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註・文献表


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■註
 ※註と文献についてはhttp://www.arsvi.com/ts/20160023.htmに掲載している。

★01 『読書権ってなあに』(→註04)では1970年4月「都立日比谷図書館、対面朗読および録音朗読開始」(市橋著/視覚障害者読書権保障協議会編[1988:264])とある。同書にはこのことを巡る視覚障害者たちと図書館とのやりとり等についての記述がある。そして視覚障害者読書権保障協議会は1970年6月に結成される。
★02 註01で参照したのと同じ「視読協の歩み」には「日本盲学生会。後に視障学生会→グループ飛翔)」が視覚障害者読書権保障協議会の(発足時の)加盟団体の先頭に置かれている(市橋著/視覚障害者読書権保障協議会編[1988:264])。
★03 福井哲也「視覚障害者と著作権法をめぐる話」(福井[2000])より。
 「一九七〇年に発足した視覚障害者読書権保障協議会がまず取り組んだのは、公共図書館の視覚障害者サービスを進める運動であった。それまで、点字図書や録音図書は点字図書館の管轄と思い込まれてきたのだが、公共図書館が所蔵する豊富な資料を視覚障害者も利用したいとの強い願いから、公共図書館における録音、対面朗読、点訳等のサービスが徐々に広げられてきたのである。
 ところが、公共図書館における図書の録音には、著作権法上の障壁がある。37条3項は、図書を著作権者の許諾なしに録音できる機関を「点字図書館その他の視覚障害者の福祉の増進を目的とする施設で政令で定めるもの」に限定しており、公共図書館はこれには含まれない。このため、公共図書館では事前に著作権者の許諾をとる手続きを行っており、録音作業に入るまでに点字図書館よりも手数と時間を要している。また、少数ながら録音を許可しない作家がいることも重大である。[…]」
★04 田辺邦夫。『視覚障害者の読書と著作権――著作権問題討議資料集 第2集』(市橋編[1977])に「視覚障害者の読書――学習環境改善の運動について」(田辺[1977])。
★05 以下、「「田中章治氏の退職を祝う会」(記念講演会・記念式典・祝賀会)のご案内」(2007年、https://www.jla.or.jp/portals/0/html/lsh/2007tanaka.html)より。
 「「田中章治氏の退職を祝う会」(記念講演会・記念式典・祝賀会)のご案内
 日本図書館協会障害者サービス委員会では、昨年度をもって東京都立中央図書館を退職された田中章治氏の記念行事を計画させていただきました。
 田中章治氏は70年代の初めから「視覚障害者読書権保障協議会 (視読協)」の運動に参加され、74年に点字受験第1号合格者として東京都に入職、その後都立中央図書館の視覚障害者サービスの基礎を築き、発展させることに尽力されました。
 さらに、長年にわたり日本図書館協会障害者サービス委員会の委員長を務められ、全国の公共図書館の障害者サービスの普及と充実に寄与される一方、1989年結成の「公共図書館で働く視覚障害職員の会(なごや会)」の初代代表として障害者サービスの専門性の確立や後輩の育成にもご尽力されました。また、「全国視覚障害者雇用促進連絡会(雇用連)」の活動にも参加され、視覚障害者の就労問題にも深く関わってこられました。
 田中章治氏は、紛れもなく公共図書館の障害者サービスの生みの親であり、氏がいらしたからこそ多くの障害者が図書館サービスを利用できるようになったといって過言ではありません。現在は、再任用で同館に引続き勤務され後輩の育成に努められています。
 日本図書館協会障害者サービス委員会では田中章治氏のこれまでの功績を称え、特に図書館に関係する方々にお集まりいただく記念行事を計画させていただきました。なお、全プログラムは長時間となりますので、その一部のみの参加も歓迎いたします。
 時節柄お忙しい時期とは存じますが、ご出席いただけますようよろしくお願い申し上げます。また、お近くの御友人にもお声がけいただければ幸いです。
