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山本泰先生とのこと

立岩 真也 2016/03/21

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◆山本泰 Wikipedia

 先生の演習において河合塾の模試の採点をしていた等々の奇行――それが合理的な行動であったと思っていて、実は今でも思っている私は、たぶんそこが変なのだろう――は、だいぶ誇張されて、その後の人々によって語られていると聞くので、それは誇張です、と言うだけにとどめよう。
 先生との会話で私が覚えている――二人の人が話すことで双方が覚えていることはたいがいとても違っている――一つは、きみは倫理的な嗜好(という言葉ではけっしてなかったが、覚えていない)があるんだねえ、橋爪(大三郎)さんにもそういうとこあるね、みたいなことを、いつもの、なんでもちょっと皮肉っほい、すくなくともそう聞こえる言い方で、言われたことだ。そして、いまは「規範理論」とか括られる類のもの――当時は「規範」という言葉の使い方が少し違っていた――をやってきたところはたしかに私にある。
 それからまったくのわたぐしごとを。先生は吉祥寺に住んでおられ、私は三鷹に1985年から1995年まで暮らしていた。その間、1990年、だが、こちらに子が生まれ、その時、どんな流れでそうなったのだろう、というか、たんに子が生まれましたと報告しただけだと思うが、吉祥寺のお宅に呼ばれ、そのお宅でかつて使われた赤ん坊用の食卓椅子をくださった。その椅子で飯を食って育った子は、文系的なことはしんでもやるまい、と思ったかどうかは知らないが、別のジャンルの「社会人」になっている。
 私が大学院に入ったのは1983年、それから30年以上の間、たぶん、私は市野川(容孝)が講義で話せと駒場に呼んでくれた時にすこしお会いした以外、時どきのお知らせも、(最初の単著とたぶん最初の共著以外は)本をお送りすることも、なにもしてはこなかった。まさに不肖の弟子である私が、最初に先生を指導教員にした人であって、困ったものだ。ただこの同じ時間は、先生はそんなことを気になさっていないだろう、と思っていられた時間でもあって、そしてこれからも私は不肖の弟子であり続けられるのだろうと思っている。


UP:20160322 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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