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まえがき

立岩 真也 2016/03/25

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■関連企画
◆2016/04/29 「原一男監督と考える 70年代の生の軌跡〜障害・リブ・沖縄――初期ドキュメンタリー作品上映とトーク」,於:立命館大学朱雀キャンパス

 ※この本↓が書店で買えるようになるのは4月5日頃だそうです。

■横田 弘・立岩 真也・臼井 正樹 2016/03/25  『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院,235+xip.

 どんな経緯でこの本が出ることになったのかについては、そして横田さんと臼井さんとの関わりについては、臼井さんが書いてくださっているので(→一三頁・三〇頁)そこを読んでください。また臼井さん・横田さんと私が会ったいきさつのことも臼井さんが書いてくださっている(→六七頁・七二頁)。以下、結局私(立岩)と横田さんのことに限っての話になることをおことわりしておきます。
 まず、私にとっては、それまで会ったことのなかった横田さんから声をかけてもらって三度も話ができたことは、なにか不思議なことで、そしてうれしいことだった。そんなことはそうあることではない。
 変わらないところもある――大切なことなら変えてはならないはずだ――が、変わるところもある。定点をもたずに仕事をしている私のような者にとって、時間の流れの中にある人を知るのは、書かれたものを追える時に限られている。例えば、横田さんといっしょに活動した横塚晃一は一九七八年に亡くなっていて、七九年に「上京」してきた私がそのことを知ったのはずいぶん△003 後になってからだった。十年足らずの間、その人が書いたものを読むことだけができることだった。
 ただときに、時間を隔てて、会った人に再会できたり、また話をうかがえたりすることがある。私たちは一九八〇年代の後半、もう三〇年ほど前になるが、多くの人に話を聞くことができて、それは今となってはずいぶん貴重なことだった――文字化されていないものも実はかなりあって、音源が残っているか、探してみなければならないと思っている。だから、まったく初めてというわけでないが、ずっと前のことだから、話をうかがった方が私(たち)のことなど覚えているはずなどないと思っていたが――私ならそうだ――、二十数年といった時間が経って再会する機会があった時、覚えていると言ってくれてうれしかったことがある。そんなこととして覚えているのは、三井絹子さん(→二〇六頁・註7)が、著書『抵抗の証 私は人形じゃない』を出版され、その本を販売しに長野大学で開催された障害学会の大会に一族郎党でやってきた時(二〇〇六年)、私なら覚えているなんてありえないと思ったのだが、そのずっと前のことを覚えていると言ってくれて、単純にうれしかった。(この年に橋淳さんから今度出版社を立ち上げるという話も聞いたのだった。「生活書院」という名前は「なんかださくない?」と私は言ったのだが、生活書院は始まって、すぐにその会社名にも馴染んでしまった。)
 そして三井さんの兄でもある新田勲さん(→二〇六頁・註7)。彼も横田さんが亡くなった二〇一三年に亡くなったのだが、新田さんも初めてインタビューをしてから二〇年以上経って対談をもちかけてくれて、実現した(そこには三井さんもいらした)。それは二〇〇八年『足文字は叫ぶ!』(全国公的介護保障要求者組合)、そして二〇〇九年に『足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を』(現代書館)に収録された。これも私にとっては貴重な機会だった。△004
 これらはみないただいた機会だった――例外は高橋修さん(→一二八頁・註50)に(これも八〇年代だが)三度のインタビューをしたことだった。そんなことがとにかく大切なことだと思う。私は基本的には自分でごちょごちょと考えてそれを文章にするタイプの人間だと思うが、そのごちょごちょ考えるもとにはこれらの人からもらったものがある。そんな恩義もある。そしてとにかく人はいなくなってしまう。二〇一三年は多くの人が亡くなった年だった。二〇一四年にも亡くなった。二〇一五年にも亡くなった。うかがえるときに聞いておこう。今私は大学院というところに勤めていて、毎日そのことを言っている。
* * *
 そうして横田さんと話したその話の中身は、この本のとおりだ。私はそこでしばしば「しどもど」しているのだが、実際そうだったのだから、仕方がない。そういった部分も含めて読んでもらうことになる。どんな人たちに、どのように読んでもらえるのだろう、と思う。でも何かは引き出すことができるはずだ。
 私が話している時に感じたのは、一つ、横田さんが「若い障害者」に怒っていること。私は、そこはそうでもないという受け答えをしている。というか、横田さんの気持ちはそれとしてわかるのだが、第一に、そんなことを年寄りたちに自分たちも言われてきたと思う私としては、すこしは言い返さねばということもあり、第二に、(もちろん横田さんもそれはわかっていて言っているのだが)怒らなくてもすむならそれでいいじゃないかということもあり、第三に、これから仕方なく若い者も怒るようになるだろうということもあって、その話には斜めから応じるということになっている。三つめについては、障害者運動という括りで、というより、反貧困とか差別言動へ△005 の抗議といった形で――そんなことをせざるをえないこと自体、悲しいことではあるのだが――ここのところ起こってきていることでもある。
