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立岩真也(代表)……


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 →◇2016/11/07 「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」

■研究目的(概要)
 障害・病を有する人達の主張・運動の大部分は記録も考察もされていない。資料の散逸は進み今後しばらくが生きている人の声を聞く最後の機会となる。研究を組織化し、世界的な流れの中に位置づけつつ、その過程を明らかにする。T結核・ハンセン病等の収容施設が批判の対象とされつつ生活のための砦であったことがある中での運動。U社会・政治を加害の原因として糾弾しつつ自らの内にも対立や困難を必然的に抱えてしまった公害・薬害に関わる運動。V医療福祉政策の狭間に置かれる中で自らの位置を得、生活を獲得ようとしてなされてきた「難病」を巡る運動。Wすべてに関わりつつ障害と病の位置の転換を主張して1970年前後に新たに現れた運動、それが起こした波紋。そしてXそれらを経て世界に共通する現況を診断し、これからを展望する。


 @背景・経緯
 これから10年も経てば証言がまったく得られなくなるだろう時期から始まり、現在に至る、障害や病に関わるこの国での社会運動についての研究の重要性は認識されてはおり、とくに1970年代以降の身体障害者の運動についての研究は幾らかなされるようになってきた。だがなお広大な未踏の部分が残されており、さらに考察すべき部分を多く残している。より広い範囲の人々の利用に資するための資料・情報の収集・整理・発信を行う必要がある。新たなインタビュー調査とその記録、その公表も重要である。ただ満遍なく全てを集めるのはもはや不可能だ。重要と考えられる部分に当たり、その検証から新たに調査すべき場所を見つける。その繰り返しの作業を速く進める必要がある。調査・研究を効果的に遂行できる体制を組み込み、個々の研究を随時まとめながら、個々に独立しているかに思われる事象の連関を確かめて行って、この時代の全体像を描く必要と有効性がある。それがこの計画が実現するなら可能であると考えた。
 A明らかにしようとすること
 第一に、必要でこの研究で可能なのは、基本的・具体的な事実を明らかにし、記録・記述し未来に残すことそのものである。種々の障害や病を巡る社会運動やそれを担う組織・人についてのこうした研究はなされるべき1割もなされていない。私たちが約30年間蓄積してきた資料に加え、新たに資料を渉猟し、証言を得、研究成果に繋ぐ。史料・資料を集中させ散逸を防ぎ、文字化されていない記憶を文字にする。現在入手困難な文献の一部については電子書籍等電子媒体での保存、公開を進める。第二に、事態を捉える視点として、身体の状態が、何――苦痛/死/不便/差異/加害、とまず分けられる――をもたらすか、それらが誰――本人/家族等の関係者/医療等の供給者/より広く「社会」…――に対して、いかなる利益/不利益をもたらすのかに着目する。この視点をとることによって複雑な歴史過程と現在とをよく捉えられると考える。詳細は4頁から説明するが、とくに以下の5つの相を取り出し研究する。
 T:「社会防衛」のために結核、ハンセン病等の療養者の収容がなされたことから、共通の利害が生まれ、集合的な運動が、戦前を引き継ぎ戦後すぐに始まった。その運動の事実の記録はなくはない。ただ、そこに生活する人は、その処遇に不満を持ったから運動を組織したのだが、その施設・制度は生活を支える場・資源でもあった。この部分を捉えた研究、この時期の運動が後にどのような影響をもたらしたかを捉えた研究は僅かである。そして社会防衛は、定義によるが感染からの防衛に限られない。衛られることを願うのはまずは家族だ。その願いは切実で、それが1960年代初頭の重度心身障害児(重心)施設、筋ジストロフィー児の施設・施策に繋がる。またこれらの施設には結核療養所が転用されていくという具体的な場の連続性もある。それは親たちの願いに発し、当時善いこととされたから、施設を求める親たちの組織の側の記録は一定存在するが、例えば精神病院について家族会側の推進の動きのあったことは表には出てこない。多面的・多角的な調査により防衛の対象とされた側と防衛を求めた側双方の運動を明らかにする。