 御出欠につきましては、まことに勝手ながら2月20日(火)までにお知らせいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
 主催:日本図書館協会障害者サービス委員会 共催図書館問題研究会図書館利用に障害のある人へのサービス委員会 後援公共図書館で働く視覚障害職員の会(なごや会)
 1.日時:2007年3月12日(月) 午後2時〜8時[…]」
★06 市橋正晴。1946年東京都昭島市生。明治学院大学社会学部社会福祉学科卒業後、川崎市役所に就職、川崎市盲人図書館に勤務。1996年に退職、同年(株)大活字を設立。1997年2年に交通事故に会い、その2月後に亡くなる。それまて25年に渡って視読協の事務局長を務めた。市橋の死を受けて同年7月、視読協解散決定。以上、なんとかそれだけ入手できた著書『読書権ってなあに――視読協運動と市橋正晴 上・下」(市橋著/◆[2000]、大活字版)による。この本は、市橋が書いた文章を収録し、それに加え「視読協の歩み」(上巻)、「市橋正晴氏の足跡」(下巻)等を加えている。
★07 浦口明徳。以下「横浜漢点字羽化の会」のHP(http://www.ukanokai-web.jp/index.html)より。
 「名古屋ライトハウス情報文化センター所長の浦口明徳さんが、2007年10月6日に逝去されました。/浦口さんは長く視覚障害者の読書に関心をお持ちで、ボランティア活動、読書権運動、点訳並びに音訳ボランティアの組織作りと、人並みはずれた行動力・実践力を発揮されました。/近年、漢点字への関心を深められ、本会の活動の趣意の、人文系の資料を漢点字で読める環境作りにもご理解をいただけるようになった矢先でした。/享年60歳」(http://www.ukanokai-web.jp/General/064_tsuito_uraguchi.html)
★08 草山こずえ。1977年にICUに入学。ICUに在学した視覚障害学生の文章にICUの教員が「はじめに」と「おわりに」を付した石田・西村[2014]に『明日への大学』(草山こずえさんのICU在学の記録を作る会[1981])への言及がある。
 「ICU の図書館内には、特別学習支援室といって、障害がある学生が学習サポートを受けるための部屋があります。その部屋があまりにも物置みたいになっていたので、ちょっと人に見せられるレベルに片づけようよとスタッフといっしょに本棚の整理をしていた時、『明日への大学』という一冊の本を見つけました。公に出版されたものではないのですが、ICUに一番最初の視覚障害学生として受け入れられた、草山こずえさんの在学記録です。
 三〇年以上前、全盲である彼女がみんなと同じように単位を修得して卒業できるだなんて大学側は信じていなくて、自分の成績や学校生活しだいで、今後視覚障害学生が続いて入学できるかどうかが決まるとプレッシャーを感じていたこずえさんが、四年間全力を尽くしていた様子が、周囲の人たちの文章で語られています。
 視覚障害に甘えてはいられない、特別扱いはされたくない…。当時はパソコンもないので点訳にも今より時間がかかって、したがって教科書の点訳が授業に間に合わないのが普通なのに、それを補うために夜もあまり寝ずに勉強し、寮長まで務めて、過労で倒れたこともあるとその本には書かれています。
 点字は、普通に目が見えている人と違って、斜め読みができないですし、下線部を探したり、図を理解したりするのにも時間がかかるので、試験を受ける時は一般の人の一・五倍の時間をもらえることになっています。でも、視覚障害を甘えに使いたくなかったこずえさんは、試験も一般の人と同じ時間内で受けて、それでも好成績を残しているんです。本の最初と最後の部分は、こずえさん自身によって書かれているのですが、「でもこうして、特別扱いされたくないと考えている私が一番、自分の障害を特別視していたことに気付きました」と述べられているんです。