 一つは「綱領」問答がけっこう長く続いたことだった。やはり横田さんの思い入れが強いのだと思った。私は格別にあの綱領に「もっていかれた」という人間ではないので、ただ、同時に「いけてる」とも思ってはいたいから、そのへんもしどもどしながら話している。私はどちらかいうと、この「覚悟」の表出の後、そういう気分をもちながらもどうやって「ものをとるか」というところが大切だと思ってきたし、そこでがんばってきた人たちを見てきたところがあった。そこから見ると神奈川は施設の整備も含め、青い芝によるものも含め運動は古くからあるけど、「とれてないじゃないか」と思ってきたところがあるから、多少冷たいところがあるのだ。そして綱領のなかの「CP者であることを自覚し」というくだりについては、これはいわゆる「アイデンティティ・ポリテックス」というようなものにも関係して、すこし複雑な主題だということもあり、私はCP者ではないのでということもあり、やはりしどもどしている。読者のみなさんならどう考え、どう答えるのだろうと思う。
 もう一つ、三度めの対談(第6章)の最初のところで私は、横田さんに聞かれて大学生だった頃のことを恥ずかしながら話している。そこで、かつて国立市にあった富士学園について私は肯定的に話していて、それに横田さんが、大意としては「でも施設じゃないか」と返している。それはそうなのだ。そして、選んでそこにいたわけでないそこに暮らしていた本人たちにとってどうだったのかはわからない。ただその上で、私は暮らし方には様々あってよいと思ったし思っていることはやはり言いたかったのだと思う。そしてそれは私がグループホーム(以前は「ケア付住宅」と呼ばれた)の幾つかについてあまり肯定的でないことと矛盾はしないと思っている。△006
 こうして、生きている者だけが言いわけし言い足すことができる。註をつけることも、生きている者だけができる。ずるいはずるい。しかしそれでもないよりよいと思ってかなり分量の多い註を、調べきれなかったところも多いのだが、つけた。
* * *
 最後にこの本が出来たいきさつの続き。じつは横田対談(というよりインタビュー)第一回の記録は、印刷したものを横田さんに送ってあって、「これを後学のためにも公表したいのですが」という伺いを立てて、了承をもらっていた。ところがそのファイルが、私の手元からはしばらく行方不明になり、PC上では結局見つからずじまいということになってしまっていて、いろいろと探したら、印刷されたものが発見された。それをスキャンしてまたPCのファイルにしてという面倒なことをするはめになった。
 そして自分自身が何を話してきたのかについてもほとんど当人には記憶がないのだ。じつは神奈川青い芝の会そして横田さんとは、二〇〇二年の対談(→本書第3章、ちなみにその後の同年の第二回めは、同年一一月一二日、本書第6章に収録したのは第三回め)が最初というわけではない。『そよ風のように街に出よう』での連載(立岩[2007-])の第一四回(二〇一五年)に書いたが、米本昌平氏らが中心になって一時期あった「生命倫理研究会」が、たぶん一九九〇年、神奈川青い芝の会の人たちに話を聞くという機会があって、私もそれに出席している。そして二〇〇一年四月二六日、「日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会四〇周年記念集会」で私は講演させてもらっている。横田さんも小山正義さんにもそこでお会いした。後者の講演は、きっとそ△007こらに書いているようなことを話したのだと思うが、そう思うだけだ。前者の方はさらにわからない。横田さんたちと米本さんが、意外と気さくに、というのか話をしていたという記憶ぐらいしかない。
 とにかく記録をきちんと保存・整理することは大切です。私も何が残っているか、探してみようと思う。そして録音物や(私自身は撮ったことがないのだが)動画など見つかったら、以前と違ってDVDなどで簡単に提供することができるのだから、それも、と思う。横田さんの言葉の一部はここに残ったが、横田さんのかなりきつい言語障害のある語り口は、もう直接に話をしたり聞いたりした人しか知らない。それももったいないことだと思う。写真や映像や録音記録も含め、集め、整理し、提供するといったことを、片手間に、にならざるをえないのだが、続けていこうと思う。御協力いただければ有り難い。代わりにやってくださるという方がいるならさらに歓迎です。よろしくお願いいたします。
     二〇一六年一月
                         立岩真也


UP:201603 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体の現代:歴史
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