 U:やはりとくに1960年代前半から、加害者として社会を名指し社会に対する動きがあった。つまり公害、薬害の健康被害が大きく問題化される。これは世界的にも生命倫理学といった学問領域の誕生に関わり、日本社会にも大きな影響を与えた。だが例外的に水俣病について一定の記録が残され研究が組織的になされている以外、いくつか事件当時の資料集等の刊行物がある以外、ほとんどまとめられ分析されていない。そしてそこから受けとるべきはただ加害に注意深くしていこうといったことではないはずだ。加害の償いと生活の保障とをどう関係させるべきか、そこにほぼ必然的に現れる病・障害の悲惨の表象をどう解するかということもある。
 医療・福祉の大きな政策動向を紹介する文献は相対的には多く、大まかなことは知られている。ただV:どこまでをどんな理由で社会的支援の対象にさせ、またしてきたのか。病気でもあり障害でもあるような領域、「難病」「特定疾患」に関する運動・政策の推移から見えてくるものがある。Tの一部、親や子に対する同情から、医療と福祉、児童と成人の境界に、法外の、また複数の法に根拠をもつ制度が現れていく。さらに、Uに関わりスモン病に対する対応として始まり、研究のためとして医療費の負担を免除するという説明で徐々に難病対策が始まり、その後対象を増やしてきた。しかし、そうして拡大しますます複雑になった制度がこれでよいと思っている人はどこにもいない。そして何を基準にどのような公的支出をなすかは普遍的な主題でもある。
 W:Uの動きとも連続しつ、1970年前後に新たに現れた運動がある。それは社会を糾弾するが、その糾弾は障害を悲惨とすること自体に向かうのでもある。これには1960年代末からの社会運動との関係がある。その時期、本人たちに自らの位置と主張を転換する動きがあり、研究者・専門職者集団の一部にも自らの営為を問い直す動きがあった。それは日本では左派内部での対立が絡んでもいた。社会改革を肯定し志向した上での対立を受けてなされる主張(の一方)は、時に「極端」なものともなる。例えば(なおせても)「なおさなくてもよい」と主張する。ゆえにその脆さを突くことは容易だが、同時にそれは――時に欧米の同じ領域の言説より――主張しうることの「限界」まで行こうとしたと見ることもできる。その動きを跡付け、理論的に考察する。
 X:厳しい対立もあった運動は現在、おおまかには「障害者権利条約」を受けた国内法・制度の整備という方向に収斂しつつある。それは、様々の困難に遭いながらも前進をもたらすだろう。ただその運動はより困難な局面に遭遇してもいる。運動が、Tの時期から抵抗し、Wにおいて自覚的に対象化し批判してきた「社会の都合」が、身も蓋もない資源・経済の問題として現れている。すると例えば、医療・福祉に関わる社会運動において対置されてきた「自律」を言い続けるだけではうまくいかない。そしてこれは世界的な問題であり、W〜Xが国際的にどのように捉えられてきたかを見る必要もある。国によっても差異がある運動と主張とその背景を比較検討するために、既に研究協力関係を築いているJo Hanjin(韓)、Cai Cong(中)、Colin Barnes(英)、Fernand Vidal(西)、らの協力を今後も得て互いに議論し、成果を多言語で発信する。
B意義
 学問の意義の一つは記録することにある。この研究は今しかできない。本申請の年にもその前の数年も、運動で中心的な役割を果たした人たちが数人ずつ亡くなった。その中の数人に存命中の聞き取りが実現し、現在その書籍化を進めているが、その速度を上げる必要がある。多くの人たちが語ろうとしているが、自らそれを文字にして公けにできる人は少ない。それは公正でない。そして惜しい。つまりもう一つ、この研究は実践的な、人々に有益なものであろうとする。私たちは技術や人を使って生きていくし、それを使える専門家も、金も政府も必要であり、それを引き出しうまく使っていく必要があり、そのために自らが活動・運動しようともする。人々がどのように自らとその身体を了解し、技術を使い、政治に働きかけ、組織や人を使っていくか、そのためにも、そのことを巡って何があったのか、どんな工夫がなされてきたのか、どんな困難があってきたのかを知る必要がある。得られた事実・資料は原則HPに公開し、必要な部分は多言語化し、誰にでも利用してもらう。ここにも本研究の大きな意義がある。