 私にとって、ICU に視覚障害者が入学する道を切り開いてくれたこずえさんは、憧れの人です。自分とは比べ物にならない、遠い存在と思っていた人です。でも三〇年ちょっと前にこの場所で、彼女も同じようなことを気にして、同じようなことに悩んでたんだなって。目が見える友達に負けたくない、変に気を使われたくない、視覚障害を甘えには使いたくない… そうやって頑張って、でもやっぱり厳しい現実もあります。
 そんな中で、負けてたまるか、負けてたまるかって思っているうちに、無意識に周囲の友達がライバルみたいになってしまう…。障害を特別視されたくないって思って必死な自分こそが、周囲対自分みたいな、むしろ自分を特別視してしまう…。
 でもこずえさんは、四年間の大学生活の最後に、答えを出しています。
 「周囲からいろいろと助けていただく代わりに、私にできることは誠実でいることだけです」
 […]こずえさんが在学していたころは、今より本の点訳に時間もお金もかかったため、周囲の友達が分担して本を音読したのをカセットテープに録音し、それを頼りにレポートを書いていたらしいのです。ある意味、今の私よりずっとずっと周囲の助けを借りて過ごしているんです。でも、その本に記載されている周囲の人々の文章を見てると、誰一人としてそんなサポートをするのを迷惑だとは思っていないんですね。それどころか、こずえさんに憧れている後輩、音読することくらいしか私には手伝ってあげられないと悔しそうに書いている友達…。こずえさんの魅力だからこそですね。」(石田・西村[2014:70-72])
 また草山の著書として『彫刻に触れるとき』(草山[1985])があるようで、柘植[1995]で言及されている。
★09 野村茂樹。弁護士。以下、奥野総合法律事務所のHPより(http://www.okunolaw.com/profiles/nomura_s.php)。視神経萎縮により、1974年左眼0.03、1975年右眼失明(障害等級2級)。テレビ式拡大読書器を使用して読み書き、日本で初めての視覚障害者の司法試験合格者。東京大学法学部卒業、1983年東京弁護士会登録(35期)。2010年〜日本弁護士連合会「障がいを理由とする差別禁止法制に関する特別部会」部会長。2014年〜日本弁護士連合会第57回人権擁護大会シンポジウム 第二分科会 実行委員会 実行委員長。公益財団法人重複障害教育研究所監事、社会福祉法人全国盲ろう者協会理事、社会法人聴力障害者情報文化センター評議員、社会福祉法人日本盲人福祉委員会理事。
★10 酒井栄蔵。http://www.arsvi.com/m/sssc.htmに『月刊視覚障害―その研究と情報』の頁があり(青木千帆子作成)、そこから「福祉会館に就職して」(酒井[1978])があることが知られる。
★11 指田忠司。著書に『123ページの伝言――1978年春 早稲田大学法学部に学んだ視覚障害者の記録』(指田[1978])、『世界の盲偉人――その知られざる生涯と業績』(指田[1978])。
★12 竹下義樹。日盲連のHPに「会長からのご挨拶」がある(http://nichimou.org/introduction/greeting/)。
★13 2003年のプロフィール(http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/seminar20060831/profile.html)では以下。「国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所障害福祉研究部長。東京大学理学部卒業。1970年から1997年まで東京大学総合図書館に勤務。 (財)日本障害者リハビリテーション協会情報センター長を経て、2003 年7 月から現職。 DAISY コンソーシアム理事、WAI/W3C 常任委員、GLADNET 理事、世界盲人連合技術委員会委員、アジア太平洋障害者センター支援委員、障害者放送協議会委員すべての人が共有する知識と情報のデザインを追及し、諸活動に従事。情報アクセス権と著作権の調和を目指した活動に取り組む。 また、ソーシャルインクルージョンの立場に立ち、緊急時の障害者への情報支援及び、国際協力に尽力」
