な障害のことがあまりにわからなかったからだ。[…]佐藤はその本の編者の一人でもあり、一つの章を書いている。」(立岩[2005→2015:364])
 この本で正統的な「非」の立場に立っているのは橋爪大三郎。池原[2011]もその主張を支持している。
★06 病的に加害的な人を巡る扇情的な書き物その他は、昔からだが、多々ある。そんな人たちの方がとても頻繁に登場する。そうしたものについて、無視してしまった方がよく、まったく言及しない方がよいのではないかという思いはある。ただ、そうしたものへの対抗言説も含めて、集めて移り変わりや移り変わりのなさを調べておく必要もやはりあるのかもしれない。
★07 雇用において生じる「確率的差別」をどのように考えるかについては立岩[2001]。禁止されてよいこと、しかしそれはそう簡単にはうまくいかないことを述べた。

■文献

阿部あかね 2015 「精神医療改革運動期の看護者の動向」,立命館大学大学院先端総合学術研究科2014年度博士学位論文 [119]
樋澤吉彦 2008 「心神喪失者等医療観察法における強制的処遇とソーシャルワーク」,『Core Ethics』4:305-317  [119]
◆―――― 2011 「心神喪失者等医療観察法とソーシャルワークとの親和性について」,『生存学』3:155-173 <39> [119]
◆池原毅和 2011 『精神障害者法』,三省堂 <37> [119]
◆猪飼周平 2010 『病院の世紀の理論』,有斐閣 [119]
◆佐藤幹夫 2005 『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』,洋泉社 [119]
◆―――― 2007 『裁かれた罪裁けなかった「こころ」――17歳の自閉症裁判』,岩波書店 [119]
◆立岩真也 1997 『私的所有論』、勁草書房→2015 On Private Property, Kyto Books
◆―――― 2001 「できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題」、『季刊社会保障研究』37-3:208-217(国立社会保障・人口問題研究所)→立岩[2006:171-191]
◆―――― 2005 「書評:佐藤幹夫『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』」,『精神看護』8-6(2005-11):110-116(医学書院)→立岩[2015:358-370] [119]
◆―――― 2006 『希望について』、青土社 [119]
◆―――― 2011 「障害論」、戸田山・出口編[2011:220-231] [119]
◆―――― 2012 「『精神』――社会学をやっていることになっている者から」、萩野・編集部編[2012:190-197]→立岩[2015:393-398] [119]
◆―――― 2013a 『私的所有論 第2版』、生活書院=2015 On Private Property, Kyto Book [119]
◆―――― 2013b 『造反有理――精神医療現代史』、青土社 [119]
◆―――― 2014 『自閉症連続体の時代』、みすず書房 [119]
◆―――― 2015 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』、青土社 [119]
◆戸田山和久・出口康夫編 2011 『応用哲学を学ぶ人のために』、世界思想社 [119]

■この回への言及


UP:201512 REV:20151214, 20160117
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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