 同時に理論的な貢献も期待される。本研究は、社会学にある「範疇化」「医療化」「専門家支配」といった言葉に、この国におけるその内実を与えるものであり、同時に、それらの言葉で何がどこまで言えるのかを吟味し、確定する作業でもある。そしてまた、障害者運動・障害学の知見も踏まえつつ、そこにあった「障害者は病人ではない」といった主張をどう捉えるのか、「社会モデル」という標語をどの水準で捉えるのか、これらを考察し確認する作業でもある。
 そして研究を組織的に進める意義がある。これから本格的に研究を進めようという人達の力も得て、日常的な研究体制を整備・確立し、個別の研究の集積以上の効果を産み出す。研究・成果発信の速度を加速させ、研究成果の塊を作り出す。この体制が恒常的な国際発信を可能にする。

■研究計画・方法 9
 研究代表者・分担者他は、多年の研究・社会活動から既に多くの組織・人との繋がりを得て研究を進め、成果を出してきた。それに、関心を共有し時間と意欲をもって研究を進めている大学院生や修了者等が連繋し、調査研究に当たる。資料室がありスタッフを擁する研究機関(COEを引き継ぐ生存学研究センター、以下◆を付した著書はその関係の成果)がその日常的な活動を支える。この体制のもと、これまでの蓄積に加え、さらに散逸しつつある資料を収集・整理・公開する。関係者への聞き取り(一部は公開インタビュー)を行い、記録化する(文字、一部については動画)。それらに詳細な註を付した上で書籍化していく。こうした基礎情報を踏まえ、特に以下のT〜Xに焦点を当て、検証・考察を進める。日本語の研究書を毎年2冊ほど出す他、韓国、中国、英国他の研究者と連携し、各国の運動史を比較研究し、その成果を国際的に発信する。
□平成28年度:
 研究を円滑に進められる体制に向けた調整をしつつ、早速5つの焦点を持つ調査・研究を進める。2人の故人を含む人達への聞き取りを基に追加調査した書籍を2冊発行。同時に新たな聞き取り調査を進め、公表資料・アンケート調査から組織の概要と変化を把握し、年表等を作成。機関誌やビラの類も重要なものはPDF画像、より重要なものは文字コード化してウェブ公開する。
 T 日本での集合的な運動は結核療養所、ハンセン病療養所の入所者の運動から始まった。ハンセン病療養所における生活・運動については近年幾つか研究がある。また結核療養者の運動も「朝日訴訟」を象徴的なものとしてそれに積極的に関わった人たちによる古い文献はある。ただそれがその後の運動にどのように連続し不連続であるかについての研究はほぼなされていない。「防衛」の対象になることは、その対象者にとって迷惑なことであり、施設とそこでの処遇は不満・批判の対象となり、だから運動も生起したのだが、あてがわれた場や人は実際上生活の「よすが」でもあった。するとその処遇に対する抗議の運動もいくらか複雑になる。全国組織の会報の合本版等はあるが、距離をとったその解析はなされていない。その変化と連続性を追う。
 施設化と脱施設化は、現在「地域移行」に誰もが反対しない中で、かえってその実情がわからなくなっているところがある。例えば、重症心身障害児(重心)の施設や筋ジストロフィー児の施設については、その家族の切実な訴えがあり、その「成果」を得るに至るその足取りがある程度記憶され、資料が残り、私達においても研究がいくらかある。だが否定的な価値が付与されている精神病院については、精神疾患・精神障害の家族会が少なくともその初期、病院体制に肯定的であった部分はかえって見えなくなっている。そしてこれらは皆、家族・親を「護る」ためのものでもあった。だから、結核やハンセン病の場合と全く異なるとだけ捉えることもできない。また国立療養所を巡る政策においても変化と連続性がある。つまり、結核が減り結核療養病床・施設が減らされていくが、そうした施設が一つに重症心身障害児、筋ジストロフィー児の施設を受け入れていく。またいっときはサリドマイド児(→U)が入所していたこともある。運営に関わった人たちが回顧した文書がいくらかある以外、これらのほぼすべてがまとめられていない。