 立岩がこの座談会の後に伺ったところでは、そしてそれは飲食しながらの会話においてであったからというわけではなく必ずしもなく記憶は定かでないのだが、全共闘運動の時期、河村はとくにどういう立場にというわけではなかったがゆえに、理学部のその運動のまとめ役?のようなことをしていたのだという。そして、積極的に就職する気持ちになれないまま、就職活動の時期もほぼ過ぎて、その時に河村が入ったところの採用があったので、という経緯であったという。
★14 『読書権ってなあに』(→註04)の「まえがき」(望月[1998])を書いている望月優(この文章の日付は、1998年7月15日、著者は望月優(視覚障害者読書権保障協議会代表)となっている)が設立した。「実は、市橋正晴氏本人も、この数年の間、アメディアで弱視者向けの事業をしたいということで、私に何回か相談にきた。結局、アメディアの業績の悪さと市橋氏のご家族の反対により、これは実現しなかった」(望月[1998:8])とも書かれている。
★15 板山賢治。1950年日本社会事業学校卒業。1978年厚生省更生課長。著書に『すべては出会いからはじまった――福祉半世紀の証言』(板山[1997]。障害基礎年金への板山の関わりについて高阪[2015]。2013年逝去。
★16 初山泰弘。1931〜2004。1981年、国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所長、85年同更正訓練所長、92年同総長。『国際医療福祉大学紀要』10-2(2005)に木村[2005]他の追悼文があり、年譜がある。

■文献

 ※のある文献は全文あるいは紹介がウェブ上にある。
福井哲也 2000 「視覚障害者と著作権法をめぐる話」,『ノーマライゼーション 障害者の福祉』2000-10(vol.20, no.231) 
市橋正晴 著/視覚障害者読書権保障協議会 編 1998 『読書権ってなあに――視読協運動と市橋正晴 上・下」,視覚障害者読書権保障協議会,579p.
市橋正晴 編 1977 『視覚障害者の読書と著作権――著作権問題討議資料集 第2集』,視覚障害者読書権保障協議会,29p. 
石田由香里・西村幹子 2014 『<できること>の見つけ方 全盲女子大生が手に入れた大切なもの』,岩波ジュニア新書791
石川准 1985  「逸脱の政治――スティグマを貼られた人々のアイデンティティ管理」,『思想』736:107-126
板山賢治 1997 『すべては出会いからはじまった――福祉半世紀の証言』,エンパワメント研究所,203p.
木村哲彦 2005 「名誉教授・大学院長初山泰弘先生の死を悼んで」,『国際医療福祉大学紀要』10-2:1-2 
草山こずえさんのICU在学の記録を作る会 1981 『明日への大学――その一つの試み ICUにおける一盲学生の在学の記録』
―――― 1985 『彫刻に触れるとき』,用美社
望月優  1998 「まえがき」(市橋正晴著/視覚障害者読書権保障協議会編[1998:3-9]
野村茂樹 1981 「アメリカにおける盲人法律家・上」,『ジュリスト』755:102-112
―――― 1982a 「アメリカにおける盲人法律家・中」,『ジュリスト』757:84-93
―――― 1982b 「アメリカにおける盲人法律家・下」,『ジュリスト』758:129-136
酒井栄蔵 1977 『視覚障害者が社大で学んで――5番教室の4年間』,59p.
―――― 1978 「福祉会館に就職して」,『視覚障害――その研究と情報』37
指田忠司 1978 『123ページの伝言――1978年春 早稲田大学法学部に学んだ視覚障害者の記録』
―――― 2012 『世界の盲偉人――その知られざる生涯と業績』,桜雲会,281p.
高阪悌雄 2015 「ある行政官僚の当事者運動への向き合い方――障害基礎年金の成立に板山賢治が果たした役割」,『Core Ethics』11:135-145 
田辺邦夫 1977 「視覚障害者の読書――学習環境改善の運動について」,市橋編[1977]
柘植千夏 1995 「博物館と視覚障害者」,『博物館学雑誌』20-1・2(23):31-39 


UP:201603 REV:
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