 U これらの動きと接してまた次に、とくに1960年代以降、「社会が作る」病・障害が問題にされる。薬害・公害や労災を巡る責任追及や補償を巡り、被害の有無や軽重を巡って原因を追求し、その因果関係に関わる争いが起こる。だが、例外的に蓄積がある水俣病についての研究以外、そして社会学では『薬害の社会学』(宝月誠編、1986)から30年が経つが、それ以後まとまった研究はない。一つ、責任追及と補償が必要でありそれを得ようとすることが同時に求められ、争いを提起した人達の内部に対立が生じてしまったことが度々あった。因果関係の証明が求められ、そのことを巡り大きな負荷と分断がもたらされた。また一つ、社会に訴える時病や障害の悲惨を語らざるをえなくなる。実際悲惨な境遇はあったのだが、後にその表象のされ方は自らによる懐疑・批判の対象にもなる。これらを考えるためにも、『日本の血友病者の歴史』(2014)◆の著者北村健太郎他が薬害エイズ、C型肝炎等を巡ってなされた運動について調査し言論を解析する。
 V 以上二つは一つに社会の側の利害による管理・保護とそれへの抵抗、また一つ、加害者として社会を名指すものだったが、直接の原因・理由がなんであれ、当人たちにとって大切なのは生活であり、治療を含む生活のための費用であり、それが社会に対して常に求められてきた。そして求められた側も何もしなかったのではない。政策側も何かはしようと思うのだが、どこまでなら認めることにするか戸惑いもする。大きくは医療保険等の医療政策、障害者施策全般とそれに関わる運動があり政策があるが、それらについてなら一定の研究の蓄積はある。今回の研究においては、それでは到底足りないと感じられそれで起こったできごと、制度の狭間にあり位置づけにくいものに関わって起こった運動とそれへの対応を追って、境界・限界を巡る攻防を検証する。まず1970年代初頭には、人工透析について、公費負担(1972年に更生医療適用)に至る経緯、「全国腎臓病協議会(全腎協)」(1971〜)の関わりが有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史』(2013)◆で明らかにされた。その他についても、とくに「難病」と呼ばれるようになったものがどのように位置づけられてきたのかを探る。それがT・Uと接続し、偶然的な事情にも左右されて今日に至るその動きを明らかにする。難病対策の始まりには1960年代に設立されていく疾患別の患者会の活動があるが、「難病」「特定疾患」という行政的な範疇の生成を現実化したのは1970年前後の薬害スモンの政治問題化(U)が関わっている。そうした中で政策が始まり拡大していった過程がある。その制度とその内実の推移を調査しまとめる。それは(まだなおらない)疾患をなおすための研究という名のもとで生活を(生活も)援助する制度として現れ、それはその政策の対象になる本人や家族において障害というより(やがてなおるようになる)疾患という認識を強めるものだったが、1990年代に入ると障害者運動が獲得した介助制度等の利用を介し、障害者運動との接近、障害者としての自己規定が一部に現れもする(cf.立岩2004『ALS』◆)。同時に、列挙される疾患だけが対象になるという制度そもそもの限界を有しつつ、対象疾患を拡大する動きは続いてきたが、例えば苦痛を主症状とする「複合性局所疼痛症候群(CRPS)」は、病が忌避されるのは苦痛ゆえであるのに、客観的基準がないとして認定されず(米国・韓国では認められている)、認定を求める運動が続いている(cf. 大野真由子2013「慢性疼痛と「障害」認定をめぐる課題」◆)。それらを追って変動し浮動する歴史・現在の全体を描き、これからの主張・政策のあり様を示す。これ自体はこの国に特異に起こったことだが、それでも数百万の人たちの生活に直接関わる。さらに、どこまでの範囲の疾患・障害、広く人の状態・様態に関わる費用をどのような理由でどこが持つのかは普遍的な問題であり、理論的検討課題となる。
 W 1970年の前後、別の流れが生まれる。保護として現れる隔離に反対し(T)、社会を問題にしつつも社会による身体への危害(U)というだけでない場面を問題にする流れが生ずる。その運動はまず我彼の間の差異をはっきりさせようとした。自らのためになされていることと他人(達)の都合によってなされていることを、意図的にせよ非意図的にせよ、曖昧にされることを指摘し、反対した。それは脱施設・反施設を鮮明にする。「差し障り」があってそれを軽減できる部分において軽減すべきだとした。「優生思想」「能力主義」という言葉を頻用し、この社会で暮らしていけないから得るものを得ようとしながら、社会の全体を批判した。自らを積極的に肯定するわけではないが、否定されていることを強く自覚することから始まり、そしてなおすことに懐疑的だった。「青い芝の会」といった組織の行動については比較的知られるようになったが、他でもこうした主題が現れた。遺伝性の部分を含む筋ジストロフィーについて、1970年代、そのことも社会に知らしめるべきだという主張と、それに慎重な主張が対立し、それは組織の分裂も引き起こした。遺伝子診断を巡る議論もなされる(cf.利光惠子『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』(2012)◆。現在は入手困難な出版物や石川左門(1937〜)他への聞き取りからこれらの軌跡を辿る。また「先天性四肢障害児父母の会」(1975〜)は、環境汚染が様々に問題にされていたその活動の初期、環境要因を疑い、原因究明を訴え、その障害をなくすための活動を展開した。だが現に障害があって暮らしている子どもがいる時、障害を否定的に捉えてよいのか。それを考えていくことになる。『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』(2014)◆でこの組織を追った堀智久らの研究をさらに発展させ、反原発運動において起こった「論争」も含め、議論を追う。また、直接的な加害・犯罪(の可能性)の主体と名指され治安・医療の対象とされる精神障害者自身の動きが、組織規模としては家族会の全国組織に比してまったく小さなものだったが、「全国「精神病」者集団」(1974〜)等により、この時期に始まる。それは治安の対象になることに抵抗するとともに、疾病とも障害ともされる自らの状態をどう捉えるのか、身体障害者の動きにも連動しつつ、薬物にどう対するとかといったより具体的な場で自らのあり方を考え始める。これらについての研究はまったく始まったばかりである。
 そしてこれらの動きには、1960年代末からとくに障害者運動には当時の左翼運動における、共産党やそれに近い組織とそれに対抗する勢力との対立、具体的には障害児教育のあり方等を巡る厳しい対立関係が関わっている。そしてそれは学問・科学のあり方にも関わった。精神医療・臨床心理等の学会・業界に自らの位置を問題化する動きが少なくとも一時期あった。ここで押さえておくべきは、そこで批判された側も「改革派」だったことだ。βから「極端」な主張、発見しなおすことへの懐疑が示されたのにもこのことが関わっている。双方の言論と実践を検証する。この時期以降については、立岩他『生の技法』(第3版・2012)◆、各地の動きについても、定藤邦子『関西障害者運動の現代史』(2011)◆、障害学研究会中部部会編『愛知の障害者運動――実践者たちが語る』(2011)他の成果があるが、青い芝の会の横田弘(1933〜2013)、全国「精神病」者集団の大野萌子(1936〜2013)・山本眞里(1953〜)らへの聞き取り記録を整理し、この年、『脳性マヒ者 横田弘――その思想と生涯』◆ともう一冊の書籍を公刊する。
 こうした「新しい運動」は世界中で起こった。ただ少なくとも始まりとしばらくの推移は同じではない。例えば脊髄損傷の車椅子使用者(英国)やさほど障害の重くないポリオの人たち(韓国)等、移動の手段を得られれば十分やっていけるといった人たちが中心となって始まった運動においては「本来はできる」という主張がより強いのに対して、重度の脳性麻痺者他から始まった日本の運動は、より困難な部分があることを言い続ける。ただ世界のどこでも、支援があれば人は社会的に生産的になりうるという主張が通じない場面はあり、結局運動は同じ困難を見ることにもなる。単純な「社会モデル」を適用すればそれですむというわけではない。それは次のXの問題にも関わっている。そのためにも各国の運動史を、各国の研究者の協力を得ながら進め、英語で成果を刊行する。
 X いま日本ではいっときの騒乱・対立は収束に向かっているようでもある。つまり、地域生活と自己決定という看板は、誰もが反対しないものになっている。とくに1980年代以降、Wの時期の運動体を引き継ぎつつより広範な範囲が加わる組織が活動している。そして大きくは「障害者権利条約」の批准、その実施状況の国連への報告(民間組織も報告することができる)を利用して、それによる法整備等を進めようという流れになっている(cf.長瀬修他編『増補改訂 障害者の権利条約と日本』(2012)◆、長瀬監訳『世界障害報告書』(2013)◆)。だがまずなお理論的に追究されるべき論点は残っている。なおすことを巡って病者と障害者の間にあってきた差異をどのように理解するのか。(障害は)なおらないという現実が所与である限り、これは現実的な問題にはならないが、その前提は不動ではない。また、差別禁止は当然に必要だとして、それは「障害」による差別に対する対応とされ、そこから除外される能力の差異に関わる不利益は捨象される可能性もある。認定は免責をもたらすが(「病人役割」)、同時に排除される理由にされる現実の基本は変わらない(cf.立岩『自閉症連続体の時代』(2014)◆)。そしてなにより、高齢化、認知症者の増加が言われ、悪意と偏見によってではなく、資源の有限性をもって、社会が護られるべきこと、広い意味での「防衛」のやむをえぬ必要が言われる。多くの人たちがそのように思っている。かつて優生思想といった言葉によって指弾された力がこれから最も強く作動する時期に入っていく。それに運動はどう対しているか、またどう対するべきか。分析と考察の精度を上げる必要がある。流動的な現在を把握し、将来を展望するためにも、これまでの経緯をまとめる。
□平成29年度以降:一部は公開インタビューとする聞き取りを継続し、承諾が得られたものについては記録をアーカイブ化する。Vの主題について、個々についての資料の散逸を防ぎ、文献・資料の一覧を作り、係争の経緯の概要を公開する。その際、薬害被害者連絡協議会等の協力を得、また同時にその活動に貢献する。Wに関わり、立岩『造反有理――精神医療現代史』(2013)◆『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(2015)◆と2016年刊行の1冊に続き、精神障害者たちの運動史についてはインタビュー調査の結果を中心とした書籍を2017年にさらに1冊、また2018年には楠敏雄(1944〜2014)他についての著作、「総論」に当たる書籍と新書を刊行する。期特にW・Xに関わり、韓国・英国等の研究者にも加わってもらい、各国の運動の共通性と差異を明らかにする。他に共著書等、期間中少なくとも10冊の書籍を刊行する。海外の研究者と情報・意見交換しつつ、一部は年3回発行予定の英語を主言語とする雑誌に掲載する。

■業績
 以下査読付論文については末尾※を付した
●立岩真也『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,430p.
●早川一光・立岩真也・西沢いづみ『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.
●立岩真也「横塚晃一――障害者は主張する」,吉見俊哉編『万博と沖縄返還――一九七〇前後』,岩波書店,ひとびとの精神史5
●立岩真也「再刊にあたって 解説」,横田弘『増補新装版 障害者殺しの思想』,現代書館,pp.223-24
●立岩真也「精神医療現代史へ・追記10〜14」,『現代思想』2015-1:8-19.2015-2:8-19,2015-3:30-44,2015-4:8-19, 2015-5:8-19
●立岩真也「生の現代のために・3〜9」,『現代思想』2015-6:8-19,2015-7:14-24,2015-8:8-19,2015-9:8-19,2015-10:8-19,2015-11:8-19,2015-12
●立岩真也編『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』,Kyoto Books
●長瀬修監訳『世界障害報告書』,明石書店,567p.
●天田城介・渡辺克典編『大震災の生存学』,青弓社,216p.
●障害学研究会中部部会編『愛知の障害者運動――実践者たちが語る』,現代書館,301p.
●渡辺克典「障害者運動の背景にあるもの」,障害学研究会中部部会編[2015:8-20]
●土屋葉「障害種別を超えてともに闘う――愛知障害フォーラム(ADF)の前史、そしてこれから」,障害学研究会中部部会編[2015:▲]
●中河伸俊・渡辺克典編『触発するゴフマン――やりとりの秩序の社会学』,新曜社.296p.
2014
●立岩真也『自閉症連続体の時代』みすず書房,352p.
●立岩真也「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て――「民主的医療」現代史」(早川一光へのインタビュー),『現代思想』42-13(2014-9):37-59
●立岩真也「私の筋が通らない、それはやらないと」(大野萌子へのインタビュー)『現代思想』42-8(2014-5):192-206
●立岩真也「「精神病」者集団、差別に抗する現代史」(山本眞里へのインタビュー)『現代思想』42-8(2014-5):30-49
●立岩真也「生の現代のために・1〜2」『現代思想』42-4(2014-3):8-21, 42-6(2014-4):8-19
●立岩真也「精神医療現代史へ・追記2〜8」『現代思想』42-8(2014-5):8-21,42-9(2014-6):8-19,42-10
(2014-7):8-19,42-12(2014-8):8-20,42-13(2014-9):8-23,43-14(2014-10):8-19,42-15(2014-11):8-19
●立岩真也「病・障害の諸相、そしてなおすこと・補うこと・委ねること」障害学国際セミナー 2014
●立岩真也編『身体の現代・記録(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』,Kyoto Books
●天田城介「水膨れしていく精神医療市場――幸福な奴隷の幸せを感受する世界を生きる支援を受容してしまうこと」,『現代思想』42-12(2014-9):107-121
●北村健太郎『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』,生活書院,304p.
●Sano, K. Kentaro S.Abe and A. Onishio, "The History of Hemophilia Community in Japan", World Federation of Hemophilia 2014 World Congress
●小川喜道・杉野昭博編『よくわかる障害学』ミネルヴァ書房,190p.
●堀智久『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』,生活書院,224p.
●渡辺克典「障害学と障害者運動の研究動向」,『保健医療社会学論集』25-1:24-29
2013
●立岩真也『造反有理――精神医療現代史へ』青土社,434p.
●立岩真也『私的所有論 第2版』生活書院,973p.
●立岩真也「障害者の自立生活運動」,藤村正之編『協働性の福祉社会学――個人化社会の連帯』東京大学出版会: 29-48
●天田城介・角崎洋平・櫻井悟史編『体制の歴史――時代の線を引きなおす』洛北出版,608p.
●天田城介「戦時福祉国家化のもとでのハンセン病政策――乞食労働・都市雑業労働の編成」天田他編[2013:19-32]
●天田城介「老いらくの自殺――ポスト経済成長時代の超高齢社会から排除される人たち」,『現代思想』41-7:98-109
●北村健太郎「老いの憂い、捻じれる力線」,小林宗之・谷村ひとみ編『戦後日本の老いを問い返す』,生存学研究センター報告19:120-142
●堀智久「専門職であることの否定から専門性の限定的な肯定あるいは資格の重視へ――日本臨床心理学会の1970/80年代」『社会学評論』64-2:257-274 ※
●後藤悠里・渡辺克典「東アジアにおける障害者差別禁止法の制定嘉定――香港と韓国の質的調査より」川端美季・吉田幸恵・李旭編『障害学国際セミナー2012』:120-129
2012
●安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』生活書院
●立岩真也・堀田義太郎『差異と平等――障害とケア/有償と無償』青土社
●立岩真也・有馬斉『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』生活書院
●立岩真也「後ろに付いて拾っていくこと――震災と障害者・病者」『福祉社会学研究』9:81-97
●立岩真也「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」『精神医療』67:68-78
●天田城介・村上潔・山本崇記編『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』ハーベスト社,
●天田城介「思想と政治体制について――精神医学のエコノミー」天田他編[2012:267-294]
●天田城介「歴史と体制を理解して研究する――社会学会の体制の歴史と現在」『保健医療社会学論集』23-1:56-69
●長瀬修・東俊裕・川島聡編『増補改訂  障害者の権利条約と日本――概要と展望』,生活書院,398p.
●北村健太郎「血友病者本人による社会と結び付く活動の生成」天田・村上潔・山本崇記編『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』ハーベスト社,pp.62-84
●渡辺克典「愛知から/の障害者運動を考える」『障害学研究』8:10-14
2011
●立岩真也・村上潔『家族性分業論前哨』生活書院,360p.
●TATEIWA Shinya,"On "the Social Model"",Ars Vivendi Journal1:32-51 ※
●立岩真也「社会派の行き先 3〜13」,『現代思想』39-1:20-31〜39-16:14-25
●立岩真也「障害論」,戸田山和久・出口康夫編『応用哲学を学ぶ人のために』世界思想社,pp.220-231
●立岩真也・天田城介「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・2」『生存学』4:6-37
●立岩真也・天田城介「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・1」『生存学』3:6-90
●天田城介『老い衰えゆくことの発見』角川学芸出版,256p.
●天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』,生活書院,522p.
●天田城介「老いを治める――老いをめぐる政策と歴史」天田・北村編[2011: 508-518]
●天田城介「胃ろうの10年――ガイドライン体制のもとグレーゾーンで処理する尊厳死システム」,『現代思想』40-7(2012-6):165-181
●天田城介「社会サービスとしてのケア――シンプルな社会設計こそが社会サービスを機能させる」,庄司洋子編『親密性の福祉社会学――ケアが織りなす関係』東京大学出版会 :245-263
●北村健太郎「1970年代の血友病者たちの患者運動と制度展開――公的負担獲得と自己注射公認に至る経緯」天田・北村・堀田編[2011:270-302]
●堀智久「専門性のもつ抑圧性の認識と臨床心理業務の総点検――日本臨床心理学会の1960/70」『障害学研究』7:249-274 *
●堀智久「教育心理学者・実践者の教育改革運動と精神薄弱児の社会生活能力への着目――精神薄弱教育の戦時・戦後占領期」『社会学ジャーナル』36:81-100 ※
●堀智久「障害の原因究明から親・子どもの日常生活に立脚した運動ヘ―先天性四肢障害児父母の会の1970/80年代」,杉野昭博編『リーディングス 日本の社会福祉7 障害者と福祉』
●Y. Goto, K. Watanabe and K. Nishimura,"Theoretical Possibility of Social Movement: On the Thoughts of Koichi Yokozuka and 'Aoi Shiba no Kai'," Colloquium: The New Horizon of Contemporary Sociological Theory, 6: 171-185 ※
●渡辺克典「社会運動において語り、伝わり、繋がること」,関西の社会社会運動を考えるシンポジウム実行委員会『報告書 社会運動で語ること/伝わること/繋がることか』:23-27
●渡辺克典『病者・障害者の当事者運動に関する比較研究』(科学研究費補助金・若手B,研究課題番号:21730410,研究成果報告書),108p.
●渡辺克典「言語障害者の当事者運動」韓国国際障害学学術会議
●渡辺克典「愛知から/の障害者運動」障害学会第8回大会シンポジウム
2010以前
●立岩真也・大谷いづみ・天田城介・小泉義之・堀田義太郎「生存の臨界」『生存学』1:6-22,112-130,236-264(2010)
●天田城介『〈老い衰えゆくこと〉の社会学 増補改訂版』多賀出版,i+683p.(2010)
●天田城介渡辺克典「家族の余剰と保障の残余への勾留――戦後における老いをめぐる家族と政策の(非)生産」『現代思想』38-3(2010-3):114-129(2010)
●渡辺克典「障害者運動の歴史と隘路」藤木秀朗・坪井秀人編『反乱する若者たち――1960年代の以降の運動・文化』日本近現代文化研究センター,pp.97-101(2010)
●北村健太郎「パンフレットから Young Hemophiliac Club へ――血友病者本人の活動へのうねり」山本崇記・高橋慎一編『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』,生存学研究センター報告14,pp.114-140(2010)
●堀智久「専門性のもつ抑圧性の認識と臨床心理業務の総点検――日本臨床心理学会の1960/70」『障害学研究』7:249-274(2010) ※
●立岩真也『唯の生』,筑摩書房,424p.(2009)
●立岩真也『良い死』,筑摩書房,374p.(2008)
●稲場雅紀・山田真・立岩真也『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院,272p.(2008)
●立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p.(2004)


UP:2015 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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